第5話 影の中の影
地下の集会は週に一度、息を潜めるように続けられていた。
最初は小さな会話の共有だけだったが、やがて参加者たちは新聞の切り抜きや、政府の内部資料らしきものまで持ち寄るようになった。
「これを見てください。監視カメラの映像はすべて中央のサーバーに集められている。犯罪防止なんかじゃない。誰がどこにいたか、逐一記録されてるんです」
青年が差し出した紙束には、硬質な印字と黒塗りの箇所が並んでいた。
その瞬間、部屋の空気は重く沈み込み、誰もが言葉を失った。
(……でも、この情報はどこから手に入れた? 彼自身は安全なのか? それとも、罠なのか?)
真理子の脳裏をかすめた疑念は、吐き出すことなく胸の奥でじわりと広がっていった。
その夜、帰り際。
暗い道を並んで歩く真理子に、由紀が囁いた。
「……怖くない?」
「怖いよ。でも、何もしなければもっと怖い。私たちの声が完全に消される前に、少しでも動かなきゃ」
由紀の目は、恐怖を押し殺すように光を宿していた。その強さが一瞬、真理子の支えとなる。
だが同時に、その光の奥に、どこか張り詰めすぎた危うさをも感じてしまう自分がいた。
集会の最中、どうしても気にかかることがあった。若い男の視線だ。彼は頻繁に出入り口を気にしては、誰かに声をかけられると曖昧に笑ってかわし、決して踏み込んだ話をしない。
(……あの人、何か隠している? 政府のスパイ? それともただの臆病者?)
疑念は小石のように胸の奥に沈み、次第に重さを増していく。
数日後。
帰宅途中の駅前で、真理子は警官二人に呼び止められた。無機質な制服、氷のように無表情な顔。
「身分証の提示をお願いします」
差し出した国民識別カードが機械に通される。ピッという短い電子音。
それだけのはずなのに、真理子の鼓動は耳元で破裂するように響いた。警官が無言でカードを返したとき、胸を締めつけていた手がようやく解けた。
だが同時に確信した。
――監視の網はすでに肌に触れるほど近く、誰かのささやき一つで絡みつき、窒息させる。
その週の集会。
一人、姿を見せぬ者がいた。代わりにテレビのニュースが映し出したのは、「過激思想に染まった危険人物の逮捕」を誇らしげに報じる映像だった。
そこにあったのは、見覚えのある顔。――何度も集会に現れていた年配の男性だった。
部屋の空気は一瞬にして凍りついた。
誰もが口を閉ざし、互いの視線を避ける。だが心の底では、同じ言葉が蠢いていた。
――内部に「政府の犬」がいる。いったい誰だ。
冷たい汗が真理子の背を伝う。
隣にいる由紀の目は本当に信じていいのか。あの若い男の不自然な挙動は? それとも――疑いの矛先は、もう自分に向けられているのか。
ひとりの疑念は、瞬く間に全体を覆う影となり、室内を締めつけていった。
やがて、リーダーの男が低く呟いた。
「この中に、密告している者がいる。裏切り者を見つけなければ、俺たちは全員、消える」
その言葉は、確かに灯っていたはずの希望を、黒い炎で焼き尽くしていった。
沈黙は祈りではなく、互いを裂くための刃物となり、部屋を覆った。
集会を後にした真理子は、何度も背後を振り返りながら歩いた。街灯の下に伸びる自分の影さえ、誰か別人のように見えてならない。
その夜、彼女は寝返りを打ち続けた。まぶたを閉じるたび、冷たい視線と鋭い囁きが夢と現実の境を曖昧にし、不安は身体の奥底に沈殿していく。
眠りは訪れず、ただ暗闇だけが彼女を抱きすくめていた。
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