第12話「唯一の味方」
休憩室。午後の柔らかな日差しが差し込む。
裕美が少し疲れた表情で、テーブルに腰を下ろした。
「……成吉くん」
「はい?」
「最近、家でちょっと変なことがあるの」
裕美は、声を落とす。
「洗濯物がなくなったり……窓を開けてないのに、カーテンが動いていたり。旦那に言っても、ぜんぜん信じてくれなくて……」
不安を隠すように笑いながらも、その瞳にはかすかな怯えが浮かんでいた。
幸一は、優しく頷いた。
「……それは、不安になりますよね」
「うん。気のせいだと思いたいけど、なんだか……誰かに見られてる気がして」
「……大丈夫ですよ、野田さん。僕がいますから」
そう言って笑った幸一の声は、穏やかで、あくまで誠実だった。
――だが、その胸の奥では別の言葉が脈打っていた。
(俺は全部、知ってる。旦那よりも、子どもよりも、誰よりも)
(大丈夫。俺が守る。俺だけが――)
裕美はその笑顔に、少しだけ安心する。
犯人に相談しているなどとは、夢にも思わずに。
その夜。
裕美は寝室で子どもたちの寝息を聞きながら、窓のカーテンを引いた。
「……大丈夫。きっと、気のせい」
けれど、背筋の震えは消えない。
カーテンの隙間の外――
街灯の下に、ただ立ち尽くす人影があることに、彼女は気づいていなかった。
夕方のステーション。
裕美は誰もいない休憩室の椅子に腰を下ろしていた。
「……また、話を聞いてもらえるかな? 家でのことなんだけど……」
カーテンを閉めても落ち着かないこと。
夜中に人の気配がする気がすること。
最近は夫に神経質すぎる、とイライラされるようになってしまっていること。
ぽつぽつと打ち明ける裕美の声は、かすかに震えていた。
その正面で、成吉幸一は深く頷きながら、優しい笑顔を向ける。
「大丈夫ですよ。僕はいつだって野田さんの味方です」
その一言に、裕美の瞳がわずかに潤む。
「……ありがとう、成吉くん。やっぱり、私の味方はあなただけね」
彼女はそう言って、小さく笑った。
その笑顔には――救われた人間の安堵がにじんでいた。
彼女の微笑みを前にして、幸一の胸に熱が走る。
(俺だけが……理解してあげられる)
(俺だけが……守れるんだ)
夫も同僚も、誰も信じてやらない。
けれど、彼だけは「味方」でいる。
裕美が無防備に口にした「ありがとう」の言葉が、幸一の心に決定的な“確信”を与えた。
――これは運命だ。
――彼女の居場所は、もう俺の中にしかない。
安堵する彼女の表情を見ながら、幸一の微笑みは深まっていった。
その笑顔の奥に潜むものを、裕美は最後まで知らないまま――。
――あの日以来、野田家の窓は常にカーテンが閉じられるようになった。
夜道を歩く裕美の背中には、いつも小さな緊張が貼りついていた。
それでも職場では、変わらず「真面目な後輩・成吉幸一」と笑顔で言葉を交わす。
彼女はまだ気づいていない。
自分の「唯一の味方」こそが、最も近くで全ての鍵を握っていることに。
END
俺だけが知っているきみ ~あの日のほほえみ~ 蟒蛇シロウ @Arcadia5454
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