第10話 噂

「大丈夫だった?」

「まあ、おかげさまで」


 俺は助けてもらった安子と正門に向かった。安子のさっきのセリフはどうやら嘘ではないらしく、本当に正門まで用事があるようだった。というよりただ帰るだけだろう。今朝の瑠璃みたいに俺の隣にぴたりとくっついて歩いてくる。なんなのこれ? 陽キャは肩寄せて歩かないと歩けなの? 俺には理解できない。これなら本当にうっかり意識してしまいそうになる。こいつもいい匂いするし。

 俺は肩を気を付けて歩くが、安子は俺の顔を覗き込んできたり、下から上を嘗め回すように見たりと何か気になっている様子だった。少し童顔で大きな瞳が時々俺の目を覗き込んでくる。無視できるはずがない。


「ど、どうしたの安達さん」

「安子でいいよ。だって瑠璃の彼氏さんでしょ? 気になって」

「何が?」


 俺の目の前にいきなり立つ安子が訝し気に俺の目を覗き込んだ。


「影山君さ、本当に瑠璃と付き合ってるの?」


 ビクリとした。端正な顔が近づいてきたことにも、その質問にも。内心の動揺を出さないよう、外面だけは平然を装おう。俺の得意なことだ。目線も口調もそのままに、一息ついて答える。


「付き合ってるよ」


 安子は俺の目を見たまま何も言わない。代わりに俺が喋る。さすがにこの瞳に見つめらるのは長く持たない。


「まあ、確かに信じられないかもだけど」


 俺は安子の隣を通り過ぎてまた歩き出した。


「別にそうじゃないよ。ただ、瑠璃が何も言ってくれないのが悔しくてさ」


 悪態をつきながらまた隣をついてくる。


「だって知らなかったんだよ? 瑠璃と影山君が仲良かったことも、まさか、好きだなんてもっと……」


 少し落ち込みながら言う安子の表情は本当に悲しそうに見えた。分かりやすく肩を落とし、下を見る。餌を貰えない小動物みたいだと思った。


「私はただ、ちょっとだけ頼られてもいいじゃん、って勝手に嫉妬してるだけ君に」

「そうなんだ」


 こういうところが友達ってのはめんどくさい。別に何が好きとか、何が嫌いとか、何をしたいとか、したくないとか。そんなの自分の中で完結させればいいだろ。それに共有を求めたって何になるんだろう。もし否定でもされたら、それが本当に好きかどうかなんて曖昧になるかもしれない、他人の好きを踏みにじってしまうかもしれないのに。そこまで他人に固執する気持ちは何なのだろう。俺には到底理解できないことだった。そして反対に俺の理解できないことを、目の前の安子たちは知っているんだろう。友達とはを。


「もし影山君が、瑠璃のこと本気じゃなかったら、私は怒るよ。もちろん浮気何てもっての外」


 怖くない睨み顔で俺を見る。そんな顔で威嚇しても何もないというのに。

 でも、安子なりの心配だから、気になるんだろう。本気で頼られたいというより、大事な人の好きなものを、少しでも自分も知りたいと、思っているんだろう。だから今も俺に絡んできたんだ。少し忍びはない。こんな奴に嘘を吐くのは。


「好きだよ。本気で」


 俺は目を見てはっきり声に出せただろうか。安子の顔を見て確認する。どこか満足気だったから多分大丈夫だろう。


「それに、友達だからって、心配かけたくないことだってあるんじゃないか?」

「それは違うよ。友達だから心配するもん」

「じゃあ、もしかしたら否定されるかもしれないって、思ったんじゃないのか? 自分で言うのも何だけど、相手は俺だし。そういうとこ瑠璃は気にして安子に言わなかったんじゃないのかな」

「そんなことしないよ! 私は瑠璃が好きだし。他人の好きな気持ちを否定するほど馬鹿じゃないもん!」


 馬鹿か。学年順位が俺よりも低い奴にそう言われると少し可笑しな気持ちにもなるが、安子が瑠璃に抱く感情は俺が思っていたよりも真っすぐで、誠実なんだな。


「じゃあそれを俺じゃなく瑠璃に言えよ。きっと安子の知ってる瑠璃ならわかってくれるだろ?」


 安子は笑顔でそうする、と答えてくれた。今度は逆に瑠璃のことが気にもなる。確かに安子は馬鹿だが俺たちの関係を間違って言いふらすような人間じゃない気がする。むしろ言えば協力的にも思えてくる。それなのにどうしてあいつは本当のことを安子に言わないのだろう。


