第3章 海の上で揺れ酔う

    香苗にダンスを断られた夜


 とりあえず今日の夜も、この公園で走っていた。なんか、佳苗と二人で話をしたとき、話の成り行きで里実と二人でディナーに行く流れになった。

 佳苗は里実にもう、それを話したのだろうか、確か、スマホで連絡する仲なので、里実にはコメントで伝わってるかもしれない。どっちにしろ、今日ここで会ったなら、俺から相談してみよう、後から佳苗に言われても里実なら、何とか誤魔化してくれるだろう。


 すると、横からいつもの足音が聞こえてきた。多分里実だろう、だいたい、この交差する道が里実と一番合流しやすい、なんか、昔からの習わしで、里実から声掛ける場合が多い、最近になって、同じ学校のせいか俺も声を掛けるようになったが、中学の頃は俺の秘密の単独特訓だったので、俺から話すことはしなかった。

 「よっ、最近暑いな、でも、走ってるときは暑い日も涼しい日も苦しさは変わらんけどな、水さえ飲んでればだが」

 やっぱり、里実は話し掛けてきた。いつものようにそれに返答、

 「もう、ここ数年暑いままなので、もう慣れた。逆に三十℃くらいだと、涼しく感じるくらい、最近の夏は暑いよ」

 「ホントだな、三十五℃以上が当たり前になったからな、うちの父親なんか、十月でも蚊に刺されるってボヤいてるからな、昔じゃ考えられないって」

 いつものように、走りながらの雑談になった。早速、ダンスの話を振ろう、

 「あ、そういえば、佳苗から聞いたんだが、なんか中学の頃、ダンスチームに入ってたんだってな」

 里実は、ハッとした顔をした後、平静を装い話し出した。

 「佳苗がそんな話したのか、いやぁな、中学のとき、ある女子がブレイクダンスにハマってて、なんかダンスの大会に出たいけど、五人必要で、しつこくお願いされたから出たんだよ」

 少し、照れた感じで喋ってた。

 「へー、里実は佳苗と違って、何でも出来そうだからな、運動神経もすごそうで、どんなスポーツでも活躍しそうだし、ダンスもすぐ出来そうだしね、あ、ダンスでソロでも踊ったんだって、佳苗が言ったよ」

 里実は珍しく、照れながら喋った。

 「佳苗め、それは違うんだよ、元々、バックで踊るだけって言われたのに、その振付を、ダンスにハマってる女子に教えて貰って踊ってたんだが、その女子、調子に乗って沢山、俺にダンス教えて、だんだん熱く指導されて、いつの間にかソロパートができるくらいになったんだよ、それでその女子、ダンスの手順を変更して、黙って俺のソロを追加しやがって、俺はそれを知らずに大会当日のダンスの振付を練習してただけだ」

 「つまり、バックで踊るだけと思って、指導通り踊ってたら、なんかソロで踊ってたって事かな」

 「そうだよ、だから、何を踊らされたのかも知らないんだ、そして忘れてしまったので、今踊れって言われても無理だぞ」

 「うそだろ、大会に出るなら、何度も反復練習して、今でも覚えてるだろ」

 「忘れたって言ってんだろ、忘れたよ。だから、もう踊れない、もし、踊れって言ったら、俺、帰るからな」

 今回は里実のソロダンスを見るのが目的じゃないので、これ以上の追及は止めよう、里実のダンスも見てみたいが、ディナーと社交ダンスが優先だ。

 「ええと、違うんだ、俺ね、母の友達から豪華客船ディナーのペアチケット貰ったので、佳苗誘おうとしたら、ディナーのサービスの中で社交ダンスがあって、それを踊るのが嫌で断られたんだ。それで、里実はいけるかの話で、佳苗が中学のときのダンスチームの話をしだしたんだ」

 里実は、頭を傾げながら応えた。

 「ん、豪華客船のディナー?社交ダンス」

 「そうなんだ、船でのディナーの中に、途中で社交ダンスを踊る時間があるらしくて、ホントは、それ目的でチケットを買ったらしいんだが、その母の友達は、予定がなくなって、チケットをキャンセルするならって、母に譲って、俺に回ってきたんだ、そのディナーサービスが」

 里実は、何か、考えてそうなまま話した。

 「うん、それで、俺のダンスの話になったのか」

 「そうだ、じゃあ、ダンスが出来る里実と一緒に行けばって話になって、佳苗が里実に頼んでくれるってなったんだ、俺と船のディナー行かないかって」

 里実は、目を細めて、眉間に皺を寄せて喋った。

 「え、え、俺がお前と、船のディナーに行って、お前と社交ダンス踊るの?」

 俺は、少し照れながら、軽く話すことにした。

 「え、まぁ、そういうことになるかな、佳苗から聞いてるかな?」

 里実はびっくりして立ち止まり、慌てて喋った。

 「ないない、ない、話なんか来ていない、いきなりなんだ、いきなり何言い出すんだ」

 俺も立ち止まり、喋った。

 「そうか、まだか、そりゃ、今日、その話をしたばっかだからな」

 「なんだよ、いきなり、なぜ、俺がお前とディナー行かないといけない、第一、社交ダンスなんか知らないぞ、そんなの習ったことないぞ」

 「心配しなくてもいい、その友達って、母と一緒に社交ダンス通ってた友達で、その社交ダンス教室のレッスンなら母が授業料出してくれるらしい、二人分を」

 里実は更に激しく慌てて喋る。

 「なぜ、お前と社交ダンスを習わないといけないんだ、ふざけんな」

 「いや、基本的なステップだけ覚えてればいいらしく、会場もワルツしか演奏しないので、そんな長く教わらないって、いや、母に相手が用意できるなら、一度世界有数の豪華客船に乗ったほうがいいって、社会人になって働き出したら、こんなの行けなくなるくらい時間に追われるからって言われて、俺も行きたくなって」

 里実は変わらず慌てて喋る。

 「マジかよ、なぜ俺になる、佳苗でいいだろ」

 「だから、佳苗を誘ったんだが、絶対に嫌と何度も言われて、じゃ、里実は、ってなって、里実がダメだったら、他の女の人に頼むようになるって言うと、佳苗はしぶしぶ、里実に頼んでみるって言ってくれて」

 「だから、なぜ俺になる、俺は佳苗の代打か、俺がお前と社交ダンスって」

 「多分、佳苗も里実だったらと思って、渋々了解したみたい、里実以外だったら、ダメと言われて、一応、里実だったらって話になったんだけどな」

 里実は、少し考えて、また喋った。

 「だから、あー、なぜ俺になる、あー、なんなんだ、今日は」

 俺も間髪入れずに説得しよう

 「もし、里実が断ったら、恐らく、このディナーは行けない、あーあ、なんか、少し前まで世界で一番大きい豪華客船で、世界中を遊覧してる中、日本に1週間程、停泊するときの特別なディナーサービスなのに、世界でも有数の豪華客船らしいのに、惜しいね」

 里実は少し切れ気味に喋る。

 「なんか、俺が悪者みたいじゃないか、別に上手く踊れなくてもいいんだろ、佳苗でいいだろ」

 「佳苗は絶対行かない、今、秋の大会で頭がいっぱいなのに、社交ダンスなんて絶対やらないって、断固断るんだよ」

 里実は溜息着きながら喋った。

 「確かに、あいつは秋の大会に向けて燃えてるよな、夏の県大会は惜しかったけど、佳苗は納得いかない走りだったみたいで、悔しがってたからな、次の大会は絶対に全国行きたいってうるさかったからな」

 「そうだろ、そんなときだから、他をする余裕ないんだよ」

 「だからって、じゃ、俺かよ」

 俺は、何とかお願いしようと頑張る。

 「行きたいんだよ、世界有数の豪華客船に、しかも無料だ、こんなチャンスないぞ」

 「でも、お前と社交ダンス踊るんだぞ」

 「いいじゃないか、その時だけ我慢してくれたら…、お願い、こんなチャンスないぞ」

 里実は少し考えた、そして珍しく、しばらく黙り、また走り出した。

 俺も、里実の後について行った。

 二人はそのまま、もう、喋らないまま、一緒にランニングをした。里実は常に考えてそうな感じで走ってた。


 二人、無言で走っている内に、いつもの広場に着いた。この広場でしばらくの間、お互い、何かを運動して終わる。

 この広場に辿り着き、いつものタイミングで、ランニングの終わりになるときに、里実は口を開いた。

 「お前、そんなにその豪華客船に行きたいのか」

 俺は、その問いに応えた。

 「一度パンフレットや動画見たらわかるよ、この豪華客船、マジで大きいんだ。地元のボーリング場の敷地よりも大きな施設がいくつもあって、それら全て、船の上なんだぞ、サーフィンもできるプールもあり、フィットネスジムやレストラン街もありで、街そのものが船の上にあると思ってもいいくらい、とにかく大きいんだ、高さも十階あって、水面から船のてっぺんまでは高層ビルと同じくらい高いみたい、そんな豪華客船に乗れるチャンスなんか、なかなか無いだろ、そこで食事ができるチケットがタダで手に入るんだぞ、行ってみたいって、誰でも思うだろ」

 里実は別に視線を向けながら喋った。

 「見たことあるよ、高校の五倍くらいデカいレジャーランドが海の上に浮かんだ感じの巨大客船を紹介する動画で見たな、あの客船に乗れるのか」

 「そうだよ、そのチケット代ってペアで十四万だぞ、そんな高いチケット買ってまで、巨大客船に乗りたいって思うか?思わないだろ、それがタダで譲られて行けるんだよ、行きたいって思うだろ」

 「俺もそんなチケットをタダで貰ったら、どうするかな、やっぱり、無理してでも相手探して行きたいってなるだろうな、今のお前みたいに」

 「だろ、客船で日本からアメリカに行こうものなら、一か月は船の上だぞ、そんな豪華客船に大金払って乗る人なんか、暇持て余してる金持ちだけだぞ、そんな世界を回遊してる巨大客船の中に入れるチャンスだぞ、行きたいだろ、行けるなら」

 里実は首を傾げながら喋った。

 「まぁな、行けるチャンスあるなら、行くよな」

 「でも、佳苗は行きたくないって言うし、里実以外はダメってなったし、里実が一緒に行ってくれたら、その巨大客船のディナーに行けるんだよ、なっ、なっ、一日だけ、我慢してくれるかな、お願い」

 俺は手を合して頭を下げて、里実にお願いした。

 里実は、しばらく沈黙した後、重い口を開いた。

 「はぁ…、わかった、わかった、今回だけは、行ってやるよ、はぁ、女友達となら喜んで行くんだが、お前じゃあな、はぁ、もし行くなら、お前と社交ダンス習わないといけないんだろ」

 俺は顔を上げて、里実の問いにすぐに応えた。

 「うん、なんとか、基本だけでも、覚えないと、みたい」

 里実は溜息みたいなのをついて、呆れ返りながら、

 「なんで、お前と手をつないでダンスしなきゃ行けないんだ」

 そして、里実は頭を抱える。

 「なんで、俺はこんなに嫌われてるんだ、そんなに嫌なのか」

 里実は、目を見開いてはっきり言う。

 「いやに決まってるだろ、なぜ、お前と手を繋いで、抱き寄せ会って、社交ダンスを踊らなきゃ…、ああ、想像しただけで背中が寒くなってきた」

 俺も、里実と抱き寄せ会って、社交ダンスを踊ってる姿を想像した。やばい、確かに悪寒がくる。

 「た、たしかに、ちょっとくるものあるね、背筋が寒いね」

 「だろー、そうだろー、ああ、きつい、お前、よく言ったな、俺と社交ダンスやろうなんて」

 今になってから、里実がなかなか良い返事出さなかった意味が解ってきた。巨大豪華客船に乗ることばかり考えて、身内の女と社交ダンス踊るのは全く考えてなかった。

 「いや、ちょっとくるものあるけどね、でもさ、でもさ、やっぱり、世界でもトップクラスの巨大客船に乗ってみたいと思うじゃん、そんな機会、これからあるかって言われて、一度あるかないかって思うじゃん、そんな豪華客船に乗れるチャンスあるなら、乗りたいって、めっちゃ思うじゃん、二人で社交ダンスは、なんとか目を瞑ろう、お互いに」

 「おいっ、なんでお互いだ、なんで、俺とお前がお互いで同等の立場だ、ふざけるな、俺は、お前のお願いに付き合わされるんだぞ、何度も頼まれて、仕方なく付き合うんだぞ、ふざけるなよ、もう、行かないぞ」

