弱虫たちの保健室
@K_rice
第1話**春**
**春**
「あー。不労所得で暮らしてーなー」
県立春雨高校の保健教諭、赤城はスチール机の椅子に
「先生、そればっか」
白いシーツのベッドに寝そべり、分厚い官能小説を読んでいる女生徒、緑川は赤城の口癖にうんざりだといわんばかりにボヤいた。
「えー?緑川も欲しいだろぉ?不労所得。あたしだけじゃねーって。そりゃ全人類が欲しいだろうよ。不労所得」
「教師が生徒に言う台詞じゃないって言ってんの」
数センチ開かれた窓から、春風と桜の花びらが保健室へ吹き込む。
ベッドを仕切るカーテンが揺れ、緑川の長い髪をなびかせた。
窓の外からは、体育の授業の音や鳥の鳴き声が聞こえてくる。うららかな、春の日和だ。
「緑川もさぁ、夢を持とうぜ。アイハヴァドリーム!少女が大志を抱かずしてどうするよ」
官能小説の余白部分に視線を落とし、緑川は気だるげに返答する。
「保健室登校が夢とか、あるわけないでしょ」
彼女はこの春、2年生になったばかりだ。
半年ほど前からたびたび保健室を訪れるようになり、今や3つあるベッドのうち一番窓際、赤城の机隣のベッドは彼女専用となっていた。
保健室登校となった理由はよくあるクラスでのイジメだが、赤城はそうした事情を訊くこともなく、彼女をベッドの住人として受け入れていた。
「ほーら緑川ぁ。植物の小陰唇だぞー」
拾い上げた桜の花びらを指先でくるくると回しながら、赤城はニヤついた。
「最っっ低―!!」
軽蔑と嫌悪に満ちた表情で、緑川は赤城に向かい枕を投げつけた。
いつものようにヒョイと枕をかわすと、白衣のポケットに手を突っ込み、飄々とした調子で
「コーヒー淹れるか」
「ミルク入れてよね」
と、二人はお決まりのやり取りをした。
ガラガラ。
保健室の引き戸が開く。
暗い表情をした男子生徒、2年B組の青島が立っていた。
「おう!青島、いらっしゃい!コーヒー飲むか?」
赤城は軽口をたたきながらも、ハンカチで押さえられた青島の手首をチラと見ていた。
「まぁ、とりあえず座れよ!」
そう促し、保健室中央の革張りベンチに青島を座らせた。
緑川は一瞬だけ視線を向けたが、同じく常連の青島だとわかると、再び官能小説を読み始めた。
赤城は膿盆にピンセットやガーゼ、消毒液などを載せて持ってくると、
「あー、今回も大名画描いちまったなぁ。今度スケッチブック買ってやるよ」
とリストカットの処置を始めた。
「冗談キツいですよ…」
青島は俯き、消毒液をしみ込ませた脱脂綿に血が滲み込んでいく様を見つめていた。
「沁みないか、青島」
「別に、いつものことですし…」
「そっか。……いつもどおりブラックでいいよな」
包帯を巻き終わり、よっこらせと立ち上がりながら、赤城は電気式サイフォンの方へ向かった。湯が沸騰し、ゴポゴポと音を立てている。
赤城は青島に対しても何も訊いたりしない。責めもしないし、慰めもしない。
ただただ、当たり前のように彼を受け入れる。
「おーい緑川。ミルク入れたぞ」
そう聞くと緑川はベッドの端に座り、マグカップを受け取った。
「青島も」
湯気を立てるコーヒーを渡すと、赤城も窓際に凭れ掛かりそれを啜った。
二人の生徒を見やり、窓の向こうの桜を見つめた。微かな風に、花びらが舞っている。
「先生、いつか糖尿病になるよ?」
緑川が言う。赤城のコーヒーには大量の角砂糖が入っていることを知っているからだ。
「なーに。コーヒーくらい甘くさせろよ」
「別に上手くはないからね」
緑川は辛辣だ。
赤城のハハハという笑い声が静かな保健室に響く。
季節は春。ここは弱虫たちの保健室。これはこんな弱虫たちの、1年を振り返る物語だ。
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