第6話 崩れゆく灯火

 夜の集会。真理子はいつもより早めに会場に着いた。だが、そこにいたのは由紀と数人だけだった。

「……人が少ないね」

 不安を口にすると、由紀は固く唇を結んだ。

「みんな、捕まったの」

 低く震える声だった。


 数日前、別の拠点で集まっていた仲間が一斉に摘発されたという。場所は参加者しか知らない秘密のはずだった。出入りも細心の注意を払っていた。——それなのに、政府の部隊は迷うことなく扉を破り、全員を連れ去った。


「誰かが……密告したか、スパイがいるのよ」

 由紀の目が真理子を見据えた。疑念というより、恐怖に怯えきった視線だった。


 その時、建物の外で車のタイヤがきしむ音がした。次の瞬間、建物の周囲が青白い光に包まれる。サイレンが鳴り響いた。


「奴らが来た!」

 誰かが叫ぶ。


 窓の外には黒い制服の治安維持部隊が、規則正しい隊列で建物を取り囲んでいた。無機質な拡声器の声が響く。

「建物内の者はただちに投降せよ。抵抗は許されない」


 部屋の中は一瞬で混乱に陥った。逃げ道を探してドアへ殺到する者。机の下に身を隠す者。膝をつき、泣き崩れる者。

 真理子の心臓は、耳の奥で激しく脈打っていた。


 その時、由紀が真理子の手を掴む。

「こっちよ!」

 二人は非常口から裏路地へ飛び出した。暗い通りを必死に走る。背後では怒号と銃声が交錯し、誰かの悲鳴が闇を裂いた。


 角を曲がったとき、真理子は思わず振り返る。

 建物の窓が割れ、火の手が上がり始めていた。仲間たちの影が炎に呑み込まれていくのが見えた。


「……みんな……」

 声は喉の奥で途切れた。


 由紀は振り返らずに走り続ける。

「止まっちゃダメ! 捕まったら終わりよ!」


 二人は息を切らしながら、どうにか雑踏の中へ紛れ込んだ。だが真理子の脳裏には、さっきの光景が焼きついて離れない。

 ——仲間が消えていく。声を上げようとした者から、順番に。


 ようやく自宅へ戻った真理子は、玄関に倒れ込むように靴を脱ぎ、そのまま床に座り込んだ。

 耳の奥には、まだあのサイレンの余韻が響いている。

 ——自分も、いつ消されるかわからない。


 ふと窓の外に目をやると、街路灯の下に黒い車が停まっていた。エンジンは切られたまま。運転席には、こちらをじっと見つめる影がある。


 血の気が引いた。

 ——もう、監視の目は自分に注がれている。恐怖が全身を締めつけた。


 翌日、真理子は由紀と駅近くの小さな喫茶店で落ち合った。

 昼下がりの客の少ない店内。だが、背中にまとわりつくような視線を意識せずにはいられなかった。隅の席ではスーツ姿の男が新聞を広げ、時折こちらを盗み見る。——そう感じるだけで、心臓が締めつけられる。


「昨日、車が停まってたの。ずっと、家の前に」

 真理子は声をひそめた。

 由紀はコーヒーカップを握る手をわずかに震わせた。

「私の部屋の前にも。……もう全部、見張られてるんだと思う」


 二人は視線を交わしたが、その沈黙は安堵をもたらさなかった。

 摘発の夜に由紀が言った言葉が、真理子の耳にこびりついている。

 ——誰かが密告したか、スパイがいる。


 あの言葉は事実なのか。それとも、疑いの目を他へ向けるためのものだったのか。

 考えれば考えるほど、真理子の胸に不信が芽生える。


「ねえ、由紀……」

 問いかけようとした瞬間、由紀が先に口を開いた。

「私たち、信じ合わなきゃダメよ。そうじゃなきゃ、潰される」


 切実な声音。だが真理子の胸には、逆に重い影が落ちた。

 信じたい。けれど、疑ってしまう。

 ——あの夜、誰が部隊を呼び寄せたのか。


 視線の奥に、わずかな揺らぎが生まれていた。

 二人は同じ恐怖に怯えているはずなのに、互いを強く抱き寄せることも、完全に信じ切ることもできなかった。

 ただ、壊れそうな心をつなぎ止めるように、かろうじて手を伸ばしていた。

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