第3話 I am your father.

「三十歳まで童貞だと、魔法使いになれるらしい」

 そんな都市伝説を、ネット上で目にするようになった。桜田羊は色白眼鏡デブ粗チン童貞のまま、三十歳の誕生日を迎えようとしていた。

 大学の同級生たちは次々と卒業、そして就職していき、なんなら幸せな家庭を築いていく。祝福する気持ちは微塵も湧いてこなかった。湧いてくるのは妬み嫉みである。一緒になってバカップルを指さし『リア充爆発しろwww』とか言っていた仲間たちも、彼を裏切ってカノジョを作り、童貞を卒業していく。

 自らの容姿にコンプレックスを抱く桜田羊は、リアル女性への耐性がなかった。話しかけられると挙動不審になる。小さい頃から肥満気味で、その体格に比してちんちんが貧相だったので、小学生の頃はひどいイジメにあった。水泳の授業のあと、ズボンとパンツを隠され、フルチンで校庭を走らされたこともあった。男子はゲラゲラ笑い、女子も遠くでクスクス嘲笑していた。したがって、多感な時期の性欲は、ほとんど二次元で消費することと相成った。中学時代は少年マンガのヒロインで抜き、高校時代は深夜アニメの美少女で抜いた。大学に入ってようやく、女性声優という存在を認知する。それは三次元への大いなる一歩であった。

 栞結菜しおりゆな(愛称しおりん)という女性声優に恋をした。しおりんがちょっとエッチなアニメに出演すると、それっぽい喘ぎ声やセリフ、咀嚼音などを抽出して編集し、独自のオカズを作り上げた。眠れぬ夜には目をつむってそれを再生し、闇の中でシコった。もはや二次元ですらない、ゼロ次元でのマスターベーション。


 そして童貞・桜田羊が三十歳を迎える誕生日。推しの女性声優が結婚した。


 自分の誕生日なんて、孤独を極めていた桜田羊は気にも留めていなかった。推しの誕生日ならホールのケーキを買ってくるが、自分の誕生日なら普段と変わらぬ平日である。『誕生日おめでとう』のメールを毎年必ず送ってきてくれるのは、実家の母くらいしかいない。

 その母からのメッセージを見て、どうやら自分は童貞のまま三十歳になったのだということに気が付く。そしてその拍子にSNSを開いてしまい、『いつも応援してくださる皆様へ』というしおりん直筆の書面を発見してしまったのである。

「ま、またまた……しおりんったら、最近流行りの『いつも応援してくださる皆様へ』構文ですか。私は騙されませんぞ~」

 部屋には誰もおらず、故にこれはデカめの独り言なのだが、その声が震える。すぐさま全文に目を通す。

『いつも応援してくださる皆様へ

この度、私、栞結菜は■■■■さんと入籍しましたことを

ご報告させていただきます。

■■さんは日々を過ごす中で、なにかに迷うときや、

挫けそうなときも力強く支えてくれる方です。

私なりに、私たちなりに、これからの人生を想い考え、

結婚することにしました。

………………………………』

 上手く頭に入ってこない。「入籍」「結婚」……何それおいしいの? 桜田羊はパニックに陥る。脳が拒絶しているのか、お相手の名前がなかなか認識できなかった。目には見えているハズなのに。

 相手はこれまた有名な男性声優だった。主人公の声をあてることも多い上、メディアへの露出もいとわないタイプだったので、その顔と声を知っていた。悔しいけれどイケメンで、しおりんと並ぶとお似合いのカップルと言わざるを得なかった。結局、見た目か。

「あー」

 こんな声しか出なかった。茫然。よりによって三十歳の誕生日に。いや、彼女も二十代後半になろうとしていたし、ビジュアルも可愛いのだから、普通に考えて男性経験の一つや二つあるだろう。

「あー、うわー」

 自分が彼女と結婚できるなんて思っていたわけではない。もちろんしたいかしたくないかでいえばしたい。「俺だー結婚してくれ~」などとよくSNSにコメントするのは彼である。

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」

 しかし、彼女が自分ではない男のものになったという現実。その夫たる男性声優を見れば、あるいは声を聞くだけで、すぐに妄想が膨らむ。エッチをするときは、キャラ声をリクエストしたりするのだろうか……とか。イケボで耳元にささやくのだろうか……とか。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 桜田羊は一人絶叫する。


 絶叫に呼応するかのように、雷鳴が轟く。窓の外がパッと明るく光り、逆に部屋の中は暗闇となる。停電だ。

――おめでとうございます。あなたは今日から魔法使いです。

 不意に机上のパソコンが勝手に起動し、黒い画面に白い字が打ち出される。

「な、なんだ?」

――わたしはインターネットの妖精。あなたの望みを叶えるためにやってきました。

 画面の文字は桜田羊の言葉に反応していた。まだ生成AIがメジャーになっていない時代である。それはまさしく魔法のように思われた。

「望み?」

――そうです。あなたの望みを叶えましょう。

「私は、強い男根がほしい」

 桜田羊は粗チンへの劣等感から、そのように即答していた。

――だんこん?

「ペニスのことだ。粗末なチン〇をもって生まれたばっかりに、私はずっと童貞だった。強い陰茎さえあれば、男たちは私を崇め、女たちは私に群がるであろう」

――では、ご自分で理想の男根を作るのがよいでしょう。

 そうしてプリンターから出力されたのは、『【図解】誰でもわかる〈人造人間〉作製入門』であった。

「人造人間?」

――そうです。残念ながら、ペニスだけ作るマニュアルは存在しませんでした。

「それでは意味がない。私が欲しいのは強いムスコであって、本当の息子ではないのだ」

――大丈夫。同じ年齢まで育ててから、刈り取ればいいのです。

「なるほどそれは名案だ。やってみるよ」

――どういたしまして! わからないことがあったら、また何でも聞いてくださいね。

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