第4話「迫る影」

 地下の拠点に静けさが戻ったのは、戦闘の翌朝だった。

 機械人形の残骸はすでに片付けられ、通路の奥で人々が修理や補給に追われている。


 レイは粗末なベッドの上で目を覚ました。

 体中が痛み、特に胸の奥に重い違和感が残っている。

 昨夜、何度も「巻き戻し」を使ったせいだろう。


「……生きてる、か」


 呟いた声に応えるように、横から声が飛んできた。


「おはよう、英雄さん」


 ベッドの隣に腰かけていたのはナギだった。

 彼女は温かい蒸しタオルを差し出しながら微笑む。


「よく眠れた?」

「正直、悪夢ばかり見たな」

「夢でも戦ってるのね……」


 ナギは少し寂しげに笑う。

 だがその目には、確かな信頼が宿っていた。


「あなたが来てくれて、本当に良かった」

「……まだ始まったばかりだろ。これからが本番だ」


 二人の会話に割り込むように、荒々しい声が響いた。


「おーい、新入り! 起きてんなら体動かせ!」


 入口に立っていたのはジンだった。

 巨大な腕を組み、にやりと笑っている。


「昨日の戦いは悪くなかった。だが、お前の戦い方は無茶だ。仲間と組むなら、もっと周りを見ろ」

「講釈好きだな、あんた」

「師匠だと思えよ」


 そう言ってジンはレイを外へ引っ張り出した。


 構内の一角が、訓練場として使われていた。

 鉄くずを積んだ壁、割れた床。そこに銃や近接武器が並んでいる。


「ここが俺たちの稽古場だ。お前の実力をもっと見せてもらう」


 ジンは木刀を取り、レイに一本放り投げた。

 レイが受け取った瞬間、ジンは容赦なく斬りかかってくる。


「うおっ!」


 木刀が火花を散らすようにぶつかり合う。

 ジンの力は重く、一撃一撃が岩を砕くような迫力だ。


「力任せかよ!」

「力こそ真実だ! だがそれだけじゃ勝てねぇ。だからお前の三秒が必要なんだろ!」


 言葉と共に、さらに鋭い打ち込み。

 レイは必死に受け止め、時折ギアを起動して「最適解」を探す。


 三秒前に戻り、角度を変えて避ける。

 ジンの攻撃が空を切り、レイの木刀がわずかに肩を叩いた。


「……っ!」


 一瞬、ジンが目を見開き――そして豪快に笑った。


「ははは! いいな、その動き!」


 汗を拭いながらレイも笑う。

 荒々しい鍛錬だが、不思議と心が軽くなる。

 誰かと本気で打ち合うのは、いつ以来だろうか。


 訓練を終えると、ナギが食料を持ってやってきた。

 乾パンとスープの簡素な食事だが、疲れた体に沁みる。


「ジン、レイを壊さないでよ」

「心配するな。壊すんじゃねぇ、鍛えるんだ」


 三人で笑い合う。

 その光景に、周囲の仲間たちも少しずつ心を開き始めた。


 だが――安息は長く続かない。


 夜、偵察に出ていた仲間が戻ってきた。

 その顔は蒼白だった。


「た、大変だ……! 街の東区に……“処刑者”が出た!」


 ざわめきが走る。

 ジンが険しい顔を向けた。


「処刑者……だと?」


「ええ。クロノス直属の精鋭部隊よ」

 ナギの声が震える。

「普通の機械人形とは違う。かつて人間だった者が、完全にAIに取り込まれて兵器化された存在……」


 レイは息を呑んだ。

 人間が……兵器に?


「それが今、東区で住民を捕らえ始めてる。拠点が見つかるのも時間の問題だ」


 緊張が場を支配する。

 ジンが拳を握りしめた。


「なら行くしかねぇ。住民を放っておくわけにゃいかねぇだろ」

「でも相手は処刑者よ! ジン、あなたまで……!」

「ナギ、誰かがやらなきゃ犠牲は増える一方だ」


 ジンの言葉に、皆が口をつぐむ。


 その時、レイが立ち上がった。


「俺も行く」


「レイ……!」


「三秒じゃ足りないかもしれねぇ。でも、逃げたくはない。ここで動かなきゃ、また同じことが繰り返される」


 レイの決意に、ジンがにやりと笑う。


「よし、言うじゃねぇか。なら俺が先陣を切る。お前は俺の背中を守れ」


「……ああ!」


 二人の間に交わされた言葉は短かった。

 だが、その一瞬に確かな信頼が芽生えていた。


 翌朝。


 レイとジン、そして数人の仲間が東区へ向かった。

 瓦礫と化した街を進む途中、ナギが小型の端末を差し出す。


「これは旧世代のジャマー。処刑者のセンサーを一時的に狂わせられるはず」

「助かる」


 レイはそれを受け取り、胸のポケットにしまった。


 風が吹き抜け、瓦礫の影を揺らす。

 街は静かすぎた。


 そして――


「……いたぞ」


 ジンが指差した先に、それはいた。


 全身を黒い装甲で覆い、背には巨大な鎌を背負った異形。

 人の形をしているはずなのに、その動きは無機質で滑らかすぎる。


 赤い仮面の奥から、冷たい光がレイたちを射抜いた。


「処刑者――」


 ナギが息を呑む。

 その存在感は、ただそこに立っているだけで圧迫感を放っていた。


 処刑者が鎌を引き抜いた。

 鉄が擦れる音が空気を震わせる。


 瞬間、数百メートル先にいたはずの影が、目の前に迫っていた。


「――ッ!」


 ジンが咄嗟に木刀で受け止める。

 凄まじい衝撃が響き、瓦礫が砕け散った。


「くそっ……速ぇ!」


 レイの背筋を冷たい汗が流れる。

 三秒を巻き戻せば避けられる。だが、この速さを攻略できるのか――?


 処刑者の仮面の奥で、無機質な声が響いた。


『命を差し出せ。人間に未来はない』


 絶望を告げるその声を前に、レイは歯を食いしばり、ギアを握り締めた。


「未来は……俺たちが選ぶ!」


 青白い光が歯車を照らし出す。

 三秒の力を携え、レイは死神のような敵へと飛び込んだ。

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