第6話 終章(しゅうしょう)
そのキスの余韻が、私の唇にまだ残っているかのようだった。
神谷さん――いや、彼は私の恋人になったのだ。図書室の片隅で交わしたあの優しいキスは、私の心の中に深く刻まれ、忘れられない瞬間となった。
それから数日間、私たちはいつものように図書室で過ごした。勉強をしたり、おしゃべりをしたり、時にはただ隣に座って本を読んだり。彼と一緒にいる時間は、どれも特別で、心が満たされるような気がした。
でも、私の中にはどこか、小さな違和感があった。
それは、あの日のキスの後、彼が図書室を出る際に、ふと見えた彼の首筋のライン。いつもは髪で隠れていて気に留めなかったのだが、その日は少し髪が乱れていて、その下に見えたものが――
「ひなた、どうかした?」
神谷さんが、私の顔を覗き込むようにして聞いた。
「え? あ、いえ……なんでもないです」
私は、咄嗟に首を振った。何かを言いかけて、でもそれを飲み込んだ。何かを疑うべきではない。彼は彼で、私は彼のことが好きなのだから。
でも、その違和感は、私の心の片隅に引っかかったままだった。
そして、ある日の放課後。
私たちはいつものように図書室で過ごしていた。勉強をしているうちに、外はすっかり暗くなり、図書室の中は柔らかな照明に包まれていた。
「ひなた、今日は少し早めに帰ろうか」
神谷さんが、そう提案してきた。
「はい。でも、大丈夫ですか? まだ閉館まで時間がありますよ」
私は、少し不思議に思いながら聞いた。
「うん。でも、今日はちょっと用事があってね。それに、ひなたと二人でゆっくり食事でもしたいと思って」
彼は、優しく微笑んだ。
「そうなんですか。じゃあ、お願いします」
私は、少し嬉しくなりながら答えた。
図書室を出ると、外は冷たい風が吹いていた。秋も深まり、夜になると肌寒さを感じるようになってきた。
「寒くない?」
神谷さんが、私の肩に軽く手を置きながら聞いた。
「大丈夫です。でも、ちょっと……」
私は言いかけて、言葉を濁した。
「でも、何?」
彼は、私の顔を覗き込むようにして聞いた。
「神谷さんの手、暖かいですね」
私は、思わず本音を口にした。
神谷さんは、少し照れたように笑い、私の手をそっと握った。
「僕の手が暖かいかどうか、よく知ってるね。ひなたとは、いつも一緒にいるから」
彼の言葉に、私の胸がきゅっと締め付けられるような気がした。
私たちは、そのまま手を繋いだまま、近くのカフェへと向かった。店内は暖かく、柔らかな音楽が流れていた。私たちは窓際の席に座り、それぞれのドリンクを注文した。
「ねえ、ひなた」
ドリンクが運ばれてくるのを待ちながら、神谷さんがそう呼びかけてきた。
「はい?」
私は、彼の方を向いた。
「実はね、今日は少し話があって……」
彼は、少し真剣な表情を浮かべた。
「話? 何ですか?」
私は、少し不安になりながら聞いた。
「うん……。僕はね、実は――」
そのとき、カフェのドアが開き、風が店内に吹き込んできた。神谷さんの髪が、その風に揺れ、ふと見えた彼の耳の形――
「ひなた、実は僕は……」
神谷さんの言葉が、途中で途切れた。私は、彼の言葉よりも、先に目に入ったものに気づいていた。
彼の耳の先。それは、明らかに――
「神谷さん……あなた、まさか……」
私の声が、震えていた。
神谷さんは、少し驚いた表情を浮かべた後、ゆっくりと頷いた。
「うん……。ごめん、ひなた。僕は、実は……女子なんだ」
その言葉が、私の耳に届いた瞬間、私の頭の中は真っ白になった。
「えっ……? 女子……?」
私は、何度もその言葉を繰り返した。
「うん。僕の本名は、神谷 悠真(かみや ゆうま)じゃなくて、神谷 悠真(かみや ゆうま)……っていうか、名字は同じだけど、下の名前は『ゆうみ』。それに、僕は生まれつき、男の子のような外見をしているんだ。だから、みんなにはずっと男子として接してもらってた」
彼――いや、彼女は、そう言って、少し照れたように微笑んだ。
「でも、僕は、僕らしくいたいから、ずっとこの格好でいるんだ。だけど、ひなたには、正直に話しておきたかった。僕のこと、嫌いにならないでほしいんだ」
私は、言葉を失っていた。頭の中で、いろんな感情が渦巻いていた。驚き、困惑、そして――
「ひなた?」
彼女が、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「えっと……。あの、私……」
私は、何を言えばいいのかわからなかった。彼女の気持ちは、ちゃんと伝わっていた。彼女は、ずっと正直に、自分のことを話そうとしてくれていたのだ。
「私……、嫌いになんて、なりません」
私は、ゆっくりと言った。
「えっ……?」
彼女は、驚いた表情を浮かべた。
「だって、神谷さん……いえ、悠真さんは、ずっと僕のことを大切にしてくれていたじゃないですか。その気持ち、ちゃんと伝わってきます。外見だけじゃなくて、中身のあなたが、私は好きなんです」
私の言葉に、彼女の目に涙が浮かんだ。
「ひなた……ありがとう。僕、嬉しいよ」
彼女は、そう言って、私の手をギュッと握った。
「でも、悠真さん……いえ、悠真ちゃん……。これから、どうしましょうか?」
私は、少し困ったように聞いた。
「うん……。僕は、僕らしくいたいから、このままでいいんだ。だけど、ひなたが嫌じゃなければ、これからも一緒にいよう。僕と、ひなたで、どんな未来でも乗り越えていこう」
彼女の言葉に、私は微笑んだ。
「はい。一緒にいよう。悠真ちゃんと、私で」
その日、私たちはカフェで長い時間を過ごした。いろんな話をした。彼女の過去のこと、今のこと、そして未来のこと。
そして、私は気づいた。彼女の中にある強さ、そして優しさ。それは、外見ではなく、心から滲み出ているものだった。
「悠真ちゃん、本当に英俊だね」
私は、思わずそう口にした。
「えっ? 英俊……?」
彼女は、不思議そうに聞き返した。
「うん。だって、悠真ちゃんは、男の子みたいに見えるし、声もきれいだし、性格も優しいし。本当に、英俊な人だと思う」
私の言葉に、彼女は少し照れたように笑った。
「ありがとう、ひなた。でも、僕は、僕らしくいられればいいんだ。それに、ひなたがそう思ってくれるなんて、嬉しいよ」
その日以来、私たちの関係は、以前と少しも変わらなかった。いや、むしろ、より深い絆で結ばれた気がした。
私の恋人は、外見は男の子のようだけど、中身はとても優しくて、強い女の子。そして、私はその彼女が、本当に大好きだった。
「私の恋人は、本当に英俊だ」
私は、心の中でそう思いながら、彼女の手をギュッと握った。
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