第5話 刃を収めた夜
第5話 刃を収めた夜
夕陽は西に傾き、ポンペイウス劇場の壁を赤銅色に染めていた。石畳に広がった血は乾きかけ、黒い斑点となって固まり、広場はまるで巨大な碑文のように見えた。
昼間に響き渡っていた叫びは次第に細り、いまは沈黙とざわめきが入り混じる。だが沈黙の奥には、まだ剣の気配が潜んでいた。
壇上に立つ僕——マルクス・ウァレリウスは、震える指で蝋板を閉じた。木の表面には乾いた血がこびりつき、指にぬめりが残る。
「これ以上の血は不要だ!」
その声はかすかに震えたが、広場全体に響いた。石壁に反射し、柱の間を駆け抜け、群衆の耳へ届いた。
一瞬、広場が静まった。
群衆の誰もが次の剣を待っていたが、その言葉で、喉奥に引っかかっていた怒号が押しとどめられた。
だが静寂は安堵ではなく、張り詰めた糸のように薄く脆い。
「もう十分だ!」
パン屋の男が叫び、粉にまみれた手を高く掲げた。老婆が頷き、子を抱いた母は涙を拭った。
しかし反対に、「まだ足りぬ!」「裏切り者を残しては禍根だ!」と叫ぶ声もあった。怒りと安堵、歓喜と不信が同時に渦を巻いた。
アントニウスが前へ出る。剣を掲げ、夕陽の光を受けて刃を白く燃やす。
「護民官マルクスの言葉に従え! 国家は敵を討った。ローマは揺るがぬ!」
その声に兵士たちは槍を鳴らし、群衆の一部は膝を折った。だが膝を折らぬ者たちの目は、僕の方に冷たく突き刺さった。
アントニウスは微笑を浮かべ、僕の肩に手を置いた。
「よく言ったな。だが覚えておけ、血を止めた責任はお前に残る。」
その重みは剣より重かった。
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群衆の後方で、縄に縛られた死体を抱こうとする遺族たちが泣き叫んでいた。少年が「父上!」と叫び、兵に突き飛ばされる。少女が母の袖を掴んで震える。
彼らの影は夕陽に引き延ばされ、未来へと伸びる暗い線となった。
傍らにいたルキウスが低く囁く。
「火種を残したぞ。地下で芽吹き、街を焼くことになる。」
彼の鎧は血に染まり、革紐は裂けていた。
「徹底して討たぬ代償は、必ず返ってくる。」
僕は返す言葉を持たなかった。ただ蝋板を胸に抱きしめる。
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壇を降り、蝋板を石畳に置く。文字は血で滲み、幾つかは判読できない。
「名簿は刃となる……だが鞘に戻せば、刃は鈍るはずだ。」
そう思いたかった。だが実際には、刃は鞘の中で鋭さを増し、いつか再び抜かれるのではないかと胸が凍った。
兵が陰謀者の遺体を運び出す。民衆は次第に散り、広場に残るのは夕暮れの風と松明の灯りだった。だが静けさは平和ではなく、嵐の前の凪に似ていた。
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夜になると、松明が広場に灯された。兵は水を撒き、石畳を洗った。だが血の痕跡は消えず、黒い影として残った。
「秩序は戻った」と人々は言う。だがそれは恐怖に支えられた秩序であり、安心ではなかった。
家に戻り、蝋板を机に置く。灯火に照らされ、乾いた血が黒い筋を描いていた。
「私は刃を収めた。だが鞘の中で、刃はなお鋭さを増している。」
声にした途端、胸に冷たい石を抱えたような重みを覚えた。
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翌朝、フォールムには噂が渦巻いていた。
「陰謀者の子が地下に逃げた。」
「復讐を誓った者がいる。」
「昨夜、市外で密会があった。」
秩序は表面上戻ったが、地下には火種が芽吹いていた。
通りを歩けば、市民の視線が僕に注がれる。
「護民官だ」「血を止めた男だ」
感謝の目もあれば、憎悪の目もあり、沈黙の目もあった。
僕は英雄にも、裏切り者にも、未来の犠牲者にもなり得た。
ルキウスが隣に立ち、低く言った。
「マルクス。次に来るのは、火か、それとも言葉かだ。」
僕は無言で頷き、蝋板を胸に抱いた。
夕暮れの空に赤が差し込む。秩序は戻った。だがその秩序の下で、復讐の芽は静かに育っていた。
——ローマは、まだ剣と法の間で揺れている。
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選択肢
•A:強硬に備える
アントニウスと共に兵を増強し、地下に潜った陰謀者の残党を徹底的に摘発する。短期の安定を得られるが、市民を恐怖で縛り付ける。
•B:和解を探る
遺族や市民の声を拾い、「血の秩序」ではなく「言葉の秩序」を模索する。融和を示せるが、強硬派の不満を招き、内部対立の火種となる。
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読者への呼びかけ
あなたの決断が、次のローマを形づくります。
Aは「恐怖で縛るローマ」、Bは「融和を模索するローマ」。
どちらを選んでも、新たな混乱が待ち受けています。
コメント欄に 「A」または「B」 と書いて投票してください。
次回、第6話冒頭で結果を発表し、その選択を物語に反映します。
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投票締切
9月3日(水)9:00(日本時間)
——あなたの一票が、ローマを血で縛るか、言葉で繋ぐか
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