 その言葉に、俺は慌てて、再び、お願いした。

 「いや、ごめん、ごめん、ごめんね、俺のわがままに付き合ってくれて、ほんと、同級生と社交ダンスをやるなんて、俺が豪華客船に乗りたいだけなのに、付き合わせて、ごめん、ごめん、じゃ、母に、一緒に行ってくれるパートナーが見つかったって言うから、その後、社交ダンス習いに行く日も今度言うから」

 とにかく、一度はOKしてくれたんだ。もう、行く前提で話を進めよう。

 「くそう、なぜ、俺がお前と社交ダンス踊らなきゃいけない、なぜ、お前も、俺とダンスが嫌みたいなこと言われなきゃいけない、俺は女だぞ、ふざけるな、何がお互い様だ、ふざけるな」

 お互いという言葉が、とんでもなく引っかかったみたいだ、俺から誘ってて、俺にダンスを嫌がられるって言われて、確かに引っかかるよな、よし、なんとか、行く前提で話を進めよう

 「わかった、わかったよ、もう、とにかく、一緒に社交ダンス練習してみよう、今度乗る巨大客船のパンフレットや動画見せるからな、その船内をいろいろ周ろう、そして、高そうなステーキをその巨大客船で食べて、悦に入ろう」

 里実は再び頭を抱え込んで喋った。

 「なんで、お前と客船で食事とって社交ダンスなんか…、ああ、もどしそう…」

 ここは、ぐっと堪えて、励ますのに全力を尽くそう。

 「そこは考えるな、巨大客船内にいっぱいある店を練り歩いて、レジャーランド行くみたいに楽しめばいいよ、そして夜になって船の上で食事して、一生に一度しかないよ、楽しみだな」

 里実はまだ頭を抱えたままだ、

 「はぁ、今日はもう帰るわ、とにかく、家で休むわ、じゃあな」

 里実は、頭を抱えながら公園の広場を後にした。

 一緒に行ってくれるかな、一緒に社交ダンス習ってくれるかな、ちょっと不安になるけど、まぁ、里実なら大丈夫だろと思い、俺も家に帰ることにした。


    秋と制服の女


 夏休みも終わり、二学期がスタートした。部活では、佳苗が単独での練習が多くなり、練習中の彼女は、かなり集中していて入れ込んでいて、とても話せる状態じゃない。休憩中や学校の帰りも、だんだんと二人の会話が、心なしか少なくなってるような気がする。佳苗は昔に比べて、なんか、どうでもいい感じになってる感じがする。確かに、何でもいつかは冷めるし、二人でいることに慣れてきたと捉ええれば、これが自然だなと、思って、二人でいるかな。


 ある昼の休憩だった。俺は食堂で昼食を取り、部活仲間の教室に行こうとして廊下を歩くと、窓に持たれて、窓から吹き抜ける風に髪が揺らされながらノートを見ている里実がいた。

 学校ではたまにしか里実に会わないし、会っても挨拶だけがほとんどで、学校にいる里実には気にも留めなかった。俺には俺の学校生活や友達がいるし、佳苗と俺は学校生活がよくリンクしていても、里実と俺の学校生活では、全くと言っていい程、リンクしていない。そんな他人な振る舞いで同じ高校の制服を着て、窓の風で髪を靡かせ、窓の光が顔に、制服に写り、ノートを眺めている里実が目の前にいた。前にも言ったが、里実は高校では普通に化粧をしていて、髪も茶髪じゃないが、薄っすら暖色系の色をつけ、その髪が光に当たりオレンジの光沢を出し、スカートは短めで、脚は運動しているとは見た目感じない程細くて長い、なんか、モデルの写真の一部分のような、窓の光に照らされた里実が居た。

 ほんと、毎晩会って、話をしていなければ、今の里実は、高校でも上のランクの同学年の女子として見てただろう、見た目だけならね、でも、話すと、俺をお前呼ばわりする、ムカつく女だ。超生意気な、姉と妹を足して二で掛けたような生意気さのあるウザい女だ、黙って、済ましていれば、こんな可愛いのにと、溜息つきたくなる。

 当たり前だが、俺が歩く度に、だんだん、窓に持たれた制服の里実に近づく、ある程度近づくと、心なしか歩く速度がゆっくりになってる俺、公の場だと、声を掛けるかどうか、少し迷っているせいなんだろうな、

 そう思ってる間に、ふと里実がノートから目を反らして、俺に目線が行った。不意を突かれた筈の俺だが、何一つ動揺していない感じを見せて、ハッと、今気付いたような演技を軽くして、俺も里実を見た。里実は、どうしていいか解らない俺を、全く気にせずに、何も動揺せず、普通に話しかけてきた。

 「浩介じゃないか、今日は食堂か、佳苗は元気か」

 俺は、意識をしていない、自然を装ってるつもりで、多分、自然に応えようと尽くしてる。

 「うん、佳苗は相変わらず、大会に向けて頑張ってるよ」

 里実は、ごく普通の同じ高校の女子のように話した。夜のとは違うが

 「そうか、佳苗、全国に行けるといいな」

 俺は、そんな里実に合わせて、同級生に話す感じで多分、普通に話している。

 「今、何してるの?そのノート何?宿題か何か?」

 「あ、これ?これは野球部のマネージャのノート、秋になると野球部も練習試合か大会で忙しいから、試合に合わせて練習とかのスケジュール立ててるからね、そのノートを見て確認とってるよ」

 「マネージャも大変だね」

 「でも、今でもマネージャの仕事全部はしていなくて、同級生の部員と役割分担しているけどね」

 「でも、試合とか、ユニフォーム用意したり、スコア取ったりとか、大変だろ」

 「うん、部が終わったら、いつも、キャプテンとファーストフードとかに行って、このノート見ながら、スケージュール考えたり、修正したり、試合の記録見て出場メンバー考えたりで、選手っていうより、コーチしてる気分だな」

 え、キャプテンって、海に行ったときの、確か、倉田斗次だったかな、あいつと一緒に部活の打合せしてるのか、全く知らなかった。というか、よく考えたら、里実に高校生活なんて聞いたことなんてなかったな、中学の頃から毎晩いるから、里実のプライベートなんて聞いたことがない、女の子の私生活を聞くと変態かと思われそうだし、元から興味ないし、でも、高校が同じなら聞くべきだったか、佳苗とは高校で会ってるかとか、夏休みはどうだった?とか、いやいや、公園で会ってるし、そうか、そうだよな、野球部のマネージャなら普通に野球部員やキャプテンと話をするだろう、打合せするだろう、俺の何が引っ掛かってるのか、いや、もういいや、気にしていない素振りで話そう。

 「へー、マネージャも大変だ、それなのに、社交ダンスなんて頼んで、悪かったな」

 里実は、少し口元に笑みを浮かべて喋った。

 「全くだ、とんでもない頼みをしてくれな、もう、どうなるかは知らんぞ」

 俺も少し照れながら喋った。

 「ああ、どうなるかは俺も想像がつかないが、レッスンの日は、母がスクールに頼んで手配している。日にちが決まったら、また言うよ」

 里実は、黒歴史の記憶を思い出したかのような表情をしながら、ああと言わんばかりの顔をして喋る。

 「はぁ、そうだよな、それがあったな、学校では思い出したくなかったな、まぁ、約束したんだ。つきやってやるよ、巨大客船乗りたいとも思ったから」

 そんな、観念した顔の里実を見ながら、足を動かし、歩き始めながら、最後の声を掛けた。

 「じゃあな、ごめんな、変なのに突き合わせて」

 里実は、自身のこめかみにまっすぐ伸ばした指二本を当てて、その指を横に軽く振って、女の子なバイバイの仕草をして、再び窓に持たれてノートを見ていた。

 俺が、そんな里実を見たとき、不意に周りに違和感を覚えた。いつの間にか、女子も男子も、見慣れない同学年の生徒が俺の顔を見ていた。なんか、変な事したかなと感じたけど、ま、いいかとすぐに忘れ、俺は知り合いのクラスの教室に向かった。


    里実の正体


 とりあえず、部活仲間と用を済ました後、自分の教室に戻ったが、俺の席に座るなり、クラスの友達が俺に話しかけた。

 「お前、A組の石井さんとなんか親しく喋ってたって、噂になってるぞ」

 いきなりの友達の発言にびっくりした、こいつら、何を言ってるのか、まだよくわからなかった。

 「なんだよ、いきなり、石井って誰だよ」

 「だから、A組の石井さんだよ、お前知らないのか、あの石井さんだよ、なんかさ、A組のやつらが騒いでるんだよ、石井さんと恋人みたいに喋ってる男子がいて、そいつは誰だって、騒いでるんだよ、石井さんが男と親しく話してるなんて無かったから、それで、クラスで話してるうちに、安田さんの彼氏の、このD組の中川みたいで、お前が噂になってたんだ」

 安田って、確か、佳苗の上の名前で、…、あっ、里実って石井里実だっけ?あ、そうだ、里実って石井だったんた。そう言えばそうだよ、石井さんって里実だよ、なるほどね、

 「あ、石井さんね、うん、さっき話したよ、それが何なんだよ」

 「いや、お前、あの石井だよ、A組の石井さんだよ、有名じゃないか、学年でも一、二を争う人気で、お前、知らないのか、中学の時から安田さんと二人で男から人気で有名だって、同じ中学の奴が言ってたよ、その石井さんって、中学の頃から男と話してる姿を見た人なんていないくて、高校でも野球部の部員とは喋ってるけど、なんか、今日の昼に突然、馴れ馴れしく喋ってる男が現れたって、教室でみんな話題になってたぞ、それで聞いてみれば、お前だったらしくて、みんな、お前のこと話してたぞ」

 なんか、俺のいない所で、変になってるみたいだ、あ、そう言えば、里実と別れた後、周りが注目していたっけ、その理由が今わかった。里実と喋る男が珍しかったんだろうな、

 「いや、石井さんは部活の仲間の佳苗、いや、安田さんと親友だから、よく知ってるんだよ、一度、安田さんが中学からの友達を紹介するからってボーリング場に行ったときに会わしてくれた友達が石井さんだったので、それから会ったら、挨拶したり、佳苗のこと聞いたりする仲になったんだ」

 なんとか説明したが、目の前にいる野郎は、なんか腑に落ちないみたいだ、

 「お前な、安田さんと付き合ってるだけでも凄いのに、石井さんとまで仲がいいって、なんか腹立つな、まぁいいや、けどな、石井さんを思ってる男って、かなり居るからな、夜道は気をつけろよ、全く、お前はこの学校に来てからついてるよな、安田さんもやばいくらい可愛いのに、くそう、もういいよ、言ってて余計にムカつくから」

 この男子はそれを言って席を立った。それと同時に、いつの間にか、俺たちを囲んだ同級生の集まりも、この男子と共に方々に散らばり、いつものクラスに戻った。


 授業も終わり、陸上の部活動に明け暮れ、今日も佳苗と帰ることになった。今日、廊下の窓辺で里実と話した出来事は、佳苗の耳にも入った。と言うより、里実が男と喋ってる噂を佳苗が聞くと、直接、里実に聞きに行ったという情報も友達から聞いた。佳苗は隣のB組なので、全力疾走でA組に移動したらしい、それで、俺だとバレて、クラス中に広がったらしい。

 なんか、今日はいきなり、佳苗から絡んできた。

 「おい、浩介、今日、里実といちゃついてたって、みんな言ってたけど、ホントか、浩介、堂々と浮気するな、私をなんだと思ってる。里実に用があるなら、私に言えばいいだろ」

 やっぱり、その話題か、調べたというか、佳苗が里実に直接聞いて、真相がわかって、みんなに広がったんだろうがと、言いたいのを我慢して応えた。

 「いや、廊下に居たので、挨拶して、少し喋っただけだよ、以前に佳苗がボーリング場で紹介したし、海水浴にも行ったんだから、挨拶して喋ってもいいだろ」

 佳苗は、少し口がニヤけながら喋った。

 「あいつ実は、やばいくらい男子に人気あるんだぞ、中学のときから、だから、里実と親しく話すと、すぐクラスで噂になるから気を付けろよ」

 そうなのか、里実から聞いた話だと、小学校の頃は男子とよく野球したって言ってたから、というか、佳苗からも聞いたよな、佳苗の兄を連れてクラスの男子と野球やってたって、それ聞いてみよ

