第2話 汚い花火、やや粘着質な雪。

 桜田ペニオには想い人がいた。同じ高校から唯一同じ大学に進学した山岡さんという女性であった。高校時代から、彼女は凶悪な陰茎を持つ桜田ペニオにも分け隔てなく接してくれた。特別何か印象的なエピソードがあったわけではない。たまたまずっと同じクラスで、ちょっと試験前にわからない問題について相談をしたり、帰り道で見かけたら軽く手を振ってくれたり、そういうことの積み重ねがあって、気づけば恋に落ちていた。

 畑山に相談すれば童貞臭いと一蹴されてしまうような恋心であったが、ペニオはそれを大事に温めてきた。大事に温めてきたおかげで、結果的には畑山よりも早くガールフレンドを得ることになるのであった。本筋から逸れるので詳細は省略するが、想いが通じたのか、彼女の方からペニオに接近してきたのである。二人は学生らしく清く正しいお付き合いをスタートさせた。授業の空きコマが合えばカフェテリアで落ち合って語り合い、休日には水族館や動物園、映画館や森林公園へデートに出かけた。自他ともに認めるお似合いのカップルとなっていった。

 交際開始から一年と少し経った冬のことである。二人は温泉旅館へ行くことになった。すなわちお泊りであり、そうするとやはり、やるべきことは決まってくる。

「え、お前ら、まだヤッてなかったの?」

 出発前夜、ペニオが畑山に事の次第を説明すると、このような反応が返ってくる。

「自分だって童貞のくせに」

 ペニオはムッとして反論した。

「ふふん、実は俺、卒業したんだ」

「なんだって! 聞いていないぞ」

「桜田が山岡と付き合っていると聞いてから、居ても立ってもいられず、大人のお店に駆け込んだのだ。悪く思うな」

「そうだったのか……でもそれって、素人童貞というやつでは?」

「うるせぇ!」

「まぁいいや。で、どうだった?」

「はじめては緊張して勃たないなんてことがあるらしいが、俺はそうじゃなかった。ギンギンだったね。イメージトレーニングだけは精通したその日から欠かしたことは無かったからな」

「そいつはすげぇや」

 桜田ペニオは期待に胸を膨らませた。


 観光、入浴、食事を済ませた午後十時。和室には二人分の布団が仲良く寄り添うようにして敷かれている。特大サイズのコンドームはすぐに取り出せる場所にしまってある。全ての準備は整った。どちらからということもなく口づけを交わし、お互いに身体の輪郭を確かめあう。

「真っ暗は嫌」

 と彼女が言うので、部屋の灯りをすべて落とすことはしなかった。彼女の身体はペニオの想像通り、否、想像以上の美しさであった。白くそれでいて健康的な肌は透明感があって、陶器のような滑らかさ。乳房は大きさこそ控えめだが張りがあって、ペニオの好みである。

「すごく、おっきい」

 耳元で、彼女の声。彼女の細く白い指が浴衣の間から侵入し、陰茎に触れる。何度も夢想した瞬間である。

「私の事、嫌い?」

「まさか、なんでそんなこと言うのさ。大好きだよ」

「だって、大きいけど、ふにゃふにゃのままだから」

 そうなのだ。ちょっと嘘を吐くだけであれだけ怒張した男根が、ここぞというところでまったく反応していなかった。

「ごめん……」

「ううん、気にしないで。そういうこともあるよ」

 結局、桜田ペニオと彼女が肉体的に結びつくことはできなかった。後日何度も機会は訪れたが、結果は同じ事であった。いくらペニオが「愛してる」と彼女にささやいても、彼の男根はその役割を果たそうとせず、股間のお飾りとなっていた。彼女は決まって「いいのよ」と言ってトイレに行き、そのまましばらく帰ってこなかった。恐らくは自分で自分の性欲を処理しているのだろうと思われた。ペニオは情けなくて涙を流した。あるいは「お前なんて嫌いだ」と言ってスパンキングでもしてやれば奮い立ったのであろうが、誠実なる人造人間桜田ペニオは彼女を傷つけるような嘘が吐けなかった。


 数か月後、二人は別れた。山岡さんにはすぐさま新しい彼氏ができた。もしかしたら浮気をされていたのかもしれないと思わせるスピーディな乗り換えであったが、ペニオにはそれを確かめる術もなかった。もしかすると、はじめから男根狙いで近づいてきたのかもしれなかった。ペニオは邪推する。彼女は同じ地元の高校出身であるからして、おそらくアルキメデス事件のことを知っている。その人並外れた巨根をひとつ味見してやろうと寄ってきたのかもしれない。とんだ淫乱女である。桜田ペニオは女に絶望し、そして何より、愛した女を悪者にして己を正当化しようとする自分自身の弱さに失望した。

「まぁ、元気だせよ。相棒」

 というわけで、なぜか少し嬉しそうな畑山主催で童貞仲間を集めての飲み会が執り行われた。誠実で真っ当な人間を目指していた桜田ペニオであるが、この日ばかりは羽目を外してアルコールを摂取した。