「ていうか影山君なんか口調変わった?」

「別に」

「なんかさっきと違う気がするけど?」


 今後も関わることもあるんだろう。なら隠す必要もないし、瑠璃と一緒にいたらいずれバレるだろう。


「俺は元々こんなんだよ」

「なんか明るくなった? でも、そっちの方がいいね!」

「うるせー、バカ」

「あ、今ひどい事言った!」


 まあ後で聞けばいいか。俺から勝手に何かアクションを起こすこともしない。なんならなるべくは関わらないほうが良いのかもしれない。いつの間にか俺の方がぼろが出そうだ。


「それにしても真司はやっぱり瑠璃のこと好きだったんだね」

「ああそれ聞きたかったんだよ。なんかさっきも絡まれたし。川又と瑠璃はどういう関係なんだ?」


 俺の知っている情報は川又が瑠璃のことを気にしていること、それからあいつが超絶女たらしということ。それ以外は何も知らなかった。


「瑠璃から何も聞いてないの?」

「少しだけ。なんかナンパがしつこいとかって」

「それだけ?! ていうかナンパって瑠璃も大げさだね」


 ははは~、と笑いながら笑う。特徴的な笑い声で。


「え、違うのか?」

「いや、まあ捉えようによってはそうだけどね。真司はよく瑠璃を遊びに誘ったりしていたのはホント!」

「じゃあ、なんだよ。何か知ってるのか?


「まあクラス違うかったから、知らないよね。あの二人瑠璃と真司、それから私もだけど一年の頃同じクラスだったんだ。あの二人男女のカーストトップでしょ?」


 でしょって言われても知らないけど。確かにそんな感じはする。男子のトップが川又で、女子のトップが瑠璃か。てかそんなクラス地獄以外の何でもない。


「だから、自然と付き合ってる、って噂も流れたんだよね。正直仲もよさそうだったし。でも瑠璃は頑なに否定してたんだよね。みんなに言ってたわけじゃないけど、私たちには付き合う気はないって、私が煽ったらちょっと怒ったこともあるくらい。それに、その時期あたりに真司の悪い噂が流れちゃったから。それに由美先輩って私のバスケ部の先輩なんだけど、その人とも一緒に歩いてるとこ見ちゃったし自然消滅、みたいな?」

「なるほどな。でも、それだけで仲が悪くなることか? 別にそれまで話してたんだろ?」

「う~ん、それは多分周りのせいかもね。真司の噂が出始めてから、瑠璃の変な噂も流れたの。他に付き合ってる人がいるとか、真司に振られたから真司は他の人と付き合ってるとか、そしてまだ瑠璃が気にしてるなんてありもしない噂を流されて、それで二人の仲も険悪になっていったの。まあ真司は瑠璃のことが気になってたみたいだけどね」


 結局全部噂か。瑠璃が俺との偽恋人関係を演じるようになったのはもちろん川又から自分を遠ざける為でもあったのかもしれないが、もしかしたら本当はその噂を払拭するためだったのかもな。

 というかそんな陽キャ戦争に巻き込まれている自分が本当に不幸で哀れすぎる。なんでそんな噂の終息に俺みたいな陰キャが生贄にならなきゃいけないんだよ。


「だから真司に絡まれたのかもね?」

「冗談でもやめてくれ」

「あっはは~」


 まじで安子が来なければどうなていたか。考えると怖くなる。


「で? 川又は結局その由美先輩って人と付き合って、瑠璃は俺と付き合った。これで終わりか?」

「ううん。真司が由美先輩と付き合ってるのかはわからないの」

「は? でも一緒にいたって」

「由美先輩が真司のことを好きなのは間違いないんだけど付き合ってるかどうかはわからないんだ。だって真司は瑠璃が好きなんでしょ? それでも仲は良いと思うけど」


 なんだそれ。ほとんど付き合ってるようなもんじゃん。男女の友情なんて成立するのかよ。そんなことよりも俺はまだまだ気になったことがいくつもある。

 目の前でゲラゲラ笑う安子はどこまで知っているんだろう。


「それでさ、聞きたいことがあるんだけど」

「ん?」

「川又の噂、どこから聞いた?」





「もぉ~、二人とも遅いよ!」


 正門前では案の定瑠璃が立っていた。首をきょろきょろ動かし、俺たちの姿を確認すると待ちくたびれたとばかりに駆け寄ってくる。


「ごめんごめん、話してたら遅くなちゃた。私も影山君と仲良くなれたし!」

「何? 早速浮気?」


 瑠璃が鋭い目で俺を見た。俺は全力で首を横に振る。


「まあまあ安心して、影山君は瑠璃以外には興味ないみたいだし。私がちょっと誘惑しても全然乗ってれなかったし」

「あんは何してるのよ!」


 なんて二人はじゃれ合っていた。

 しばらくして安子は用事があるから、とすぐに帰っていった。やっぱ帰りたかっただけかよ。


「はあ、疲れた」


 さすがに安子と言えど、人と話すことは疲れる。さすがに社会不適合な俺のコミュ力。


「で? 本当は何してたの?」

「そのことについて俺も話したいことがあるんだけど、家来れるか?」

「え? あんたの?!」


 なぜか顔を赤くする瑠璃。お前昨日勝手に来ただろ。


「ま、まあいいけど。さすがにそれはちょっと早いって言うか? 私はあんほど大胆じゃないし」

「何言ってんだお前は。てかやっぱどっかのカフェで」

「え、ちょ、なんでよ?!」

「今日は母さんがいる日だ。とりあえず行くぞ」


 どうしてか落ち込む瑠璃を連れて俺たちは正門を出た。何だこいつは。




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