第3話

 十月末日は、三連休を翌日に控えた金曜日であった。

 侑芽は三連休最終日の月曜日に小原との約束を取り付けた。即ち、必然的に梨香子の予定も埋まったというに等しいわけだが、侑芽は最後の最後まで行き先を考えあぐねていた。

「絶対にお金がかからないところの方がいいって」

 梨香子は今日に至るまで、某テーマパークを候補の筆頭とする侑芽に、そう助言を繰り返して来た。

 小原という男は、梨香子から見て非常に堅実な人間である。

 自身は運動神経に恵まれて一見部活動に勤しむタイプに見えるが、部活には入らず放課後はアルバイトをしている。だからお金に困っているというつもりはないし、身形や持ち物が貧乏くさいという話でも決してない。一般的な家庭の嫡男で、家族や家計の為ではなく自身の小遣いの為にアルバイトをしているに違いないのだが、自身で稼いだお金で現状彼女でもなんでもない友人と誘われたから出かける先に、ひたすらに出費が嵩むテーマパークはどうかと梨香子などは思う。

 欲しいもの、自身が行きたい場所や使いたい先があるからわざわざアルバイトをしているのであって、そんな小原に現段階でお金を使わせる選択はさせぬ方が侑芽の心証は良いに違いないと再三説得し、説得し、説得して漸く、侑芽はそれを諦めたようであった。

「じゃあどこよ。お金がかからなくて楽しめるって、どこなの、梨香子!」

 諦めさせたからには、代案が必要である。

 そうは言っても侑芽を納得させられるだけの案が浮かばない梨香子は、いよいよ差し迫った状況になって、「小原に聞く」という最も安全で安心な策を行使する。小原が行きたいと言えば、侑芽を説得するもしないもない。

「結局集まるのって、俺と岡本と、羽田でしょ?」

「今のところ?」

 代わりに聞いてくれとせがまれ、梨香子は仕方なく、昼休みに購買へ行こうとする小原を廊下で呼び止めている。

「女子二人と。どこに行っても浮くじゃん?」

「御尤も。誰か誘ってくれていいよ」

「て言われてもな」

 小原は困ったように壁に凭れた。考える気があるのかないのか、窓外の景色を眺めながら欠伸など漏らす小原に、梨香子は肩を竦めながら言う。

「じゃあ、美術館とかどう」

「なんで美術館?」

 侑芽に代案を迫られてからずっと考えていたのだが、テーマパークよりは小原に刺さりそうだなと思いついたのが、美術館だ。

「美術館前で色んな分野の人が個展してたり、ちょっとしたフリマみたいなの丁度やるみたいだし。それに小原、好きでしょ。絵」

「何で知ってんの」

 驚いたように目を見張る小原に、梨香子は眉根を寄せる。

「何でって、中学の時美術部だったじゃない」

「よく覚えてるね」

 同じ中学に通っていたのだ。なんなら同じクラスになった事もある。そのくらいの事は当然の如く覚えていたが、ここはついでに侑芽をアピールしておく事にする。

「って、侑芽が言ってたから。美術館なら市民は高校生まで無料だし、お金もかかんないから行きやすいし。間を持て余したら近くに動物園もある」

「いや実は、丁度見たい画家の絵が明日から展示予定で、いずれ行こうと思ってたとこ。二人がそれでいいなら、そりゃそれが嬉しいけど」

 梨香子は某テーマパークを最後まで推していた侑芽に、心の中で「そらみろ」と踏ん反り返る。功労賞を貰っても良いレベルの貢献度だ。

「じゃ、それで。誰か誘いたかったら遠慮なく。時間はまた侑芽と話して」

 んー、と返事をしながら踵を返した小原は、待たせていたと思しき友人と合流して行ってしまった。購買に行くんだろうなとその背を見送った梨香子もまた踵を返しながら、一人唸る。

(うーん、脈があるのかないのか、よく分かんないな)

