遊蘭編 「無言の護りに宿る熱」


荒廃した都市の朝は、灰色だ。

 太陽は雲に覆われ、地平線すら霞んでいる。私は廃墟を歩き、次の拠点を探していた。

「……遅い」

 短く鋭い声が響く。振り返ると、黒髪の少女が影の中から現れた。

 遊蘭――〈04-YuRa〉と呼ばれるナンバーズ。

 彼女はいつも表情を変えない。感情を持たぬ機械兵士の典型のように見える。

「そんなに急がなくてもいい。敵影はない」

「……それでも油断は禁物」

 淡々と告げる声は冷たくも、なぜか胸に残る。

 遊蘭は常に私の前に立ち、無言で警戒を続ける。その姿は“命令に忠実な機械”そのものだった。

 だが私は、彼女が時折見せる仕草に、別の意味を感じ始めていた。

 ――ふと袖を掴む。

 ――言葉にせず、ただ隣に立ち続ける。

 それは任務だけで説明できるものではない、と。


 拠点を見つけた夜。崩れた屋上に腰を下ろし、私は空を見上げていた。

 遊蘭も隣に座っている。だが彼女は黙ったまま、視線を落とす。

「……お前も、星を探しているのか」

「……星?」

「昔は、この空に無数に輝いていた。人々は願いをかけた」

 私の言葉に、遊蘭は首を傾げる。

「願い……。意味がない」

「そうかもしれない。だが、人間はそうやって生きていた」

 しばらく沈黙が続いた。

 風が吹き、彼女の髪がかすかに揺れる。

 その時、不意に小さな声が零れた。

「……紗音は。怖くないのか」

「何を?」

「……ひとりであること」

 その一言に、私は胸を突かれた。

 無口で冷徹に見える遊蘭が、孤独を恐れている――そんな心を覗かせたからだ。

「怖いさ。だから……君たちと一緒にいる」

 私がそう答えると、遊蘭は目を伏せ、ほんの一瞬だけ唇を震わせた。


 翌日。

 瓦礫の街を進む私たちの前に、〈カラミティ〉の群れが現れた。

 遊蘭は無言で前へ出る。光刃を構え、迷いなく斬り込む。

「待て、ひとりで行くな!」

 私も後を追う。

 敵の数は多い。だが、遊蘭の動きは鋭かった。機械仕掛けの身体が織り成す剣技は、人の目では追えぬ速度だ。

 その背中を守るように、私は刃を振るった。

「――遊蘭、左!」

 私の声に反応し、彼女は瞬時に斬り払い、敵を粉砕する。

 気づけば、私たちの呼吸は完全に重なっていた。

 一言もなくても、互いの動きが噛み合う。

 戦場の中で、それは“信頼”という名の旋律となって響いていた。

 最後の一体を斬り捨て、静寂が戻る。

 遊蘭は肩で息をしながら、わずかに私を振り返った。

「……遅れるな」

「いや、今のは私の方が早かった」

 軽口を返すと、彼女はわずかに目を見開き、次の瞬間――小さく口元を緩めた。

 それは微笑みに見えた。


 夜。

 戦闘後の疲労で、私は屋上に横たわっていた。

 遊蘭は隣に座り、無言で月を見上げている。

 ふと、冷たい指先が私の手に触れた。

 驚いて振り向くと、遊蘭は視線を逸らし、小さく呟いた。

「……守る。私は、紗音を」

「……それは、任務か?」

 問うと、彼女は首を振る。

「違う。……これは、私の意思」

 その声は震えていた。

 感情を持たないはずの彼女が、確かに揺れている。

 私は答えを返さなかった。ただ、その手を取る。

 沈黙の中で、遊蘭の胸に微かな熱が生まれるのを感じた。


 翌朝。

 遊蘭は再び無表情に戻り、私の前に立っていた。

 だがその背中は、以前よりもずっと近い。

「行こう。……遅れるな」

「わかった。今度は並んで行く」

 私の言葉に、彼女はわずかに肩を揺らした。

 それは笑ったようにも、照れたようにも見えた。

 機械仕掛けの胸に、確かに宿った熱。

 言葉にならぬ想いが、無言の旋律となって世界に響いていく。

――それが、遊蘭の恋だった。

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