 「佳苗が前に、小学校の頃、里実ってクラスの男子と兄と野球やってたって聞いたから、里実さんって、男友達も多い印象あったから、以外で」

 佳苗は、間髪入れずに、キレ気味に喋った。

 「小学校は小学校だよ、中学だと男子は野球部で、私達は女子の野球チームに入っていたから、中学になって里実も男子と遊ぶ機会が減ったんだよ、そして、なんか、里実が男子に人気が出始めて、男子から一目置かれるようになって、男子が里実に話さなくなったのが正解かな、私からは、幼い頃から変わっていないからね、里実は」

 そうなのか、あ、あれ、里実って、佳苗に言い寄る男を追い払う役だったって言ってたけど、それも聞いてみようかな、

 「なんか、以前、里実さんのことを聞いたとき、佳苗に言い寄る男を里実さんが追い払ったって話を聞いたけど」

 「うん、そうなんだ、なんか、私には話しかける男子が多かったの、私のが親しみ安いのかな、そんな男子を里実がキレ気味で睨んで、なんか用?って冷たく聞くようになってから怖がって、里実と話す男子が居なくなったんだよ、でも、里実に好意持ってる男子イッパイいたよ、里実は鈍感だから気付いていないだけで、そういうの里実、無頓着なのよ」

 そうなのか、そんなに里実ってモテるのか、知らなかった。いわゆる、近寄り難いマドンナの立ち位置だったんだな、本人はモテてるのも気付かずにね、わかると言えばわからんでんもないよな、

 口元はニヤけながらも目は俺を睨みながら佳苗は話した。

 「だから、今日、親しく喋ってる男子が居て、クラスは男子も女子もその話題で盛り上がってたよ、里実の彼氏って誰なんだって、私もそれを聞いて、思わず里実本人に聞いたんだよ、里実、彼氏出来たの?って、そしたら、浩介だって言うから、私が一番驚いたよ、浩介、浮気したなって」

 「なんで、以前紹介された、佳苗の友達と話して浮気なんだよ」

 佳苗は畳みかけるようにクラスから聞いた情報を開示した。

 「なんか、里実って名前で呼びかけてたらしいね、しかも呼び捨てで、クラスで里実を呼び捨てで呼ぶなんて、私含めた女子野球チームのメンバーしかいないんだけど、いつから里実を呼び捨てするようになったんだ?」

 あ、そういえば、話してるとき、つい、里実って言ったっけ、というか、苗字が石井なんて、すっかり忘れてしまったからね、どう誤魔化そうか、

 「あ、いや、里実さんの名前って石井里実だったんだね、佳苗からは里実しか教わっていないし、ボーリング場でも海水浴でも、みんな里実って呼ぶから、つい、それが、ニックネームだと思って、だって、上の名前知らなかったし」

 「それでも、さんは付けるだろ、聞いた話だと呼び捨てって聞いたぞ」

 「それは、ごめん、だから、佳苗や女友達がみんな里実っていうので、ニックネームと勘違いしたんだよ、ほんと、ごめん、俺、石井さんと、そんな親しくないから、そんな呼び方はダメだよな、確かに思う、ごめん」

 佳苗はやっと、俺から前に視線そらして話した。

 「いいけどね、私はそんな気にしていないよ、私も里実って言うし、里実が気にしていないなら、いいけど、クラスで里実って呼ぶ男子はいないから、私がいない時は気を付けたほうがいいよ、里実、人気あるんだからね」


 そうだな、今度から、公園で話す以外は石井さんって呼んで、少し敬語でよそよそしく話そうと誓った。あ、そう言えば、豪華客船のディナーの話をしたほうがいいな、その話を学校で、里実と話したんだって、

 「あ、今日の昼に石井さんに話したんだけど、豪華客船に一緒に行く話、佳苗から聞いていないかなって、尋ねたんだよ」

 佳苗は、すぐさま、ギクッとして、慌てて話し出した。

 「え、豪華客船の話をしたの!、うそだよ、なんで私から話していないのに、浩介から話すの?私に聞けばいいじゃん!里実にその事話したの?」

 俺は、驚いてる佳苗を不思議がりながらも話した。

 「うん、豪華客船のディナーに一緒に行けるかって聞いたよ、もう、佳苗に言って二週間は経ってるから、既に佳苗から聞いてると思ったから」

 佳苗は顔を真っ赤にして喋った。

 「なんで、なんで言うのよ、私から言うって言ったじゃん、急ぎすぎだって」

 「急ぎすぎって、二週間も経ってるんだぞ、ダンスのレッスン期間も考えると、返事をもう聞かないとと思って、偶然廊下に石井さんが居たから、聞いたんだよ」

 「なんでかな、私に黙って、他の女とディナーの約束するかなー」

 「いや、佳苗に言ってって、頼んでたし、だったら、断ればいいじゃん」

 「あんな言い方したら、断れないじゃん」

 「というか、石井さんに伝える気があったのか?もしかして、言う気なかったとか」

 佳苗は更に、慌てて喋った。

 「そんなことないよ、そんなことないけど」

 俺は、間髪入れずに喋った。

 「佳苗がとっくに言ってると思って、里実…いや、石井さんにディナーのこと聞いたんだよ、佳苗から聞いてると思うでしょ、二週間も経ったから」

 「そりゃそうだけど…、それで…、里実は何と言ったの?」

 「普通にいいよって言ってくれたので、一緒にダンスのレッスン受ける日程組むよ」

 佳苗は目を見開いて、少し引いて喋った。

 「えー、行くの?里実行くの?えー、里実と一緒にディナー食べて、社交ダンス踊るの?マジ?マジ?ホントにやるかね」

 俺は、佳苗の今の驚いた表情にびっくりして聞いた。

 「え、佳苗、どうしたの?何があった?最初、佳苗を誘ったけど、秋の大会で忙しいからダメって言ったじゃん、踊り苦手だから社交ダンスなんてとか言って嫌がってたし、それで、ダンスが得意な里実…、いや石井さんと一緒に行けばって言ったの佳苗だろ、どうして、そんなに怒ってるのだよ」

 「私は里実と行けばなんて言ってないよ、というか、私のときは石井さんじゃなくて里実でいいよ、ウザいから、浩介が里実はダンス出来るかって私に聞いて、私は得意って応えて、じゃ、里実を誘ってって、浩介が言ったんじゃん」

 「同じようなものだろ、佳苗は里実に言ってくれるって了解したから、でも、二週間経った今も、里実に言ってなくて、俺が里実に直接聞いて、佳苗が怒ってるんでしょ、怒りたいのは俺だよ、ダンスのレッスンの日程もあるから、早く返事が欲しかったんだよ」

 「違う違う、ちがうよ、全、然、ちがう、私は、ホントは、里実に聞くの嫌だったけど、浩介が頼むから、渋々了解したんだよ、私からじゃないよ」

 「でもさ、もう、里実は行ってくれるみたいだから、もういいじゃん、なんでそんなに怒ってるの?俺が悪いみたいじゃん」

 いつの間にか、佳苗はホントにキレてるみたいだ。

 「あー、もういいわ、えとね、私怒ってないからね、浩介が、私を悪者みたいに言うから、言ってるだけだからね、あー、もういいわ、今からハンバーガー行ってポテト食べようか、それともアイス食べようかな、今日は浩介の奢りだからね、浩介は里実と豪華客船に乗って、一緒にディナー食べるんだからいいよね、浩介の奢りで、あーあ、彼氏は他の女の子と豪華客船でデートして、私はポテト、なんか、腹立ってきた」

 なんだよ、佳苗に了解得てるのに、なんで怒ってるんだろう、女って難しいよなって思う、無神経な浩介であった。


    ダンス教室とその夜


 世界でも有数の巨大豪華客船のディナーに向けて、里実と浩介はダンス教室でレッスンを受ける事となった。

 教室側も若い高校生が習うので未成年割引で安くしてもらい、二人は定期的に教室に通って、いつの間にか、真剣にダンスを習っていた。里実はやはり持前の運動神経で上達が早く、それに比べ、ステップの足どりでイッパイな俺は、里実と比べてドン臭く、物覚えが悪い、しかし、それでも、年配の人に比べると体は機敏で上達が早いみたい、ダンスの先生は若い俺たちを気に入っているらしく、他の人以上に長い時間、レッスンを受け、積極的に指導して貰っている。

しかし、まだ高校生の俺が、同級生の女子に、一緒に社交ダンスしようなんて誘ったのを後悔する出来事が起こった。

 今までは、一人でシャドーダンスを踊って練習してきたのに、次の段階では、先生とペアで踊るレッスンになった。その時初めて知ったが、社交ダンスは男女お互いの右半分の腰を密着し合って踊るみたいだ。しかも、男性はその腰同士が離れないように女性を抱きかかえながら、常に踊りなさいと厳しく指導される。そして、密着して二人で踊ってる最中は当たり前のように相手の胸が当たる。社交ダンスはなんて刺激があるのかと、里実を誘ったのを後悔した。

 里実は俺と体を密着して踊るのをどう思うのか。そもそも、踊ってくれるのかも未知の世界だった。その里実は男性の先生と一緒に平気な顔して、密着して踊ってる。見た感じは、俺みたいな意識はしていないみたいだ。俺は思いっきり、腰に意識してしまう。女性とくっついて踊るのに全く慣れない、ああ、社交ダンスは大人のダンスなんだなと気軽に佳苗や里実を誘った無知な俺を呪った。


 夜、いつものように、日課で公園を走ってる。ダンス教室に通い始めてからは、最後の広場では、教室で習ったものを復習する場になってる。

 いつもはステップやシャドーを二人、別々で練習してるが、今日はさっき言った通り、先生と二人で社交ダンスを踊った。今日の広場はそうする?いつものステップやシャドーで誤魔化すかな、そんなこんなを考えている内に、いつもの声で横から話しかけられた。

 「よっ、お前、最近、ダンスの練習ばっかりだな、陸上の練習はどうするんだ?ダンスの練習に熱中してていいのか?」

 いつもの里実が話し掛けてきた。

 「うーん、里実に頼んだ以上、中途半端には出来ないし、陸上はやっぱり、なんか、俺の限界が見えてきて、中学ほど熱意を以って練習出来なくなってきてるよ」

 里実は少し済ました顔で尋ねた。

 「どうして、中三の時の大会は良い結果が出て喜んでいただろ」

 「確かに、だけど、佳苗もそうだけど、素質ある人は一年から結果を出すんだよ、女も男も、夏の大会、優勝した男性も一年の同学年で中学から知ってる選手だ、インカレでも決勝まで行って、国体にも参加して、俺とは別次元なんだよ、別種目でも、一年で結果を残す奴はどれも、練習したから勝てるような相手じゃないんだよ、モノが違うんだよ、モノが、確かに中三の大会の成績は良かったけど、俺がどんなに練習しても、勝てそうな相手じゃないよ、今回優勝した同学年の選手とはね」

 里実は、少し溜息をついて言い返した。

 「そんなのわからないじゃないか、相手が怪我するかも知れないし、努力すれば、今以上にタイムが伸びるかも知れないし」

 「その優勝した選手だけじゃないんだよ、同学年で勝てそうにない人は、都道府県に最低でも各一人以上いるよ、そりゃ、2年3年になれば、先輩が居なくなって、成績は上がるよ、けど、大学に行ったら、そんな望みもなくなる。もうトラック競技続けるくらいなら、箱根駅伝目指したほうが現実的だよ、俺の成績じゃ」

 里実は、その話を聞いたとき、女子野球の全国大会の試合を思い出した。それまでは中学の女子野球チームでベスト8、あわよくば準決勝、優勝も可能と、以前は思っていた。しかし、全国常連チームの選手の体格やピッチング、試合前の練習を見るだけも自チームとの差は歴然だった。仲間も完全に呑まれていて、勝とうとする意気込みは消え失せ、全員が心ここにあらずだった。試合前から、勝てそうな空気ではなかった。そんな思い出があるせいか、今の浩介に頑張れば、全国クラスまで昇り詰めるとか、無責任な励ましは出来そうになかった。それでも、励まさないとと、思い返し、浩介に声を掛けた。

 「でもさ、高校で一生に一度だろ、卒業したら当たり前だけど、二度と高校生に慣れないから、大会に出るなら悔いを残さないために、全力で練習やったほうが良いよ、中途半端にしたら、一生後悔するぞ」

 浩介は下を向いた顔を前に向けて喋った。

 「確かにな、でもさ、陸上の練習、手を抜いてる訳じゃないよ、やる気ないなら、ここには来ないよ、ただ、中学よりも気持ちが熱くないだけだよ、ダンスの練習もするけど心配しないで、陸上も、ちゃんと練習するから、心配してくれて、ありがと」