「さてここに、ピンサロの割引チケットが人数分あります」

 飲み屋から出たところで、畑山が得意げに紙切れをヒラヒラさせた。童貞たちは戦慄する。

「桜田に元気を出してもらうためだ。皆で行こうではないか!」

「自分が行きたいだけだろ!」

「そうだそうだ!」

「じゃあ、みんなは行きたくないのか?」

「う……」

「割引チケット、いらない?」

「い……ります! 行きましょう畑山様!」

「本番は無しだから、お前たちは童貞のままだぞ?」

「それでもいい! 嘘でいいからぬくもりが欲しい!」

「よう言った。行くぞ者共、出陣じゃ!」

 酔いの回っていたペニオは周囲の熱量に流され、気づくと薄暗い店内にいた。安っぽい仕切り板で分けられた半個室で嬢を待っていた。

「よろしくお願いしますぅ~」

 やって来たのは浅黒い肌をしたギャルである。山岡さんとは正反対と言ってよく、ということはつまり、ペニオの好みからは遠く離れていた。

「こういうところ、はじめてですかぁ?」

「あ、はい」

「緊張してるんですね、かわいいぃ~」

 いちいち語尾を伸ばす話し方も気に入らなかった。ペニオはすっかり酔いも醒めてしまっていた。

「では早速。うぁ、おっきいぃ!」

「はぁ、それはどうも」

「どう? 気持ちいい?」

「はい、気持ちいいです」

 もちろん嘘である。ムク。

「わたしのも、触っていいよ」

 差し出された乳房は大きいだけで張りがなく、だらしなく垂れさがっているという感じで、山岡さんのそれとはやはり対極であった。

「すごく、きれいだ」

 やはり嘘である。ムクリ。

「ホント? わたしのこと、好きぃ?」

桜田ペニオはヤケクソになっていた。

「大好きだ!」

 大嘘である。ムク、ムクリ。

「え、これはちょっと、さすがに……いやぁああああああああああ!」

 まるで別の生き物のように真の姿を現したペニオの男根を見て、ギャルは悲鳴を上げ、泡を吹いて失神した。愛する人の前で無力だったムスコが、今こんなにもギンギンに立ち上がっている。

「お客様、困ります!」

 嬢の悲鳴を聞きつけて、黒服の厳つい男性スタッフが駆け寄ってくる。店内は騒然としていた。ペニオはゆっくりと立ち上がる。ブオンと風切り音を鳴らす肉棒もいっしょに。

「どけ! 俺のペニスが火を噴くぞ!」

 桜田ペニオは周囲を威嚇しながら颯爽と店を去った。

 いつかの夏の日のように、桜田ペニオは半裸で街を駆けていた。しかし今は冬である。身を切るような寒さだが、彼のペニスは湯気が出るほどに発熱していた。今回ばかりは解放しなければならない。そんな確信があった。

「山岡さんなんて、大嫌いだ!」

 夜に吠える。待ちゆく人が恐れおののき通報している様子なので、ペニオは裏路地に入って廃ビルの非常階段を駆け上がった。バキ。

「人間はみんな正直で素晴らしいよ!」

ペニオは両腕で抱くようにして、自らの陰茎を上下にしごいた。バキバキ。

「うおおおおお!」

 ドン、と破裂するような音がして、発射される。廃ビルの屋上で、もはや木のように硬くなって天を目指すそれが、まさしく火を噴いた。汚い花火だ。

「あぁ、本当の人間になりたいなぁ……」

 その晩、街にはやや粘着質な雪が降ったのだった。


 風俗嬢をそのイチモツでもって失神させた男として、一部の童貞たちからは神と崇められたが、それ以外のことはすべて上手くいかなかった。卒論のために研究成果を発表しようにも、知識不足を知ったかぶりで躱そうとすると股間が爆発して研究室は阿鼻叫喚。大学卒業は何とかなっても、就職活動がうまくいかない。企業の面接に臨んでも、質問に答えるたびに男根が肥大化して不採用。面接で真実のみを話すことができる人間は存在するのだろうか。桜田ペニオは困惑する。自分をよく見せるためには、大小はあるけれども、事実を盛って話すことになる。それは嘘として判定され、陰茎はぐいぐい伸びる。

 誰もが羨む高学歴を手にした桜田ペニオであったが、童貞無職として社会に放り出されることになった。志望動機を「お金が必要だからです」と正直に答えても採用されるようなアルバイトをして何とか日々の食い扶持を稼いだ。アルバイトですら、嘘を吐かずに全うするのは至難の業であった。上司の理不尽な指示に対して心にもなく「わかりました」と答えようものなら、股間が反旗を翻す。お客様のハードなクレームに対して思ってもいない「申し訳ありませんでした」を口に出そうものなら、男根が口ほどにものを言う。仕事中に勃起して褒められるのはAV男優だけであろう。人造人間桜田ペニオは数々のアルバイトをクビになった。一流と言われる大学を卒業しても定職につかない二十代後半の男性は、それだけで何か重大な欠陥があるのだろうと判断され、やがてアルバイトの履歴書すら通りづらくなる。

 三十歳の誕生日。いよいよニートとなった桜田ペニオは実家に戻った。地下には研究室があって、ペニオの生まれた培養槽がそのまま放置されている。数年ぶりに戻ったそこには、一人の男が待ち構えていた。

「お、お前は――」

「私は桜田羊さくらだよう。私は、お前の父親だ」

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