 少なくとも全く脈がなければ出かけようという発想にはならないと思うが、だからといって楽しみで仕方ないという様子ではない。侑芽の言う通り、押し次第のような気もする。

 当日は二人きりの時間を作ってやるかと思いながら、教室に戻る梨香子を待ち構えていた侑芽に、美術館になった事を報告する。文句を言われないように「小原が行きたいとこだって」と付け足す事を忘れない。

「動物園が近いからまぁ、行き先には困らないか」

 侑芽は席を外している櫻田の席に当たり前のように座る。櫻田は昼休みになると席を外すので、おそらく食堂で昼ご飯を食べるタイプの人間なのだろうと勝手に思っているが、教室で弁当を広げる梨香子は本当のところは知らない。

「どこかで二人にしてあげようとは思うけど、三人ではぐれたらあからさまよね?」

「誘ってる時点でばれてるんだしあからさまなのはいいんだけど、はぐれなくていいよ?」

 梨香子は自席で弁当を広げ、侑芽は袋からパンを出して封を開けた。

「そもそも体調でも崩して行かないでおこっかな」

「えー、一緒に行こうよ」

「はぐれる前提で行くの怠いんだけど?」

「だからはぐれなくてもいいって。そこ気を遣わなくとも、三人で普通に楽しく遊ぼうよ。最初からがつがつ行く気ないし」

 侑芽は笑って言うが、いざその場に居合わせる事を考えると気まずいは気まずい。

(まぁ、適当にはぐれてばっくれればいいか)

 梨香子は卵焼きを頬張りながら、侑芽をちらりと見遣る。自然と目に入った櫻田の机には、筆記具を机の端に避けて場所をあける梨香子とは違い何もない。全てきちんと片付けてから席を立つ櫻田の机の上にパンを広げる侑芽は、それを頬張りながら喋る。

「クリスマスデートは、終業式の日狙ってんだよね」

「そうなんだ。それ誘いやすいね。学校帰り、そのまま」

 そう、と侑芽は笑う。

「イヴだし混んでるの確定だけど、水曜だから映画も安いしありだよね。いいのやってるかなー」

 携帯に手を遣り下調べを始める侑芽に倣って、梨香子も携帯を手にする。近場の映画館の上映予定一覧に検索をかけてみると、クリスマス商戦に向けて力を入れていると思しき有名なアニメ作品が一番に出る。

「アニメか。もっとこう、甘いやつがいいんだけど」

 おそらく同じページを見ていると思しき侑芽は、またぱくりとパンを頬張る。

「小原は嫌がるかもよ、恋愛系。あ、恋愛アニメもやってるよ。学園もの」

「あー、題材が書道部。これが美術部とかだったらまだありだったけど」

 確かに、と梨香子は苦く笑う。言ってみたものの、正直梨香子も興味はない。食事を続けながらクリスマスに上映していると思しき全ての作品の概要に目を通した結果、一本の洋画が候補に挙がったものの、小原の好みいかんではアニメも候補だ。

「まずクリスマスの予定空いてんの? 小原」

「今のところ」

 既に尋ねたらしい侑芽が即答する。

「さっさと告れば? 侑芽が好きなのなんて、ばれきってるじゃん」

 クリスマスの予定を尋ねる女の好意がばれていない筈がない。

「ばれて意識して貰ってから告るのよ」

「へえ」

 侑芽には侑芽の戦略があるらしい。二人して焦れったい探り合いを楽しんでいるのかもしれないなと、梨香子はそれ以上触れない事にした。

 黙々と食べ始めた梨香子に、一足先に食べ終わった侑芽はごみを袋にまとめながら言う。

「梨香子は? クリスマスのお相手見つかりそう?」

 んー、と梨香子は最後のウインナーを食みながら箸を片付ける。

「無理やり作ろうと思えばだけど、今のところ気乗りはしてないかな」

「まぁまだ一ヶ月半あるしね」

 心当たりはあるものの、梨香子は正直なところ、目下彼氏を作りたいという欲求が枯れている。付き合うからには、それなりに梨香子にも思うところがあって付き合いたい。

「今のところぴんとくるものがないからさ。私の事は気にしないで、侑芽は小原誘って」

「そか。玉砕してクリスマスフリーだったら声かけるよ。梨香子ももし空いてたらあそぼー」

 だね、と梨香子は弁当箱を仕舞うのを確認してから、侑芽はごみを引っ提げて手洗いに立った。予鈴まで十分、梨香子は一つ伸びをして突っ伏す。今日も今日とて気候が良く、満腹も相まって爽やかで心地よい風がとにかく眠い。