 「馬鹿野郎、心配なんかしていないぞ、折角、中学からやってきた陸上なのに、今、手抜いたら勿体ないと思っただけだ、なぜ、俺が心配しないといけない、全く」

 里実は機嫌を損ねた感じだった。

 俺は、そんな里実を見て、話題を変えようと思った。

 「あ、話変わるけど、里実ってやっぱりダンスの上達早いよな、やっぱり経験者は違うよな、一度、里実のソロダンスみてみたいけど」

 里実は、いきなり、ソロダンスの話を振られて、少し、目を見開いて喋った。

 「おい、ソロダンスの話はやめろって、もう、振付忘れたって言っただろ」

 何かを誤魔化したいとき、ソロダンスの話を振ればいいんだなと学習した。それからは、いつもの駄弁りながらの二人のランニングになった。


 そして、いつものゴール地点である広場についた。

 俺は今日、先生と一緒に踊った振付を思い浮かべ、肘を直角に曲げ、もう片方の手を横に突き出し、背筋を伸ばた状態を維持しながらステップを踏む手順をシャドーで練習しようとした。

 二、三歩、足を動かして、体を回転たときに、目の前に里実が立っていた、意表を突かれて驚いたが、その後、里実は俺に喋った。

 「今日は二人共、同じパートを先生と踊っただろ、じゃあ、一緒に踊ろうか」

 そう言うなり、里実は、横に伸ばした俺の左手を握りしめ、もう片方の手は右肩に置いて、俺と組もうとした。俺はいきなりで焦った。

 「なんだよ、いきなり、ここで二人で踊るのか?」

 里実は体を接近させ、顔はお互い、十数センチのところまで近づけて、俺に返答した。

 「当たり前だろ、一人でするより二人で踊ったほうが上達が早いだろ、しかも、同じ振付を教わった相手が目の前に居るんだ。一緒に踊って何の問題がある」

 「だから、いきなり、一緒に」

 話し終わる前に里実は言い返した。

 「お前からダンスに誘ったんだろう、俺と社交ダンスを踊ろうって、教室で一緒に習ってまで、俺と踊りたかったんだろ?今更何言ってんだ?何がいきなりだよ」

 俺は焦って、何とか言い訳を考え、言い返した。

 「いや、ディナーの当日で二人で踊ればいいんじゃないか?それまで、個々で練習でも」

 やはり、間髪入れずに里実は、お互い顔が接近してる状態で言い返した。

 「ふざけるな、当日の行き当たりばったりで、まともに踊れると思ってるのか?お前なめてるのか、何度も言うがお前が誘ったんだぞ、お前が女に社交ダンスを、お互い体を寄せながら踊るダンスを誘ったんだぞ、そして、今、踊る相手がここに一緒に居て、なぜ、二人で踊らず、個々で踊る練習するんだ?はっきり言うが、俺は、今からでもダンスを辞めてもいいんだぞ、でも、やるならきっちり、全力でやりたいんだよ、限られた時間で」

 里実が真剣な表情で唾が飛びそうな距離でキツく言ってきた。俺は、なんとか言い返そうと、でも、弱腰で喋った。

 「里実が、そんな真剣に社交ダンスをやるって思わなかったよ」

 里実は相変わらず、怒り気味で怒鳴るように喋る。

 「やるからには、最善の努力を尽くしたいんだよ、しかも、踊る相手が目の前にいるのに、どうしてお互い一人で練習するんだよ、おかしいのはお前だろ」

 その時、俺は言いたかった言葉があったが、言うのを止めた。いや、俺と体を密着して踊るのに抵抗はないのか?遠慮とか恥ずかしさはないのか?しかも、寄るとはいえ、人が通る公園の広場だぞ、って言いたかったが、これを言うと、なんか負けてるような気がして言葉が出なかった。そして、俺は観念した。

 「わかったよ、じゃ、一緒に踊ろう」

 里実はまた、間髪入れずにキレ気味に言い放った。

 「なら、早く右手で俺を抱きかかえて、お互いの右サイドを密着させろよ」

 俺は、またびっくりした、社交ダンスは、男性が右手で女性の肩から腰当たりを抱え込み、お互いの腰当たりの右半分を最初から最後まで密着させて二人、ステップを踏みながら踊る。先生にも注意されたが、右手で抱え込んで密着させるのに、一切の遠慮はいらない、男は背筋を伸ばして堂々と女性を抱え込み、体を密着させて踊るのが社交ダンスと、それを今日、厳しく指導された。

 まさか、里実が先生みたいに、怒鳴って指示するとは思いもしなかった、言われたのは先生でなく、ここで毎日、ムカつく事ばっかり言ってきて、イラつかせる生意気な女だ、やはり、そんな女から言われたら頭にくる、この女、完全に俺を舐めている。こんな女に言われたら、抱き抱えて踊るという選択しか出来なくなる、腹立つがするしかない。

 俺は、里実の腰より上の背中に手を伸ばし、里実を俺の右半分に引き寄せた。無論、右の胸の部分も当たるが引き下がれないし、当たったからからと言って、照れ笑いも、負けたようで出来ない、何も気にしていない素振りの澄まし顔で左を向き、いざ踊ろうとしたとき、密着状態でまた、ムカつく女が注文を言い出す。

 「おい、動く前に俺の顔を見ろ、俺の目を見ろ」

 おいおい、何を言ってる。なぜ、相手の顔を見ないといけない、社交ダンスは普通、お互いに左を向いて踊るんだろうが、進行方向に対して、男は前、女は後ろを向くって先生から教わっただろうが、何を言い出す。

 「ちょっと待て、それは違う」

 間髪入れずに怒鳴るみたいにまた、注文を付ける。

 「はっきり確認して欲しいんだ、お前は今、誰と踊ってるのか、お前は、今から俺と体をくっつけて一緒に踊るんだ、踊る相手の顔をはっきり見てくれ、それとも、照れてるとか、怖気づいてるのか、そんな気持ちじゃやってられないって言ってるんだ」

 なんか、ますます腹が立ってきた。なぜ、そこまで俺が言われないといけない、わかったよ、ああ、顔を見てやるよ、俺は顔を向き直して里実の顔を、目を見た。こんな近い距離で異性を、というか男同士でも無い、もう、引くに引けないので、ちょっと不機嫌気味な顔で睨むみたいに里実を見つめた。

 「これでいいのか」

 あと少しで、触れ合いそうな距離で里実は、相変わらずの強気で喋った。

 「ああ、先生が言ったよな、ダンスは男がリードしろって、先導しろって、二人でダンスする始めは、必ず、俺をリードする気持ちを、俺の顔を見て伝えてくれ、俺もそんなお前に任せてついて行くから、それから、もう後戻りはできないからな、俺はもう、覚悟を決めたからな、後には退けないぞ」

 覚悟?後には引けない?何を言ってるんだ?なぜ、俺とダンスするのに、何の覚悟が必要なんだ?ま、いいや、とにかく、ダンスで俺に主導権を握らせるってことだな、ようし、やってやろうじゃないか。

 「わかったよ、じゃ、今から、今日習ったところやるね、俺が一歩出したら、ついてきて」

 「言われなくても、ついて行くよ」

 俺は里実の方へ一歩、前に出し、里実はそれに合わせて後ろに一歩退いた。その後、教室で習ったステップを踏み、里実を引き寄せて踊った。ここから、毎晩、公園の広場で、里実とダンスを踊る日課が続いた。


   陸上かダンスか


 二学期が始まったが、気温は毎度三十℃を超える。真夏に比べると、不思議と涼しめに感じるが運動すると滝のように汗が出る。部活中は物凄い勢いで体から水分が無くなり、二リットルのペットボトルの水が見る見るうちに無くなる。昔の部活は水分補給禁止だったなんて正気の沙汰じゃない。

 佳苗は相変わらず調子が良い、秋の大会は間違いなく好成績で、国体やインハイに出場はできるだろ、俺とはモノが違う。そうなんだよね、競技には、確かに努力は必要だ。ただ、走るだけでも、技術を理解して、それを実践で実行できるために、毎日何度も繰り返し、体で覚え、努力して練習すると、素人に比べたら足は速いよ、あくまでも一般の素人と比べたらの話で、佳苗のような持って生まれた才能を持った人は、練習しなくても、沢山練習した凡人を簡単に追い抜く、必死にフォームを研究して、毎日練習して130kmのボールを投げれた人も居れば、初めてボールを投げて130km超える直球を投げる怪物も居る。そんな人がプロ野球選手になる。全国大会に出場する選手みんな、佳苗のような化け物の集まりで、俺は、その仲間じゃないのが嫌でもわかる。高校になって、将来の進路を考えるのも、わかる気がする。


 頭の中でダンスの手順をイメージしていた。やはり、俺は里実と比べて、物覚えが遅く、足、上半身、腕の動きをリンクさせて、すぐに先生と同じように動く里実に比べて、手を考えると足が動かなくなり、足を意識すると上半身と手が変になる俺とじゃ、二人で踊るととんでもなく、ちぐはぐな動きをする二人になる。だから、二人で踊るときはいつも、里実が俺に怒鳴るように注意しながら踊ってる。勿論、その注意は優しい言葉じゃない、先生よりも遥か上の方からの怒鳴り声が耳に突き刺さる。それを我慢しながら必死に里実を抱えて、背筋を伸ばして棒のように踊る。後ろの肩にハンガー付けて練習をする人の気持ちがわかる。というか、そんな補助ハンガー欲しくてたまらない。

 「浩介、浩介、ちょっと、浩介、聞いてるの?最近ぼーっとしているよね、どうしたの」

 佳苗が話し掛けた。そうだ、ここはハンバーガー店だ。部活の帰りに寄ったんだ。里実が怖くて、ダンスを覚えるプレッシャーで暇があれば、頭でダンスをイメージしてしまう、そうだ、今は佳苗とポテトのセットを食べてる途中だった。

 現実世界に戻り佳苗に返事した。別に異世界ファンタジーするつもりないが、

 「悪い、悪い、佳苗、何話してたんだけ」

 「ちょっと、ちゃんと聞いてよ、私の走りはどう?って聞いてたの、浩介から見て、私の走りはこれでいいの?って確認したくて」

 「いや、悪いも何も、完璧だよ、もう、女子で佳苗より速く走れる人居ないし、今のタイムはほとんど、夏の県大会のタイムを抜かしてる。たまに、優勝タイムを超える時もあるし、これだけの結果で何が不安なの」

 「だって、県大会、思ったよりタイムでなかって、浩介が、いつもより走りが固かったって言ったから、今の走りを浩介から見て知りたかったんだよ」

 「それなら大丈夫だよ、文句なしだよ、寧ろ、練習やりすぎて故障しないかのほうが心配になるくらい、もう、佳苗の走りは出来上がってるから、長い時間を全力で走らないほうが良いと思うよ、長時間全力で走ってもタイム上がる訳じゃないし、逆に故障の確率が上がるよ、今の佳苗は五回から十回くらい流してから全力疾走でいいんじゃないかな」

 「え?いつもそんな感じだよ、七、八回くらい流してからの全力の走りだよ、以前も浩介が、同じアドバイスしてから実行に移してるよ」

 そうなんだ、最近の佳苗の練習見ていないから、わからなかったよ。部活中でも暇があったらダンスをイメージしてるからな、昼休みの廊下のスピーカーから流れる音楽で、ダンスのステップを無意識にしてしまった。ダンス習ってる人あるあるらしい。駅で傘を逆さに持って、ゴルフの素振りする人もほとんどの人が無意識にしているらしい、反復練習での条件反射の恐ろしさを知った。

 でも、前回の先生から教わったダンス、難しかったよな、なんか、やっぱり若くて習得早いからって、教わった量が多いのは気のせいかな、毎晩、里実と踊って練習してるから上達が早く見えるだけで、素質ある若者と勘違いしてる気がするが、

 それにしても、この前、習ったダンスは量が多くて、動きが激しいから覚えるのキツい、どんな感じだったかな、この後、こうで…

 「浩介、何またぼーっとしてる、最近の浩介おかしいぞ、なんか、心がどっか遠いところによく行ってるね、異世界転生してるのか、嫌だぞ、異世界転生おじさんのヒロイン役になるのは」

