第9話 間をめぐる口論



生徒会室の長机をはさんで、紙が何度も行ったり来たりした。

〈学園祭・校内放送 告知枠・決定版〉

太字で“**無音禁止**(安全確保のみ例外)”が中央にある。赤ペンで“演出のための間=不可”が追記されていた。


西園寺が眼鏡を押し上げる。

「体裁上、ここは譲れません。——“技術的ブレイク”は残します。ですから**安全確保**の判断以外で、放送を止めないでください」


榊颯真は笑顔のまま、指先で机をとん、と叩く。

「了解。テンポで押し切る。……ただ、“安全確保”の定義は誰が出す?」

「責任者。原則、放送部の進行担当者が。文書通りです」


部屋の空気が少し乾いた。

ぼくは手帳に短く線を引く。

『責任者=放送部進行/判断=技術的ブレイク』

言葉は飲み込み、付箋だけ増やす。


南條ほのかが台本を抱え、短く〈息〉。

「やってみます。告知はBPM指定で、間は**なし**で」

「うん」


会議は続いた。

演劇部は「台詞の前に一呼吸ほしい」。

ダンス部は「ジングルをもう二拍延ばしたい」。

颯真はテンポを守りながら、滑らかに折衝する。

「呼吸は言葉の内側で作る。ジングルは**四拍**まで」


西園寺がまとめる。「では、この案で最終確定です」



放送室に戻ると、伊達実が配線図をひろげて待っていた。

「体育館ライン、当日さらに分岐追加の可能性。——念のため、**最悪キット**作るぞ。結束バンド、予備ケーブル、ブレイクカード」

「ブレイクカード?」

「“技術的ブレイク中”って出す札。西園寺に見せる用。場外にも効く」


ぼくは頷き、ホワイトボードに小さく枠を書き足す。

〈最悪キット〉

・結束×10/絶縁テープ

・予備ケーブル(短・長)

・**ブレイクカード**(赤札/A6)

・手順書コピー×3

・水


颯真が入ってきて、机にタイムテーブルを置く。

「明日、通し。告知は**無音ナシ**で一気に。——直人、準備、頼む」


「必要だと思ってる」

ぼくは短く返し、付箋を三枚貼る。

『合図=Shared(目線→三二→——一)』『終端=BGMで閉じる』『ブレイク=操作のための一拍のみ』


ほのかは台本を閉じ、窓の外を見てから、こちらへ視線を戻す。

「やってみます。合図、私からも出します」


伊達がスイッチをカチ、と鳴らす。

「Shared運用、続行。よし、通し——」



通し練習は速かった。

BPM90→110のクロス、ジングル四拍、固有名詞の列。

ほのかの視線が先に走り、ぼくの指が**一**で動く。

無音はない。

でも、窮屈でもない。

“呼吸”は、言葉の内側で鳴っていた。


最後の「以上、放送部でした」を、楽器に任せて閉じる。

ON AIRの赤が落ちた瞬間、ドアが開いた。


「——やっぱり、“間”は不要だよな」

一年の男子部員が言った。勢いのまま続ける。

「さっきの速さ、超よかったっす。**止めない**ほうが映える」


伊達が眉をひくりと上げる。「さっきの“速さ”は、裏側の手順が整ってるからだぞ。止めないって言葉は軽い」

男子は肩をすくめた。「でも“間”って放送事故っぽいし」

その言葉に、部屋の空気が少しだけ硬くなった。


颯真が割って入る。

「事故じゃなくするのが“技術的ブレイク”。——ルール、読んだ?」

男子は口をつぐむ。

ほのかは何も言わない。台本の角をなぞり、途中でやめた。


ぼくはホワイトボードの〈手順書〉の項目を指で叩く。

「事故じゃない。仕様にしてる」

言い切って、そこで止めた。

口論にしない。

“最悪に備える”ほうが速い。


颯真が息を吐く。

「通し、もう一回。——西園寺、さっきの“内規”にさらに**注意文**を足すって」

「何を?」

「“演出目的の無音と誤認される操作は避けること”。——だからこそ、**ブレイクカード**を見える所に置く」


「必要だと思ってる」



夕方。

通し三回目が終わり、全員がばらける。

ぼくは机に**赤札**を並べ、油性ペンで太字を書いた。

〈技術的ブレイク中〉

誰に言われなくても、見れば意味が分かる字で。


結束バンドを数え、予備ケーブルを丸める。

輪は緩く、大きく。

点検ノートの新しいページに、今日の走り書きを足す。

『Shared合図:安定/無音ナシでも余白は作れる/ブレイク札=場外説明に有効』


ドアのガラス越しに、視線の気配がした。

振り向くと、廊下側からほのかがこちらを見ていた。

入ってはこない。

ガラス越しに、ただ見ている。


ぼくはペンを置き、目だけを合わせる。

**言葉は使わない**。

指を軽く持ち上げる。

三、二——。

——一。


ほのかの肩が、ほんの少し下がった。

ガラス越しの**一拍**。

それだけで、伝わるものがある。


彼女は口を動かさずに、小さく頷いた。

“やってみます”が、声にならない形で置かれる。

扉は開かない。

廊下の風が紙の端を揺らし、放送室の蛍光灯が低く唸る。


ぼくはノートに最後の一行を書いた。

『本番直前は変えない。争わず、準備』


ガラスの向こうで、ほのかが目を細めた。

——合図は、もう共有されている。

言葉の**前**に置くものは、決まっている。


三、二——。

——一。

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