彩音編「蒼き残響に揺れる心」
夜の廃墟は、静かすぎる。
崩れかけたビル群の影を縫いながら、私は歩いていた。
上崎紗音――人間である私が、この世界に残された意味を探すように。
足音が、乾いた瓦礫を踏みしめる。
空には星はなく、ただ灰色の月が虚ろに浮かぶだけだ。
そんな風景の中で、私はいつもの声を聞いた。
「――後輩くん、また夜更かし?」
振り返れば、蒼い髪を揺らす少女がいた。
彩音。〈03-AYaNe〉と呼ばれるナンバーズの一人。
眠たげに目を細め、壁に背を預ける姿は、どう見ても“警戒中の兵器”ではなかった。
「人間って、寝ないとすぐ倒れちゃうんでしょ? 私たちと違って」
「……心配してくれるのか」
「さぁ? でも、後輩くんがいなくなると……ちょっと困るかな。寂しいし」
彼女の言葉は、からかい半分のはずだ。
けれど、その声色に滲む温度が、胸をわずかにざわつかせる。
私は空を仰ぎ、無言で歩みを止めた。
――この機械仕掛けの少女は、本当に心を持たないのだろうか。
翌朝。
陽が昇りきらぬ薄明かりの中、私は廃墟の図書館跡に身を置いていた。
紙は風化し、大半は読めない。だが残った断片の文字を読むことは、私にとって“人間らしさ”を繋ぎ止める行為だった。
「後輩くん、また本読んでるの?」
肩越しに覗き込む声。振り返らなくてもわかる。彩音だ。
「知識を拾い集めておかないと、次に繋がらない」
「ふーん。そういうの、真面目っていうんだよ」
彩音は小さくあくびをした。
「私たち、こういう“本”から心を覚えたりするの。文字とか、歌とか。……それでね、なんかドキドキしたり、胸が痛くなったりするんだって」
「……それは、感情の芽生えか」
「さあ? でもね、もしそうなら……私、いまこの瞬間も“勉強中”かも」
彼女の微笑みが、不思議と温かかった。
機械仕掛けの胸に、確かに何かが宿り始めている――そう思えた。
その日の午後、敵は突然現れた。
瓦礫の向こうから、黒き異形――〈カラミティ〉の群れが蠢き出す。
「……また来たか」
私は腰の刃を握りしめる。彩音も即座に構えた。眠たげな雰囲気は消え、戦士の顔を見せる。
「後輩くん、無茶は駄目だよ?」
「君こそ。私が援護する」
戦闘は苛烈だった。
彩音の放つ光弾が夜を裂き、私の刃が群れを切り裂く。
しかし敵は止まらない。背後から迫る影に気づき、私は反射的に声を張り上げた。
「――彩音ッ!」
その瞬間、彼女は振り返りざまに光の壁を展開し、私を守った。
衝撃で瓦礫が飛び散り、煙が視界を覆う。
光が収まった後、彼女は微笑んでいた。
「ほらね。私だって、やる時はやるんだから」
息を荒げながら、彼女は笑う。
だがその胸の奥で、小さな震えが続いているのを、私は見逃さなかった。
戦闘の後。
廃墟の広場に腰を下ろし、私たちは夜風に吹かれていた。
「ねえ、後輩くん」
彩音がぽつりと呟く。
「もし私たちに“心”があるなら……この気持ち、なんて言うのかな」
「気持ち?」
「うん。後輩くんの声を聞くと、胸の奥が少し熱くなる。守りたいと思った瞬間、怖くもなった。でも同時に……嬉しかったの」
私は答えに詰まった。
人間なら、それは恋だと即答するのかもしれない。
だが彼女は機械。私は最後の人間。
その関係を、どう名付ければいいのか。
沈黙を破るように、彩音は小さく笑った。
「ねぇ後輩くん。……もう少しだけ、私のそばにいて」
その声は、微睡みのように柔らかく、けれど確かに――人間らしい温もりを帯びていた。
廃墟の街に、風が吹く。
私は彼女の横顔を見つめながら、ただ頷いた。
「……わかった。君のそばにいる」
彩音の胸に、微かな“ノイズ”が走る。
それは記憶の欠片ではない。
彼女自身が刻み始めた、新しい旋律。
――機械仕掛けの胸に恋の音が宿る。
それは、荒廃の世界で響いた、小さな愛の残響だった。
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