 「いや、異世界転生なんかしてないし、いや、出来ないし、何、そのヒロイン候補になろうとしてるのだ」

 「浩介が異世界転生して、その手の主人公になったら、間違いなく、私がヒロインでしょ、普通に嫌だけど、ソニー好きじゃないし」

 いや、ソニー製品持つ必要ないし、佳苗って何気なく異世界転生おじさん見てて、ヒロインの役柄知ってるし

 「心配しなくても転生してないから、ところで、佳苗は何が言いたかったの」

 「もういいよ、ポテトもジュースも呑んだし、帰ろうか」

 「ああ、そうだな、帰ろうか」

 二人はバーガー店を出て、帰り道を歩いた。

 「浩介はホント、最近ぼーっとしてるよね」

 「そうか、秋の大会もあるし、いろいろ考えてしまうよ、佳苗が考えるように、俺も考えるんだ」

それに、この後は公園の広場で教室の先生より厳しい鬼コーチとダンス実践練習させられるからな、とにかく、今のダンスのパートは難しくて辛いんだ。また鬼コーチの機嫌を損なわせる。早く覚えないと、ええと、なんだけ、 手の動きはこうで、足の動きは…、

 そんな、考え事してる浩介はいつも、何かを目で追いながら、両手や足の動きがぎこちなくて、何か失敗したように頭を抱えては、また、同じ手と足の動きをする。そんな姿を横から眺めてる佳苗に、浩介は全く気付かない。心がここに無い浩介。

 バーガー店で心が無かった時も、手と足が同じく変な動きをさせて座ってるのに、君は秋の大会を考えてるなんて言う、そんな嘘はとっくにバレてるのに、気付かない振りをする佳苗は、そんな異世界に行ってしまってる浩介を横目で見て溜息をつくのであった。



 今日も夜、公園で走った後、広場で里実と社交ダンスの練習をしている。高校の男女が夜中に抱き合ってダンスをしてる光景はなんとも、スケベな目線で下品と見られそうで、この姿を親御さんが見ていたらと思うとどうなることやらな光景だが、二人は年頃の高校生なのに、一切気にせず踊っている。

 二人は中学から毎日、ここで会ってる仲なのが理由でもあるし、お互いに恥ずかしいさを相手に見せたくない、つまらないプライドがそうさせてるかも知れない。また、社交ダンスに思ったよりハマり、先生から教わった振付の難易度が上がり、それを仕上げるのに必死で、他のことを考えてる余裕がないのかも知れない。とにかく、二人は、教わったダンスをこんな夜中に広場で真剣に踊ってる毎日が続いてる。


 ダンス中に里実が語り掛けた。

 「お前、よく女と、こんな公共の場で踊ろうとするな、恥ずかしくないのか」

 はぁ?一人でシャドー練習しようと思ったときに、里実が一緒に踊って練習するぞと、脅すように言っただろうが、

 「いや、里実から誘ったんだし」

 「それでもするかね、普通の男子高校生なら嫌がるだろ、俺も未だに周りを気にするし」

 いやいや、だったら、なぜ、あんなにしつこく誘ったんだ。

 「里実から誘ったんだよね」

 「あーあ、これだから、俺はお前に諦めて欲しかったから無理やり誘ったんだよ」

 「え?どういうこと」

 「こんな公共の広場で、女と踊れなんて言ったら、断って俺とのダンスを諦めると思ったんだよ」

 体を密着した状態で踊りながら、こんな話をするまでダンスは上達していた。二人はダンスを止めずに話し続けた。

 「え?そうなの?俺に諦めさせるために、ここで一緒に踊って練習しようって行ったの」

 「ああ、そうだよ、そう言えば、俺とダンスするの諦めるかもってさ」

 俺はふーんと思いながら、足は止めずに喋った。

 「そうなんだ、じゃ、俺とダンスするの嫌だったんだ」

 「いや、そうじゃないよ」

 「え?どういうこと?」

 「前に言っただろ、俺とダンスを組む覚悟を知りたかったんだ、お前が軽い気持ちなら、嫌がって、ダンスは終わりになるかなって」

 「あ、そうか、なるほど、俺がどれだけ社交ダンスを真剣にやるのか、気持ちを知りたかったんだね」

 でも、不思議と里実は、その後、話すのを止めた。そして、しばらく黙って踊り続けた後、また、里実は喋り出した。

 「いや、浩介はダンスをしてくれると思ってたよ、必ず一緒に踊るってね」

 「へ?」

 里実は変なこと言い出した。つまり、俺は覚悟してくれるって思ってたってことかな、里実は続けて喋った。

 「だって、今更、俺とのダンスを嫌がるなんて思ってもないし、だったら、最初から俺をダンス相手に誘わないだろう、俺がお前と踊るのを躊躇する女と思っていたらね」

 そうだよな、踊るのを嫌がりそうな相手を最初から誘わないよな、里実なら踊ってくれると思い、里実が相手なら俺も踊れると踏んで、お願いしたからな、

 里実は続けて喋った。

 「だけど、覚悟して欲しかったんだ、中途半場な気持で、俺は踊ってないからな」

 そう言い残し、その後も黙って、里実は踊り続けた、何に対しても、真剣に取り組む性格なんだな、里実って、と思い、俺も踊りを続けた。


   その日に備えて


 二学期も、もう中盤に入り、もうすぐ中間テスト、中学は勉強する人も多かったが、この高校は名ばかりの進学校で、大学受験を考えてる人は少数であり、ほとんどが落第しないだけの点数を取れば良いと思ってるので、勉強しない人がほとんどだ。テスト前は真面目な人で一夜漬け、ほとんどが休憩の十分で落第点逃れの暗記を必死にやってる。


 そして陸上競技の秋の大会が行われた。結果、佳苗は勿論、決勝まで行き、県で一位となり優勝した。間違いなく国体、インハイに出場できるだろう、それでも決勝は、思ったよりタイムが出ていなくて、本人は不満らしい。

 それで俺は、というと、一応、運よく予選を通過して決勝には出場した。佳苗は喜んでくれたけど、俺は冷めてた。決勝進出した選手の予選タイムを見ると、俺は見事なくらいの最下位で、運よく決勝に上がっただけで、一位とのタイム差は一秒近く離れてるとなると、まぁ、記念参加だよなってなる。

 もしかして、社交ダンスををしないで走る練習に専念していれば、或いは…、いや、練習をすれば速くなるってものじゃないんだよ、現実は、むしろ、冷めた気持ちで陸上やって、この結果ならまぁいいかって感じで見るのが妥当なんだよな。え、決勝の結果は?勿論、最下位だよ、記念出場だよ。

 最近、佳苗と話す時間が減ってきた。俺が減らしてるのか、佳苗が話そうとしないのかはわからない、意識していないからね、でも、いつも一緒に帰るし、休日はどこかに出かけるので、恋人らしくはしてるよ。


 ある日のダンスのレッスン日、珍しく里実は休みを取っていて、教室は俺だけだった。理由は、ディナーに行くの時のドレスを貸衣装屋で、友達と一緒に選びに行ってるらしい。里実がいないなら、俺は悠々と先生からレッスンを受けられる。確かに、いつもより緊張感なく受けれるが、最後の方で、先生が、お古らしい燕尾服を持ってきて、

 「中川くんは180cmだったかな、知り合いにそれくらいの背のダンサーがいたから、着なくなった燕尾を見せてもらって、質の良いの選んで持ってきたよ、その知人は要らないみたいだから貰いなよ、これ持って、この紙に書いてある衣装屋まで行って寸法合わせすればいいよ、レッスン終わったらいきなよ」

 と言って、素材が高そうな燕尾服を渡された。いきなりなので驚いた。続けて、先生は話した。

 「石川さんは、なんか、衣装のことを聞いてきたとき、すごい真剣に聞いてて、それで、相手の中川君の服装も私達に相談したときに、それなら、背丈さえ教えてくれたら、知人の着なくなった服を譲って貰う話になって、そのおかげでこれを用意できたから、パートナに感謝しなよ、石川さんの頼みで用意したからね」

 なんと、里実が先生に相談してこんな高そうな燕尾服を用意してくれたのか、ディナー当時の衣装なんて、何も考えていなかった。そりゃ、十四万のチケットだからな、みんな、ちゃんとした礼服着るだろうな、全く、普段着で行こうとする俺を知ってて、相談したんだろうな、これは、有難い。

 「すみません、こんな事をして貰えて助かります。これ、貸して貰っていいのですか?」

 「貸すも何も、知人はもう着ないからあげていいって言ってたし、返さなくてもいいよ、これからも社交ダンス続けたり、会場でダンスするなら持ってたほうがいいよ、遠慮なく受け取って」

 いきなりタキシード貰えた、急なので、言葉が出ない、とりあえず礼を言わねば

 「ありがとうございます、恐らく、これを着る機会は人生で二、三度なので、大事に保管して使わせて頂きます」

 先生は笑顔で話してくれた。

 「気にしないで、こちらも、若い子を教える機会なんてそんなに無くて、楽しんで教えてるから、若い人は幼稚園や小学生から習ってる人がほとんどで、十代で習いに来る人は初めてだから、こっちもいい勉強になってるよ、やっぱり、年配と違って上達が早くて面白いよ、特に、石川さんとの二人の息がピッタリで、若い子の素質に関心してたよ、二人で合わせて踊るなんて、そんな簡単じゃないのにね、一、二週間で形になるなんて、上達に下を巻くよ、中川君と石川さんの二人、いい線いってるよ、ディナー終わっても、ここに来て欲しいね」

 先生は知らないんだ、毎晩、広場で一緒に踊ってるのを、息が合うって言うか、もう、一緒に踊りすぎて、慣れてしまってるだけなんだけどね。

 「いやぁ、まだ先生が教えてもらった振付、量が多くて思い出すだけでも大変です。どれかわからなくなったりしますよ」

 先生は笑いながら応えた。

 「いや、それは、俺が調子に乗ってフォックストロットやクイックステップも教えてしまったからな、いやぁ、悪い、若い子は覚えが早いから、どんどん教えたくなるんだよ、ついつい」

 「え、ワルツだけじゃなくて、他も教わってたんですか?」

 先生は少し、ビックリして、周りの先生や生徒も少し笑っていて、先生は笑いながら、続けて喋った。

 「そうなんだ、気付かなかったのか、ごめんね、いろんな物教えたけど、授業料は追加料金貰ってないから、安心して、ね」

 そうなのか、いろんなタイプの踊りを教わったのか、別にいいけど、ワルツなのに他のダンス踊って間違えるなんて、あるのかな、だったら間違えそうだが

 そんなこんなで、二人のダンスは、必要以上に上達していくのであった。


   この日の夜


 もう十月にもなり、体育祭も終わり、やっと気温も少し下がった感じはするが、まだ最高は三十℃を超え、日本の夏は終わらなくて、まだ蝶々が飛んでるのを見掛ける。もう、日本の秋は存在しないとまで言われる程、長過ぎる夏が過ぎようとしない。

 そして今日は日曜日で、待ちに待ってた、巨大豪華客船のディナーの日である。


 今日は昼から豪華客船に入場している。このチケットがあれば、当日なら朝からでも入場出来るので、午前中から待ち合わせをして、里実と二人で入場している。しかも、高価なチケットで、一等客室と同じ扱いで、ほとんどのアトラクションをフリーパスで使用できるアームバンドを装着している。

 船内は横か縦か分からない程、端と端が見える場所がほとんどなく、本当にここが船の上かと疑うくらい沢山の施設が建てられている。俺の高校を十校くらい建てても、半分も埋めれない、海の上の広大なアミューズメントパークだ。金さえ払えば当日入場も可能みたいで、思ったより人がごった返していて、人ごみで真夏のように暑い、プールのエリアも地元の私営プール施設よりもデカい。係員に声を掛けられて説明を聞くと、そのアームバンドがある人は水着を借りて利用できるみたいなので、受付に行って里実と二人でプールを楽しむことにした。


 最初にも言ったが、昼は今でも三十℃超えるので、水着でも暑いくらいだ。このプールは一部の人しか使えないみたいなので、そんなには混んで居なかった。プールに来た時の定番で、とりあえず、里実と水の掛け合いをして水遊びが始まった。普通にウォータースライダーがあって何回も滑り、潜り抜けて、普通のプールだけでなく、波乗りプールもあって、ボディボードに体を預けて、何度も失敗し、波と激しい水の流れに転ばされながらもなんとか乗っていた。里実は流石に運動神経の固まりで、ボディボードじゃ飽き足らず、上級者用の専用サーフィンボードで波乗りに挑戦し、見事に板の上で立った状態で波乗りを楽しんでいる。とてもじゃないが、俺は無理だ、別の場所では大きな波の流れるプールがあり、そこでは、里実と二人でボディボードで波に揺れながら泳いだ。

