第5話 図書室の秘密の時間
秋の訪れとともに、図書室の窓から差し込む日差しも柔らかくなっていた。木の葉が風に舞い、時折、ピルルクという音を立てて地面に降り注ぐ。私たちはいつものように、図書室の窓際の席で向かい合っていた。
神谷さんと幼馴染だと知ってから、私たちの関係は微妙に変わっていた。まるで、かつて失われていたピースがぴたりと嵌まったような、そんな安心感と、新たな発見に満ちたドキドキ感が入り混じった、不思議な空気が流れている。
「ねえ、この数式、どういう風に解くの?」
私は数学の問題集を開き、悩ましげに眉を寄せた。神谷さんは隣の席から、私のノートをそっとのぞき込む。
「ここね、まずこの式を変形するんだ。変数をまとめて、このように……」
彼の指が、丁寧に問題の一部をなぞる。その指先は、いつも本をめくるときのように穏やかで、落ち着いている。
「あ、そっか。そういう風にすれば、簡単だったんだ」
私はハッとして、ペンを握り直した。神谷さんの説明は、複雑な数式も、まるで物語のようにわかりやすく解きほぐしてくれる。
「神谷さん、数学、すごく得意なんですね」
「いや、僕はむしろ国語の方が……。でも、ひなたが困ってると、何だか教えたくなるんだ」
彼は照れたように笑い、頬を少し赤らめた。
私たちはその後も、交互に問題を出し合いながら、黙々と勉強を進めていった。時折、互いのノートを見せ合ったり、分からないところを教え合ったり。図書室には、他の生徒たちの静かな読書の気配と、時折ページをめくる音が響いている。
「ねえ、ちょっと休憩しようか」
一時間ほど集中して勉強した後、神谷さんがそう提案した。私はうなずき、二人で図書室の隅にあるソファ席へと移動した。
ソファに腰を下ろし、私たちはそれぞれの飲み物を取り出した。私はいつものように麦茶を、神谷さんはコーヒーを持参していた。
「今日は、ありがとう。助かったよ」
神谷さんは、コーヒーカップを手に取りながら言った。
「私こそ、いつもお世話になっています。神谷さんのおかげで、難しい問題も少しずつ解けるようになってきた気がします」
私は素直に感謝の気持ちを伝えた。
「そう言ってもらえると、僕も嬉しいよ。ひなたと一緒に勉強できるの、楽しいんだ」
彼の言葉に、私の胸がきゅっと締め付けられるような気がした。
「私も……です。神谷さんと話していると、何だか安心します。幼馴染だった頃のような、あの懐かしい感覚が蘇るんです」
私は、思わず本音を漏らしていた。
神谷さんは、少し驚いた表情を浮かべた後、優しく微笑んだ。
「僕もだよ。ひなたと再会できて、本当に良かった。これからも、ずっとこうして一緒にいられたらいいなって思う」
彼の言葉は、どこか真剣で、私の心に深く響いた。
そのとき、図書室の時計が、静かに時を刻む音を立てた。午後四時を過ぎ、外はすっかり夕暮れ時。図書室の中は、柔らかな照明に包まれている。
「もう、そろそろ閉館時間かな」
神谷さんが、壁の時計を見上げながら言った。
「ええ、そうですね。今日は、本当にありがとうございました」
私は立ち上がり、荷物をまとめ始めた。
神谷さんも、自分の荷物を持ち上げながら、私の隣に立った。
「じゃあ、明日も図書室で会おうか」
「はい。お待ちしています」
私は微笑みながら答えた。
図書室を出ると、外はもう薄暗く、街灯がぽつぽつと点灯し始めていた。秋の夜風が、私たちの頬をそっと撫でる。
「寒くない?」
神谷さんが、心配そうに私の方を見た。
「大丈夫です。でも、ちょっと……」
私は言いかけて、言葉を濁した。
「でも、何?」
彼は私の顔を覗き込むようにして聞いた。
「神谷さんと、もっとゆっくり話していたかったな、って」
私は、思い切って本音を口にした。
神谷さんは、少し驚いた表情を浮かべた後、柔らかく微笑んだ。
「僕もだよ。じゃあ、明日は少し早めに来ようか。閉館間際まで、ゆっくり話せるといいね」
「はい……。楽しみにしています」
私は、心からそう答えた。
その日、私たちはそれぞれの家路についた。でも、私の心は、図書室で過ごしたあの穏やかで特別な時間が、いつまでも離れないでいた。
翌日の放課後、私はいつもより少し早めに図書室へ向かった。神谷さんとの約束を思い出しながら、胸が少し高鳴るのを感じる。
図書室に着くと、神谷さんはすでに来ていて、いつもの窓際の席で本を読んでいた。
「おはよう、神谷さん。早いですね」
私は、少し微笑みながら声をかけた。
「ひなたこそ。今日は少し早いね」
彼は本を閉じ、私の方を向いた。
「今日は、少し早めに来て、ゆっくり話しましょうって思って」
私は、昨日の約束を思い出しながら言った。
「うん。僕も、そのつもりだったよ」
神谷さんは、優しく微笑んだ。
私たちは、いつものように向かい合って座り、勉強を始めた。でも、今日はどこか違う。昨日の会話の余韻が、私たちの間に漂っているような気がする。
勉強をしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。私たちは交互に問題を出し合い、時折笑い声を上げながら、集中して取り組んでいた。
「ねえ、今日も休憩しようか」
二時間ほど過ぎたころ、神谷さんがそう提案した。
「はい。少し、お話ししましょうか」
私はうなずき、二人で再びソファ席へと移動した。
「ひなたは、将来どんなことをしたいの?」
神谷さんが、ふとそんな質問をしてきた。
「私は……まだ、よくわかりません。でも、人の役に立つような仕事がしたいな、って思っています」
私は、少し考えながら答えた。
「そうだね。僕も、そうだな。人の役に立つ仕事がいいなって思ってる。ひなたと同じように」
神谷さんは、優しく微笑んだ。
「神谷さんなら、きっといい仕事ができると思います。だって、みんなに優しくて、頼りになるから」
私は、思わず本音を口にした。
神谷さんは、少し照れたように笑い、頬を少し赤らめた。
「ありがとう。でも、ひなたこそ、とても優しいよ。僕は、ひなたのそういうところが好きだな」
彼の言葉に、私の胸がドキンと大きく鳴った。
「えっ……?」
私は、思わず声を上げてしまい、神谷さんの顔を見つめた。
「僕は、ひなたのことが好きだよ。幼馴染としてだけじゃなくて、一人の女の子として」
神谷さんは、真剣な表情で、私の目を見つめながら言った。
私は、言葉を失い、ただ神谷さんの顔を見つめ返した。
「僕と……付き合ってくれないかな」
神谷さんは、少し緊張した様子で、そう尋ねてきた。
私は、胸の鼓動が速くなるのを感じながら、ゆっくりと頷いた。
「はい……。私も、神谷さんのことが好きです」
その瞬間、神谷さんは、そっと私の方に身を寄せ、私の唇に、優しくキスをした。
図書室の静かな空気の中、二人の時間が、ゆっくりと流れていく。秋の夕暮れ時、図書室の片隅で、私たちは初めてのキスを交わしたのだった。
そのキスは、とても優しく、温かく、私の心の奥深くまで染み渡っていった。
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