(あー、やば。五限また世界史だ)

 世界史はどこに配置されても睡魔を誘うが、午後からの授業はとにかくひたすらに眠い。拷問に近い。

 五限まで、十分だけ、と目を閉じる梨香子は、直ぐに意識が遠のいていくのを感じる。少し仮眠をしたら五限起きていられるに違いないと自分に言い訳を繰り返す梨香子が意識下に落ちて行こうとしたその時、かたん、と隣の席の椅子が引かれる音がした。ざわざわと話し声がさざ波のように聞こえている中、その音だけがやけにはっきりと脳裏に響く。

 重い瞼を開いて突っ伏したまま頭を向けた梨香子は、席につこうとしている櫻田を目だけで見上げる。

「あ、起こした? ごめん」

 梨香子は目を擦りながらのろりと体を起こし、時計を見遣る。予鈴まで二分、思ったより時間が経っていて、ほんの少し本当に寝落ちていた事を知る。

「ううん。どうせ、もうチャイム鳴るし」

「次世界史だよ。羽田さん、起きてられないんじゃない」

 あははと笑いながら世界史の授業の準備をする櫻田を見つめ、梨香子もまた四限を終えたままの机の教科書を入れ替える。

「無理かもー。寝てたら起こしてね?」

「俺も寝るかもだから、約束は出来ないや」

 笑って言うが、櫻田が授業中に眠っているのを見た事がない。

「櫻田くんって、食堂派なの?」

「ん?」

「昼休みいっつもいないでしょ?」

 ああ、と櫻田は教科書の端を整えながら視線をこちらに向けた。目が合った瞬間、何故かびりりと背中が痛んだ。

「仲いい奴が隣のクラスにいて、一緒に食べるから。食堂ばっかりって事はないんだけど」

「あー、そうなの」

 休み時間も席をあける事が多い理由の一端に触れた気がして、なんだか嬉しい。

 梨香子は準備した教科書を枕にするように突っ伏し、問う。

「櫻田くんて、コンタクトしないの?」

「なんで?」

「や、単なる好奇心というか。眼鏡かけてるとこしか見た事ないから」

 見ようによってはお洒落だが、一歩間違うとださい大きなフレームの眼鏡は、見慣れたせいか櫻田には良く似合うような気がする。だが、下ろした前髪のせいもあってか目元が暗く見える事を勿体ないと梨香子は思う。眼鏡をかけていない姿を見てみたいと、思う。

「運動部でもないから、いらないかなって。お金も馬鹿にならないし」

 美意識が高そうにも見えないしな、と梨香子は苦く笑う。だらしがない事も清潔感がないという事もないのだが、こ洒落た私服を着こなしている姿は想像できない。

 部活動は入っているのだろうかと口を開きかけた梨香子の質問を遮るように、チャイムが鳴り響く。まだ鳴っているうちから教室に入って来た世界史の教師のせいで口を突きかけた疑問を飲み込んだ梨香子は、意外と櫻田の事を知らない自分に気が付く。

 自分への好意があるように思う。

 目が合う事がなく、口数少なく物静かだ。

 たったそれだけしか、櫻田について思う事、知っている事はなかった。

 いざ蓋を開けてみるとしっかりと梨香子の目を見て話し、おどおどとした様子もない。笑う時は時に快活に、目を細めるようにして綺麗に笑う。最早今となっては梨香子に好意を抱いているかどうかすら怪しいものだと思う。

(全然違ったな、思っていた人と)

 何もかもが違う。そして何も、知らない。仲が良い友達さえ、昼休みの過ごし方でさえ、部活動でさえ。

 

 自分のことを好きな人間というのは、分かるものであると梨香子は思う。

 だがこの櫻田という男に出会ってから、ほんの少しばかり、自信喪失気味である。

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