 ある程度遊ぶと、着替えてスポーツエリアにきた。ここはバスケコートもあり、ゴルフの打ち込みの練習装置にバッティングセンター、テニスコートもある。勿論、二人はバッティングセンターでバットを振り、俺はフォームが出鱈目過ぎるので、網越しにいる里実の指導を受けながらボールを打ち続けた。3on3コートで里実と一対一の勝負をしたが、やはり、里実の運動神経はずば抜けていて、運動音痴な俺はとても敵わない。挙句の果てには、熱くなった里実に肩でぶつけられて倒れてしまい、笑いながら里実に起こされる始末、同級生にはとても見せられない。更にはスポーツジムや音楽を鳴らせるダンススタジオもあり、おさらいがてらに里実と二人で軽くワルツを踊った。

 出口の方にはシャワールームや水着で入る大浴場もあり、液晶パネル操作でエステやマッサージの予約も可能で、すぐにサービスを受けるシステムになっている。あと、大きな木が何本も立った自然公園があり、その中で、軽く飲めるバーもあり、地元よりも、上下にも左右にも、何倍もデカいショッピングモールがあり、地元じゃ絶対お目に掛かれない、車が買えそうな高額の値札が付いた服が並んだブランド店もある。

 それがまだ一部で、案内の人が言うには、一日で全ての会場を周るのは無理と言い切られるくらい、歩いている内にここが、船内なのを忘れてしまう程、この巨大客船は、海に浮かぶ巨大テーマパークとなっている。ちなみに最大六千人が船内で宿泊可能らしい、高校は千人もいないけどね。


 いろんな場所を二人で歩き、遊んでいる内に当たりは暗くなりだし、スマホが鳴って、この客船専用アプリから、ディナーサービスの一時間前を知らしてくれたので、早速会場に行き、受付にアームバンドを見せ、事前に預けていた二人分の衣装ケースを返して貰い、着替え室に入り、二人はフォーマルな服装に着替えようとした。


 俺は、ダンス教室の先生から貰って、自分用に仕立てた燕尾服に着替えて、会場へ向かった。会場は野外だが少し高い場所にあって壁が無く、昼だったら海や空が綺麗に見えそうだが、もう日は沈んで夜だったので景色は何も見えなかった。照明も最低限の明るさで、そんな薄暗い中で予約された席を探し、目的の向かい合った椅子が置かれたテーブルを見つけて、席の近くに来るとウェイターがいつの間にか近くに来て席を引いてくれた。その席に座り、まだ来ていない里実を待っていた。

 席に座ってから、二十分、いや、三十分くらい経った時、遠くから、弦楽器の生演奏が静かに、控え目で鳴りだし、ステージらしき舞台の左端にスポットライトが当てられ、そのライトが当てられた場所には演台があり、そこに立ってる進行役らしい人が演台に設置されたマイクを通して話し出した。

 「今日はお集まり頂き、お礼致します。もうすぐ、御食事が始まりますので、しばらくお待ちください。今日、お召し頂く料理について、今から説明を致します」

 恐らく、この会場の進行役の人だろう、今日出す料理の説明をしだした。もう、始まっているのに、里実はまだ現れない。どうしたのだろう、何か遭ったのだろうか、会場に着き、着替えてから一時間は裕に超えている。俺じゃあるまいし、テキパキしそうなイメージのある里実がなぜ、こんなに時間が掛かっているのか、少し心配になってきた。

 進行役が料理の説明を始めると、舞台の中央にもスポットライトが当たり、派手なドレスを着た女性が、明治時代にありそうなレトロのスタンドマイクの前で、進行役の声が聞こえる小ささで、さえずるように歌いだした。すごくゆっくりした歌だ。

 まだ薄暗い中、辺りを見回したが、席は三割くらい空いてるので、まだ食事は始まらないのだろう、と思いたい。まだ、里実が席についていないからだ。進行役は料理の説明を一通り終えた後、雑談交じりで、この巨大客船の説明がてらに自ら過ごした船内のエピソードを話し出した。やはりプロらしく、不意に話を落として、客席を盛り上げていた。それから、十分くらい経つと後ろから小さく声が聞こえた。

 「ごめんなさい、思ったより時間が掛かって遅れました。今日はよろしくお願いします」

 はっとしたのも束の間、静かに素早く移動して、向かいに女性が座った。恐らく、里実だろう、さっきの小さい声も里実だと思う。確信持って言えないのは、話した内容が敬語で、里実は出会ってから一度も俺に敬語を使ったことがないからだ。さっきの小声の女性の言葉が里実と思うのに少し掛かった。恐らく、この会場では、出来る限り上品に振舞おうとしてるのだろう。確かに、いつものようにガサツに出来ない空気を会場中纏っている。

 それに、里実はドレスを着ていたからだ、俺は毎晩、ジャージ姿でノーメイクな里実に一番会っていて、たまに化粧した制服姿の里実に会うくらいだ。薄暗い中でも、体のラインを出した、高級なドレスを纏っていたのがわかった。こんなドレス着た里実なんて見たことがない。

俺は、小さい声で里実に話し掛けた。

 「遅かったね、何かトラブルでもあったの」

 里実も小さい声で話した。

 「思ったより、準備に時間かかったよ」

 「今日の服、いつもと違うね」

 「はは、友達に聞きながら、選ぶのに苦労したよ」

 「そうなんだ」

 会場はまだ、ディナーが始まらないので、照明の明るさは最低限の薄暗いままで、目の前にいる里実もよくわからなかった。

 進行してる司会者の雑談が続く中、今度は突然、客席の真ん中にスポットライトが当てられ、その下にはグランドピアノがあり、ジャズっぽい曲をテンポ良く弾き始めた。一分程ピアノのソロが続いた後、弦楽器の演奏が、ピアノソロに合わせて聞こえてきた。今度は笛の音も一緒に聞こえ、よく見ると、十数人のミニオーケストラの合奏団が舞台の横に団体で座っていた。

 その演奏は静かでゆっくり、落ち着いた曲で、真ん中にスポットサイトを当てられた女性一人だけが外国語で歌っていたが、いきなり大音量と共に、天井のライトが沢山、明るく照らされて、その女性一人の後ろに男性と女性が二人と三人ずつ現れて一緒に歌いだし、会場中に何かの映画のオープニング曲のような派手な演奏がされて、会場中響き渡った。

 舞台の上では、奥からダンサーが現れて踊りだし、更に左右から男女が複数現れ、ペアで踊りだし、なんか、ミュージカルを見せられてる感じだった。


 十分くらいかな、それが続いた後は、進行役が再び話し出した。

 「皆様、長らくお待たせしました。お食事の時間になりました。まずは、前菜と御飲み物をご用意致しますので、皆様、ナプキンの準備をお願いします。尚、アルコールが飲めない方や未成年の方は、事前に確認を取って、ノンアルコールワインをご用意させて貰っていますが、他の方もノンアルコールをご希望の方は、御手を挙げて、お近くの係員にお知らせください。では、お食事が届くまで、少し落ち着いた曲を聞いて、ゆっくりくつろいで下さい」

 さっきまで激しかたった曲が一転して、少しポップで落ち着いた曲となり、バックコーラスのハミングに合わせながら、舞台の女性も柔らかい歌声に変え、再び歌い始めた。

 それと共に、三人一組でワゴンを引いたウェイターが周りから登場し、テーブルに料理を置き、もう一人はラベルを上にしてワインの瓶を腕に寝かせるように持ち、席に着いた客にワインの確認を取った後、コルクを抜いてグラスに注ぎ、テーブルの真ん中に残ったワインの瓶を立てて、慌てずに素早く、次々とテーブルに移った。そして、目の前のテーブルにも、前菜とノンアルコールワインが注がれたグラスが現れ、待ちに待ってた。豪華巨大客船でのディナーが始まった。

 さっきから船の上と言ってるが、飛んでもなくデカい船なので、外なのに周りを見ても、海が見当たらない、夜で暗いせいもあるが、床が甲板のように感じる以外は、地上の高級レストランと見栄え変わらない、これだけの大規模のディナーは、地元では絶対無理だ、国内なら東京近辺か、せいぜい大阪か福岡あたりだろう。こんな大掛かりで盛大なディナーに来る機会を断らなくて、ホント良かったと、今は感動でイッパイだ。

 辺りをキョロキョロしながら、早速、ワインと前菜を食べようとしたとき、目の前に座っている女性に気が付いた。その女性は、長い髪を頭に上品に巻いてイヤリングをし、顔は気品高いメイクを施し、片方の肩だけ服が掛かった、テーブルの上だけしか見えない上半身でもスタイルの良さが際立つ、肌に密着した赤いドレスを着た女性が、席の向かいに座って、両手はまだ、膝に置いたまま、俺の顔を見て様子を伺っていた。

 「どう?食べる?なら、乾杯しよっか」

 口元を緩めて少し笑顔を見せながら抑えた声でを話す、この声はいつもランニングや広場で話してる里実の声だ。自身の今の身なりに合わせた。落ち着いた感じで話してるが、いつものアクセントと癖で話すので、里実の声なのは確かだが、今、目の前にいる女性は、今までに会ったことがない、モデルか女優が座ってるかのような、まさしく、豪華でもあり、気品もあり、静けさもある花束と細い花瓶のような女性が座っていた。俺は、そんな女性をなんの準備もなく、何も気に留めることなく、何も考えず、この席に座り、突然、花のような女性と向かい合っている。しばらくは、何も考えれなかった。何も考えず、目の前の女性に見とれていた。そのまま、コンクリートで固められたかのように、動こうとせず、ただ、女性を見つめたままだった。

 その向かいの女性は、キョトンとした俺を、しばらく観察した後、手を口に当て、抑えながら笑い、俺に小声で話し掛けた。

 「ねぇ、どうするのよ、乾杯しないの?しないんだったら、食べていい?」

 その声にハッとし、俺はテーブルをキョロキョロし、赤い液体が入ったグラスを見つけて、持ち上げて、テーブルの真ん中に突き出した。

 女性もグラスを持ち上げ、俺のグラスの淵に当てた。

 「乾杯」

 女性は小声で言い、そのグラスを口元まで運んで、赤い飲み物を口に含んだ。そして、グラスを少し前に出し、少し笑顔になって、俺を見つめて言った。

 「アルコールないけど、ぶどうジュースみたいで気分でてるよね」

 なんか、会場と自身の衣装に合わせて、少し気品を添えた話し方で話す里実を目の前で見たとき、大袈裟じゃなく、グレイスケリーやヘップバーンの登場する一シーンを見てる様だった。馬子にも衣装というが…、いや、失礼だ、目の前の女性に失礼だ。どんな女性でも、ここまでの姿になるのは無理だ。不可能だ。何回か周りを見ると、男性も、女性も、目の前の女性に注目している。俺には一切見ようともせずに、周りも俺と同じなんだろう。目の前の女性に見とれている。俺が、もっと恰好良かったら、まさしく映画の一シーンだったのに、まさか、あの、公園で毎日出会って偉そうな態度を取る女が、ここまでするとは、そういえば、この目の前の女性が姿を現してから、俺は全く、一度も声を掛けていない。掛けれないよ、言葉が出ない、やりすぎだよ、いや、すごすぎだよ、声が出ない。

 俺は、なんとか平静を装い、グラスのワインを一口呑んでテーブルに置き、先生に教えてもらった店でフレンチレストランでのマナーや食べ方を学んだことを思い出して、ナイフとフォークで前菜を食べた。テーブルマナーも里実が先生に言ってくれて、先生が教えてくれる店を紹介してくれた。今日のこのとき限定では、俺は目の前の女性には頭が上がらない、俺は、一切、何も考えずに、準備なしでディナーに行こうとしてたからね。


 空になった皿に食器を置き、それをウェイターが片づけ、次から次へと料理が出された。俺は、料理の記憶がほとんど無かった。ただ、目の前の女性を眺めていた。いや、一切文句はない、文句は無いけど、そこまでするかね、なぜ、そこまで、全身全霊を尽くして着飾ってるのか、理解できなかった。確かに、このディナーは高額なだけあって、会場にいる客の服装や振舞いからして、裕福な生活を送っている人達なのは感じる。着ている服装は決して背伸びしている訳ではなく、着慣れなくて浮いた感じの人は一人もいない、みんな、こんな社交場の品格に慣れた人ばかりだ。この中で浮いてる人は俺くらいだろう、だからって、里実が、こんなに着飾ったのはなぜだろう?頑張りすぎてる。まるで、髪型から、化粧から、衣装から、振舞いから、世界クラスの一流女優かのような姿に変貌している。里実はなぜ、ここまで着飾ったのか、そこまで目立ちたかったのか、そう思いながら、今も俺は目の前の女性を眺めてる。一枚数十億円の女性像の絵を眺めてるかの如く、彼女に見とれてる。この彼女にどんな声を掛けるべきか悩んでる。

