第2話 王子様がやばすぎる
公爵は、ゼェゼェと息を切らしながら膝に手をつき、話しかけてきた。
「アリス、今日はアドタール公子がいらっしゃるのだぞ、大丈夫なのか?」
隣の女の子も部屋の時計を指差し、急かすように言う。
「アリスおねえさま、もう七時だよ」
「本当よ、はやく着替えてパークへ行きなさい!」
淑女はだいぶ怒のようで、扇子をとにかくパタパタしている。
私は咳払いをして、得意のスマイルで頷いた。
「すみません、寝坊してしまいましたわ」
頑張れ私、落ち着こう。いろいろあってこうなってしまった以上、今のところ、私に残された選択肢はただ一つ。
この世界でうまく生きること、それだけだ。だから、ミスるわけにはいかない。
それに、公子というのは、多分王子様のこと。となると、「アリスお嬢様」はだいぶ有力貴族に違いない。なおさら失態は出来ない……!!
私が真剣に謝ったそばから、淑女は声を荒らげた。
「……すみません?今すぐ取り消しなさい!」
「はい?」
パシンッ
首を傾げると、信じがたいスピードで頬に扇子をと振るわれた。
驚きながら頬に手を置くと、淑女は金切り声で続けた。
「品格を保ちなさい。何回も教えたでしょう!そんなのでは、アドタール公子と上手く縁談することもままなりません!」
怖いと言うよりも、わんわんとよく吠えるなぁという印象だが、身にまとった華美なドレスやネックレスが、オーラを放っていた。
公爵はまぁまぁと落ち着かせようと肩をさすったが、淑女は怒なまま部屋を出ていき、再び天使さんと2人になった…
「……令嬢転生、キチィ…」
みんながいなくなったので、すっと鼻をつまむ。
扇子で叩かれた頬がジンジンと痛んでいる…
現代だったら虐待だな、こりゃ。
「お、お嬢様、こちらへ」
天使さんは気まずそうにドレッサーの前に立った。
「えっと…ありがとうございます」
私が困ったように微笑むと、天使さんはビクッとして、こちらへ、と椅子を引いた。
ペコっと礼をして座ると、丁寧な手つきで髪をとかし始めた。
「…お嬢様、何かあったのですか……?」
心配そうに覗かれ、声が裏返りそうになる。
「いっ、いえ、大丈夫です」
「なぜ…私たちメイドに、敬語を……?」
天使さんは私の長い髪を結いながら傾げた。
やっぱり天使じゃなくてメイドかぁ〜、くそっ…!なんか、寝落ちして翌日にどっちが勝ったかニュースで知っちゃう紅〇歌合戦みたいな気持ちや!
慌てて小さく首を横に振る。
「あぁ…気分ですよ」
メイドさんは一瞬手を止めて、次は私のナイトドレスの紐を解いていく。
よくみたら小さな刺繍がたくさん施されていて、この大気の匂いにしては着心地がいい、真っ白なドレスだ。
「敬語……申し訳ありません、や…やめていただけると幸いでございます……」
小さく呟くように言う彼女を不憫に思うと同時に、自分も貴族らしい振る舞いをしなければ、と使命感が芽生えた。
コルセットをぎゅうぎゅうに締め付けられ、苦し紛れに返事をする…
「う"っ………わ、わかったわ」
口元を押さえ、吐き出しそうなのをこらえる。
王子様との縁談って言ってたし、今日は余計に堅苦しい日なのかもなぁ…ぐっ…
次々と手際よく着替えされられながら、私、坂鎌陽菜は思った。
こういうのって大抵、「アリスお嬢様」だった記憶もあるよな……?
テーン……
すっかり無いなぁ、記憶。
もしかしてこれ、フィーリングでいかないとだめ?さっきも謝っただけでパワハラ受けたよ、私。いやだ、日本人だもんMO TTAI NAI精神だもん(?)