 そう思う内に、ソルベが置かれ、メインディッシュが置かれ、その間に、進行役が何かテーマにした雑談を話してたような気がするが、全く気に留めなかった。

 そして、料理の皿が下げられ、その後、コーヒーが置かれ、しばらくしてから、ライトが少し暗くなり、再び、進行役にスポットが当てられ、何かが始まった。

 「それでは、今からダンスタイムに入ります。舞台の前は広くスペースを空けていますので、ここで踊って貰いますが、只今、係りの者がスペースとテーブル席の間にロープ柵を設置しますので、しばらくお待ちください」

 そのアナウンスの後、係員が二つ金の杭に赤いロープが付いた柵を運んで、舞台の前のスペースを、それで囲んだ。その作業と同時にピアノソロで静かなワルツが響き、今まで静かだった会場中がざわついた。柵を置く作業が終わると、そのピアノソロに合わせて、合奏団も小さく演奏し始め、舞台前、中央の広いスペースには、様々な色のスポットが揺れ動いて、ダンス会場が出来上がった。そしてまた、進行役のアナウンスが始まった。

 「さぁ、準備が整いました。只今、ワルツを演奏しています。皆様の中で踊れる人が居れば、この広場で踊ってみませんか?尚、相手がいない場合は、こちらでダンサーを数組用意していますので、申し入れ下さい。プロがパートナーになって一緒に踊りますので」

 そのアナウンスと共に、ほとんどの人が、これを待ち望んでいるかのように立ち上がり、女性が手を差し出し、男性が掴み、次々とロープ柵の間を通り過ぎ、男女向かい合わせになり、背筋を伸ばし、体を寄せ、ステップを踏み回った。そのスペースは夜の人間メリーゴーランドとなった。

 「おい、ちょっと、浩介、何ボーっとしてるの?私達も踊ろうよ」

 俺はその声を聞いてハッとした。つい夢中になって人間メリーゴーランドを眺めていた。そうだ、ここで踊るために、毎晩里実と踊っていたんだっけ、そうだよ、そうなんだ。

 「あ、そうか、僕達も踊ろうか」

 俺は立ち上がり、ダンス会場に向かおうとしたら、いきなり、左手を掴まれ、引っ張られた、振り向くと、里実が慌てて、俺に耳元まできて話し掛けた。

 「ちょっと、私をリードしなさいよ、私が手を挙げて、それを貴方が掴んで、私を連れて行くんでしょ、しっかりしなさいよ」

 俺はまた、ハッとして、里実が胸当たりまで手を挙げている姿を見て、ぎこちなく、その手を掴み、その手を離さずゆっくりダンス会場まで歩いた。

 ロープ柵を越えた後、俺は里実と向かい合わせになり、いつもの手を左右に伸ばして準備をし、里実は俺に近づき、右手を俺の左手に添えて、左手は俺の肩に置き、俺は里実を抱き寄せ、ワルツを踊り始めた。

 俺は、里実を抱き抱えながら、人間メリーゴーランドの中の一部になった。ダンス教室でも他の人と一緒に複数で踊ったり、土日にダンスのイベントで大勢のペアに紛れて踊ったりもしたので慣れてはいるが、燕尾服を着ていてのダンスがまた、別物だった。周りの人々も男性はタキシード、女性はパーティドレスに高そうなブレスレットを何重も首に下げて、スカートをひらひらとひらつかせながら、波のように揺れ踊っている。普通だったら、緊張して体がカチコチになって固くなってるところだが、毎晩踊っているせいか、もう、動きは体に任せている感じで、体が勝手に、無意識に回っている感覚だ。日頃の練習がここで発揮されている。俺もみんなと同じように、リラックスして踊れてよかったと、ホッとしている。俺は、会場に流れる演奏と踊りに体を預けて、今を楽しんだ。

 しばらくすると、里実が小声で話し掛けた。

 「ねぇ、こっち向いてよ」

 里実は俺の耳元あたりで話し掛けた。俺は少し驚いて、いつも左に向いてる顔を里実の顔がある逆に向いた。すると、左の外向きに顔を向けてる筈の里実も俺の顔を見つめていた。そして、そのまま、里実は小声で話し続けた。

 「私は、今日のこの日のためにあらゆる準備したの、浩介と今、踊るためにね、だから、今日は、浩介の顔を見ながら踊りたいの。お願い、そのままで踊って」

 里実は、俺を見つめながら体を密着して踊った。素肌をさらけ出した肩は色っぽく、女優のような化粧した顔で、済ましたままで笑いもせず、こわばりもせず、ただ、じっと、俺を見つめた。俺も、そんなに頑張って準備して、今日来てくれた里実の頼みを無下にできず、顔を動かさずに、里実を見たまま踊り続けた。お互いに鼻が付きそうな距離で顔を見合わせて、照れてしまいそうなのに、里実の少し冷たく感じる済ました顔と、遊びじゃない、真剣な眼差しの前で、照れる隙を与えてはくれなかった。

 二人は、お互いの顔を見ながら、静かに踊り続けた。その静けさは平穏のせいじゃなく、なぜ、里実は俺の顔を見つめながら踊るのか、そんな里実を知りたくて、いろいろ考えながら足を動かしていた。里実が俺の顔を見ながら踊りたい?そして、今、ひたすら、俺の顔を見つめていて、悲しいのか、怒りが込み上げてるのか、涼しいのか、嬉しさなのか、何を考えているのか、俺なりに踊りながら、よく観察し考えていた。

 よく思い起こすと、今日の里実は、何か変だった。あ、いや、昼で船内を歩いてる時はいつもの里実だったけど、この会場に着て、このドレスを着てからの里実は、何か変わっていた。見た目が女優みたいで変わっていた?いや、さっきも思っていたが、ただ、俺と二人で食事するだけで、なぜ、ここまで全力で着飾るのか、確かに、会場の来客はみんな上品なので、品格を気にするのはわかるが、いつもの里実を考えると、普通なら、ここまではしない、もっと、ドレスも化粧も普通にするだろう、ここまで力を入れない、今日の里実は本当に豪華で華やかさで気品高く美しい、今日の里実なら、ヘップバーンやグレイスケリーが画面から飛び出しても敵わないだろう、それくらい、この世界でも飛び抜けて美しい女性を纏っている。なぜ、ここまでした?誰に見せるため、え…?俺に…?…え?、どうして、なんの理由で、わからない、俺の前で、美しい女性に変身して、何がしたいんだ。普段、舐めた態度の俺をギャフンと言わせるためにか?いや、そんな馬鹿なことのために金は使わないだろう、お金?そうだ、このドレスに化粧に、装飾品に、髪型に、この髪型って、着替え室にスタンバイしてたスタッフにして貰ったの?俺もスタッフが事前に用意していたジェルを頭に塗り、襟足を揃え、セットして貰った。里実のこの長い髪の毛を複雑に、綺麗に巻いたヘアセット、即席では無理と思う、事前に頼んでいたのかな、メイクと衣装と、この髪型で、会場を遅れたのかな、そんな目一杯のお洒落をした。最高の里実が今までにない、丁寧な話し方で、俺の顔を見ながら踊りたいと言った里実は、俺の顔を見つめながら、貴婦人に変化した里実は、一体何を考えているんだ。

 そう思い、俺も、着飾った里実の気持ち、心境を知ろうと、里実の瞳を、まつ毛を、唇を、細かく観察し、何かの恨みなのか、楽しんでいるのか、何かを後悔してるのか、美しさに隠れた表情を探って、里実の気持ちを見透かそうと、里実の顔を細かく見た。


 俺は、ひたすら、里実の美しい顔を眺めて、表情を一切、見逃さないように、細かく監視した。里実は、そんな俺を気にも留めることなく、魔性全開で、俺の顔を見つめ、少し、虚ろな感じで踊っていた。少し、何かを考えながら、少し上の空な様子で、俺を見つめていた。よくよく、里実の顔を観察すると、僅かに表情が、注意してみないと解らないくらい、微妙に変わっていた。無表情ではなかった。何かを考えていた。何かを読み取ろうともしていた。何かに思い更けてるようにも見えた。里実はじっと、俺を見つめながら何を考えているんだろう、佳苗のこと?俺のこと?踊りのこと?あ、ふと思った。里実は今日、何を思いつめて、何を決心して、ここに来たんだろう。今の里実は、いつもの里実じゃない、何かを覚悟して、ん?覚悟?里実は以前言ってた覚悟するって、何を覚悟して、ここに来たんだろう、それとも、俺に覚悟させたかったんだろうか、何を、俺が覚悟すんだ、何だったけ、

 そんな俺も、笑いもせず、緊張もせず、ひたすら、里実を見つめて、必死に考えた。すると、初めて、夜、公園で会った里実を思い出した。女の癖に、俺をバテさせて、置き去りにしようとした里実を思い出した。一緒に中学の陸上練習をしたり、リーグで優勝して喜んでいる里実、試合に負け、泣き崩れた里実、、それを佳苗に喋ったのがバレて、キレてる里実、バレーで余り俺が下手なのでキレてた里実、ダンスを習おうって言ったときに、キレてた里実、そういえば里実って、ほとんどキレてる思い出が多いような、そんな事は置いといて、なぜ、俺は毎晩、里実に会ってたんだろう、部活を引退した中学三年から高校入学までは部活動は無かったのに、俺は夜になると公園に向かった。そう言えば、なぜ、里実は女子野球辞めてからも、公園に来てくれたんだろう、俺は里実と話すのが楽しみだったから、あ、…、里実はなぜ、野球辞めても、高校に入っても、親友の佳苗と俺が付き合い始めても、俺がダンスを誘って嫌がった次の日も、


 なぜ、里実は毎晩、俺に会ってくれたんだろう


 そのとき、里実の表情が変わった。俺から見て、明らかに変わった。なぜ?俺の考えを見透かされた?俺の気持ちが悟られたかな、里実の表情が、あきらかに変わった、

 そして、その後、里実の目から、一滴、雫が流れた。


 何?何?なんなんだ、里実は今、何を考えてた?何を思ったんだ。なぜ、里実は流したんだ。これは、なんなんだ、何を意味するんだ。里実は、何を覚悟して、長い時間掛けて髪をセットし、化粧を頑張り、衣装を選び、何を覚悟して、俺と踊ろうと決めたんだ。里実は何を覚悟して、何をしようとしているんだ。


 ある程度経つと、また、里実から、一滴の雫が流れた。それでも、里実は顔を背けずに、俺の顔を見つめたままだった。わからない、今の里実がわからない。それで、俺は不安に包まれた。俺は里実と、明日も会えるのだろうか、それとも、別れのサイン?決意?

 さっき以上に、俺は里実を注意深く観察した。少しの変化も見逃さない気持ちで見つめた。知りたかった、里実が今、何を考えてるのか、何をしようとしてるのか、この後、何をするのか、何を覚悟しているのか。


 もう、ワルツは三曲以上余裕で演奏しただろう、進行役の人は、やたらと時計を気にしだし、ピアニストや指揮者と顔を見合わせていた。演奏は佳境に入り、盛り上がりを見せ続け、しばらく時間が経ってから、全ての楽器が有終の美に向けての最後の音色を聞かせて、強く連打する打楽器の音は会場中響き渡った。そして、天井ライトが少し明るくなり、進行役は終わりを伝えるアナウンスをした。

 「みなさん、今日はありがとうございました。今宵は最高のダンスでした。いや、皆さんお上手で、つい夢中になりましたよ」

 そういうと、ダンス場で踊っていたカップルは、女性の手を引いて、次々と指定席に戻った。みんな、満足げな顔で、最後のコーヒーとスィーツを待っていた。

 しかしながら、会場が少しざわついていた。周りの客は何かを指で指しながら、何かを話していた。その指の指す方向を見ると、そこには、まだ踊っているカップルがいた、もうスポットライトもなく、音楽もないのに、踊っている二人が居た。そのカップルは、二人とも若くて、心は上の空で、虚ろ気にひたすら踊っていた。そして、その二人は、お互い見つめ合っていた。笑いもせず、睨みもせず、済ました顔で、お互い見つめ合って、ひたすら踊っていた。その女性のほうは、気品高くてとても美しく、スタイルもよく、ただ、顔には、一筋の雫が流れたまま、相手の男の顔をジーッと見たまま、二人、見つめ合いながら踊っていた。このカップルは最後の夜を迎えようとしてるのか、それとも、近々、結ばれるんだろうか、ロミオとジュリエットのように決して結ばれない不運のカップルなのか、ひたすら、昔を思い出しながら、幸せを噛み締めてるのだろうか、音楽も無い中で、周りを一切見ず、ひたすら、お互い、見つめ合いながら踊っていた。

 そんな踊り続ける若いカップルにピアニストも、合奏団も気付き、この踊ってる珍しいカップルを静かに、眺めていた。

 そして、その二人に、進行役もやっと気付き、注意を促そうと、マイクを持つと、近くからコンコンと何かを叩く音がした。

 進行役は、その音の方角を振り向くと、指揮者が指揮棒で楽譜立てを叩き、その指揮者は、進行役を見て首を横に振り、その後、指揮棒を横に流して客席全てを指した。テーブルに座っている客人のほとんどは、踊っている若いカップルをコーヒーやワインを呑みながら、注目していた。

 進行役が口元で指を交差させてXマークを作ると、指揮者は首を縦に振り、その指揮者はピアニストの方向を向き、ピアニストが指揮者を見返したときに、指揮者は合図を送り、ピアニストは口元を緩めながら、何度も頷いた後、再び、静かなワルツを奏で始めた。指揮者は再び、合奏団の方向に向いたとき、合奏団は既に、仕方ないなという軽い会釈をしながら、演奏の準備をしていた。

 三十秒くらいソロを弾いた後、指揮者は棒を振り上げ、合奏団も演奏を始めた。スポットや照明の明るさは変わらなかったが、踊り続ける二人は無意識に音楽を合わせて、ワルツを踊り続けた。

 二人は相変わらず、見つめ合ったまま、踊り続けた。よく、飽きもせずに、お互いに顔を一切動かさず、踊り続けた。この二人は何を考えているのだろう、何を思い、このディナーに来たのだろう、今から別れるのか、結ばれるのか、別れを切り出そうとして、相手はそれを察してるのだろうか、それとも、別れを告げられた後の、最後の晩餐なのか、この会場にいる人、全てが踊る、この若い二人を見て想像していた。この二人の顔は、悲しくも、お互い愛し合ってるようにも、何かを待っているようにも、いろんな解釈をしてしまいそうな程、見つめ合いながら踊る二人は、何かを思いつめているようだった。お互い、物語を語り合ってるようだった。このダンスが終わった後、二人に何が待ち受けてるのか、女性の流してる雫は何を表してるのか、会場の人達は、この二人と自身を重ね合わせながら、踊りを見ていた。

 もう七分くらいは経ったかかな、二人は相変わらず踊り続けていた。いい加減、曲は終わりを告げ、進行役の合図で、会場の照明は急に、最大の明るさで照らされ、会場は拍手が鳴り響き、真ん中で踊っている二人は、流石に、照明の明るさと会場の拍手で我に返り、夢中に踊っていた二人は辺りを見回した。

 そんなカップルを見て、進行役はホッと安堵の胸を撫で下ろし、再び、ダンス終了のアナウンスをした。

 二人は、恥ずかしそうに、自分達のテーブルに向かい、席に着き、コーヒーとデザートを食べ始めた。

 これで、豪華客船のディナーは終了した。客人はコーヒーやワインを呑んで、ダンスの休息をとってから、各々、席を離れた。浩介と里実の二人は、夜も遅いので、着替えもせず、衣装を着たまま、会場を後にして、照明で照らされた夜の客船を軽く、最後の散歩をした後、着替えて普段着に戻り、船を降りた。


   夢の後の帰り道


 船を降りた後、電車に乗って、駅を降りて、一緒に帰り道を歩いた。

 二人は静かだった。毎晩、公園にいるときは、時間がいくらあっても足りないくらい喋るのに、今日は二人、黙ったままだった。

 今でも、会場で踊ったときの里実を思い出すと、胸がドキドキする。ホントに、ディナーの向かいで座っていた里実は綺麗だった。そして、踊ったときの目の前にいる、あの顔、あの表情、今、傍にいる里実の横顔を見ると思い出す。だけど、なんか、辛かった気持ちも思い出す。あのとき、里実はなぜ、俺の顔を見たかったのか、なぜ、ずっと、見つめたのか、そして、あの一滴の雫は、聞くべきか、何もなかったように振舞うのか、

 あのダンスで二人は、何かを知ったようにも、何かを失たようにも思えた。明日からの二人は、明るいのかな、悲しいのかな、それを思うと聞くのが辛くなる。でも、聞かないと、一生後悔するようにも思える。折角、里実はとても綺麗で華やかだったのに、あんな美しかったのに、そんな里実が踊っていたときの顔は、喜んでいるようでも、悲しそうでもあった。あんなに美しい姿だったのに、その里実を曇らせたのは俺?それだったら、なんか辛い、俺が悪かったのだろうか、

 「今日は楽しかったな」

 里実から話し掛けた。よかった、いつもの公園のように、里実が話し掛けてくれた。今日ほど、里実の積極性に感謝したことはない。

 会話を始めたくて、話に乗った。

 「ああ、料理も美味かったし、船も大きくて、ダンスも今までで一番良かったし、里実も…、綺麗だったし」

 里実は思わず、ニヤけながら言葉を返した。

 「やめろよ、ああ、あれ、時間かかったんだぞ、実は、着替え室のメイク係の人にあの髪型の写真をスマホで数枚見せて、巻く手順説明しながら、何とか作れたんだ。それで、時間かかったんだ」

 なるほど、席になかなか現れなかったのは、そのせいだったんだな、

 「よかったな、苦労しただけに、とても綺麗だったよ」

 「だからやめろって、メイクもスマホの写真見せて、細かくしてもらったし」

 「へー、でも、里実なら、そこまでやらなくても、普通に美人なのに」

 「はいはい、実は、鏡に映る全身見たとき、照れくさくなって、遅れて席に座ったとき、暗くて、目立たなくてホッとした。ちょっとやりすぎたかなって思ってたしね」

 「でも、すごい、綺麗だったよ、女王役のヘップバーンやナタリーポートマンみたいだったよ」

 「言い過ぎだよ、いい加減にしろよ、ヘップバーンなんて、言い過ぎだろ」

 「いや、ヘップバーンと遜色ないよ、周りの人が、里実に注目してたからね、すごかったよ、あの時の里実の魅力は凄かったよ」

 「もういいよ、でも、ナタリーポートマンならわかるけど、スターウォーズのアミダラ女王だろ、あの変な女王なら、わかるよ」

 俺も笑いながら喋った。

 「そうだな、女王でナタリーポートマンならアミダラ女王だよな、女優選び間違えたな」

 里実も俺も、笑いながら、帰り道を歩いた。


その言葉の後、不意にダンスで顔を見合った理由を聞きたくなった。

 「踊ってるときの、里実も綺麗だったな、今、思い出しても熱くなる」

 「もうやめろよ、あー、恥ずかしかった」

 「けど、そんな恥ずかしいのに、なぜ、顔を見せながら踊ろうって言ったんだ?」

 里実の笑顔が消え、珍しく下を向いて喋った。

 「ええと、何だったかな、ええと、タキシード姿の浩介を見たかったんだよ、踊ってるときにさ」

 なんかしっくり来ない、あのときの里実の、俺を見る顔と目は、そんな感じじゃなかった。でも、この嘘を指摘せず話を続けるか、本当の理由を聞くべきか悩んだ。どっちも怖かった。どっちも、俺と里実、何かを失って、二度と戻らない予感がした。

 どっちか悩みながら、俺は、里実に話し掛けた。

 「でも、笑わなかったよね、里実、俺を見るとき、笑わずじっと、俺の顔を眺めてたよね、別のこと考えてた訳じゃなく、俺の顔をずっと見てたよね、俺を見て、何考えてたの」

 里実は、顔を背きながら喋った。

 「もう、いいだろ、今日のディナーとダンスは最高、楽しかったよ、二度とない経験になったよ、ディナーの招待とダンスの練習、ありがとう、浩介のおかげだよ」

 俺も、下を向きながら、何かを確かめたくて、里実を責めた。

 「俺、なんか心配なんだよ、ダンスしてたときの里実、楽しそうに見えなくて、そして、俺の顔を見ながらのダンスって、前から、何かを決意してた感じだったから、そんな里実が怖くて、あ、もしかして、里実の言ってた、覚悟って、これだったの?」

 その時だった、正面を向いていた里実の頬に一つの雫が流れていった。里実は、それに気付いて、顔を下に向いた。

 「ご、ごめん」

 里実はそれを言うなり、速足になり、浩介を置いて行こうとした。

 「え、待って、え、どうしたの」

 浩介はビックリして、その言葉は言い放ったが、里実は無視して、速足でどんどん遠く、前に進んだ。

 「ちょっと、待てよ」

 浩介は駆け足になって、里実を追いかけた。里実は、相変わらずの速足で前に進んでいく。

 しばらくして、浩介は里実に追いつき、後ろから里実の腕を掴んだ。

 里実は、掴んだ浩介の手を振り払おうを腕を上下に動かしたが、手に持った、衣装ケースが落ちて転がった。


 その後だった、浩介は手に持った荷物を全て、その場に置いて前に出て、そして、里実の腕を思いっきり引き寄せ、里実を抱きしめた。


 浩介は、思わず、里実を抱きしめ、そのまま、しばらく、二人共、じっとしていた、そして、浩介のほうから、里実に喋った。

 「なんか、怖いんだよ、なんか、里実が、何かを、心に決めて、…、それで、里実はもう、公園に来てくれないんじゃないかって、二度と会えないんじゃないかって心配してたんだ。里実が何か、決意をした、その、何かが、怖いんだ」

 浩介は、強く、里実を抱きしめた。もう二度と離したくない、そんな気持ちで、強く抱きしめた。浩介は、ずっと恐れていた。里実が公園に来なくなるのを、里実に会えなくなるのが怖かった。そして、ずっと居て欲しい。そんな気持ちを込めて、浩介は里実を強く抱きしめた。

 里実は、浩介の手をほどこうとしなかった。突然で体が硬直してる?びっくりして腰が抜けてる?いや、拒まなかった。抱きしめる浩介を拒まなかった。浩介を疑っている?いや、疑っていない。強く締め付ける浩介の腕は嘘ではない。本当に、離れたくないのだろう。それは、里実もだった。里実も同じ気持ちだった。でも、そんな自身の気持ちを、今まで、気付きもしなかった。もっと早く気付けばよかったと、強い後悔があった。そんな後悔と浩介と離れたくない思いで揺れ動いて、いろんな思いで、複雑に絡まって、外に気持ちを出せなかった。どうすれば良いのか、どう思えばいいのか、わからなくなっていた。

 また、二人は、しばらく抱き合って、浩介がまた、語り始めた。

 「もっと、里実といるときを、大事にすればよかった。もっと、公園で二人でいる時間を、もっと大切にすれば良かった。中学から、毎晩会ってるのに、まだ足りない。明日も会いたい、次の日も里実に会いたい。今、里実を離したくない」

 里実の心が動いた。浩介の言葉に動いた。同じ気持ちだった。明日も、次の日も、毎日、浩介と会いたかった。何のしがらみもなく、学校で浩介と会えたらとも思った。里実の気持ちの奥の奥は、浩介と同じ気持ちだった。里実は、両手で浩介の体を包み、強く抱きしめた。

 その時だった、浩介の背中の方から、自転車がこっちに走ってくるのが、里実から見えた。ヘッドランプをつけた自転車が、抱き合ってる二人に近づいてくる。その二人のすぐ傍で電柱に高く留めてある電灯が光っていた。こっちに向かってくる自転車が、その電灯を通り過ぎたとき、相手の顔がはっきり見えた。


 自転車に乗っていたのは野球部キャプテン、倉田斗次だった。倉田斗次と里実は、そのとき、目が合った。


 自転車は何事もなく通り過ぎて、去って行き、浩介は自転車の通る音で我に返り、抱き締める手を緩める。里実もすぐに離れ、浩介は左右の手を見回し、荷物がない事に気付き、後ろに落ちてる荷物を取りに行った。里実も転がった荷物を取って、二人は再び、帰り道を歩いた。歩きながら、里実はふと思った、倉田キャプテンに気付かれたかなって、

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