謝りてえよ。
「ふぅ……」
顔をゆがめると、メイドは肩をちょんっと叩いた。
「で、できました……」
「ありが…とう…!?」
私は恐る恐る顔を上げた。
しかし、目の前の輝く鏡の中には、絵のように重厚なシルクのネイビーと、キラキラと光るビーズや刺繍、黒い花がらのレースに、コルセットで強調された美しいカーブのウエストが、バーンと現れた。
「…お嬢様、手袋です…」
メイドさんは丁寧にレースの手袋を渡してくれた。
「ーー綺麗」
手袋をはめて再び鏡の中を覗く。
思わず目尻が熱くなり、涙が溢れた。
「お嬢様っ…?」
私はまた、首を横に振った。
まぁ、悪いだけでもないかもしれないし、前とは違って、こんなに恵まれた環境にいるんだもの。
「綺麗だったから、つい…ふふ」
私が笑うと、メイドさんもつられて笑ってくれた。
「あはは……お嬢様、この後、アドタール公子がお見えになられるので、今朝はゆっくりしてください」
「う、うん…」
正直よくわからないが、とにかく今日が重要な日だというのは伝わった。
やってやるわよ、王子様でもなんでもこいや!!
夕方になり、メイドたちが慌ただしく廊下を走り回っていた。
ま、マジで来るんだ、王子様……
さっきまで、長い長い廊下や肖像画の数々を見て屋敷を回っていたが、外に行こうか迷っているうちに、今朝のメイドさんに呼ばれ、とうとう植物園っぽいところに来て一同で待っている……
冷や汗止まんない……改めてどういうこと?縁談って何?結婚すんの?
「パパぁ……」
視界がぼやけて目の上が重くなってきた。
「アリスお嬢様」の父であろう男は、いつ見ても髭をいじったり髪をいじったりしている。
「なんだ、いきなり」
ごめん、お前じゃねえから安心してくれ。
思い返せば、前世はいろいろあった。
「はやく出せよ、金」
母は、お父さんが出張に行くたびに男と遊んで金をせびるようになった。高校に入ったくらいだった。
少しもしないうちに手を上げ始め、家にも男を連れ込んだ。
数年して、父と母は離婚し、お父さんと2人で暮らし始めた。
「…ただいま」
帰っても、帰っても、いつも部屋は暗い。
父は忙しく、週に一回会えるか会えないかほど。両親の離婚前からしていた、俗に言うパパ活は、苦手だったけどやめれなかった。
深夜にたまに聞くシャワーの音が、痛かった。
多分、そんな生活をまた2年くらいして、あの夜、父は玄関で倒れていた。
過労死だった。
私は思った。誰が悪いのでもなく、ただ、こうなるしかなかったのだと。
父は私を恨むだろうし、母は私を蔑むだろう。
でも、私は生きなきゃいけない。
理由なんか無い。
死んだらだめだ、できる努力も、出せる勇気もなくなる。
まぁ、結局死んだけどさ。
いや、一周回って生きてる……??
「ふふっ…なんでもないです」
私は見えた花に目をやった。
綺麗な白い薔薇だった。
驚くのも慣れてきたけど、改めてディ〇ニーですかってくらい広い。一歩間違えたら完全に西〇園ゆうえんちだ。
その時、メイドさんが数人、頭を下げてやってきた。
「アドタール公子様がお見えでございます……」
「アリスお嬢様」の政略結婚の相手……!どれほどなのだろうか、王子様というのは…
顔を向けるのを必死に抵抗したいヲタク、坂鎌陽菜は思った……!
こういうのって大抵、悪役モブと婚約破棄か、めちゃ冷徹な国宝級ドSイケメンと強制同棲かの2パターンじゃね……?
テーン……
いや分からん!!この世界に転生あるあるという文字は通用しないのかもしれない!
だって普通はコルセット締めるシーンなんかないし、空気が臭いとか訳わかんない設定もないし!
ええい!てやんでい!!
勢いよくメイドさんの方を見た、その時だった。
「なっ……」
パカッパカッ
目の前には、白馬に乗った見るからに「王子様」がいた。
馬からスルッと華麗に降りる様は、反射するように私の目を輝かせた。
真っ赤の軍服のような服にしまった腰、白い肌が余計に際立っている……
あまりの解像度に言葉を失った。
前髪がサラサラと風で崩れ、黒髪に青い瞳がよく似合う。
使用人に何かをぼそっと言うと、王子はこちらに歩いてきて、一人で席に座った。
そして、ニコッと口を開いた。
「ーーお会いできて大変うれしく存じます、ハーバー公爵、そして……アリス・ハーバー」
見下す目は、決して微笑んではいなかった。
令嬢KICK 〜異世界転生がキツすぎたのでグレてみました〜 氵の衣編 @sanzui0308
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