第2話 ゲーム

遡ること一か月前————



 俺の名前は影山一人かげやまかずと都内の高校に通う高校二年生。

 こんな堂々と自己紹介をするほど俺には至って特筆すべき点なんて何もない。勉強ができるわけでも、スポーツが得意なわけでもない。全てが並みの普通の高校生。小説とかアニメだとこういうやつが主人公に選ばれやすいのだが、それはあくまで物語の話でだけ。俺にそんな大層な物事は今のところは起きていない。

 名は体を表すと言わんばかりに名前の通りいつも一人。高校には友達何ていないし、今までの人生を顧みてもいたかどうか怪しいくらいだ。

 そんなろくでもない奴でも晴れて二年生。友達がいなくても進級できる高校に俺は心底感謝した。


「てか、なんでこんな奴を主人公に据えたがるかね。絶対作者とか陰キャラで青春に夢見てるやつだろ」


 偏見を呟きながら通学路を歩く。ぼっちは独り言が多い。

 その分俺は自分の青春に何の期待もしていない。だからこの生活を辛いと感じたことは今までなかった。

 学校に近づくにつれて同じ制服を着た生徒が見えてきた。正門前からは生徒会の大きな挨拶の声が聞こえてきた。


「おはようございまーす!」


 朝から元気な奴らだ。きっと国歌斉唱とかもちゃんと歌うんだろうな。

 俺にそんな元気はないし、かといって無視する勇気もなく軽く会釈だけして門をくぐった。

 二年生なった俺のクラスは一つ階が上がった。その分階段を多く昇らないといけないということでもあった。年が取るにつれ老化するのだからこの制度は逆だろうと思ったが、きっと一年の俺ならまだ高校生に成りたての俺らがなんで最上階なんだよ、って文句をごねるとこを想像するに二年生のこの階が一番平和な気がした。まあクラスは平和じゃないけど。

 まだ入ってもいないのに教室の中は騒がしいことは容易に想像がつく。その証拠にに廊下にまでその喧騒は響いていた。男女の笑い声が。

 そんな教室に俺は今日も入らないといけないわけで。

 ガラガラと詰まったような音を上げながら扉を開けると、その音に反応し何人かの生徒が一瞬だけこっちを見て会話に戻っていく。

 俺は気にもせず自分の席に腰を下ろし、クラスの騒がしい奴をピックアップした。俗に陽キャと呼ばれる連中。その中でも特に存在を放っているのは誰にでも笑顔を振りまいていそうな、むしろ笑顔が顔に張り付いたようなやつ。赤城瑠璃せきじょうるりが目にとまった。ボブヘアの可愛らしい見た目と愛嬌のある表情はクラスで人気だった。しかしどうにも胡散臭くも見えた。一見清楚そうに見えて実は腹黒いんじゃないか、その笑顔から俺はそんな邪気を感じ取っていた。いや一種の願望に近い。こういうやつが大体性格が悪くて、部屋が汚いんだよな。

 赤城は俺の視線を敏感に感じ取った。


「どうしたの?」


 やべ、目が合った。

 赤城はこっちを見て、近づいてきた。俺は心の中で勘弁してくれ、と思う。極力人と関わらないようにしたかったし、俺のお喋りは心の中だけでしか通用しないからだ。


「おはよ!」


 そして眩しい笑顔挨拶を一つ。あまりに眩しく、寝起きのカーテンを開けた時のように俺は目を細めた。


「どうしたの?」


 赤城はどんどん俺に近づいた。顔がよく見える。大きな瞳も長いまつ毛も、すらりと伸びた鼻も、淡いピンク色の唇もって、近い近い近い! 思わずいい匂いがするほどだった。

 それでも俺の答えを待たずにこうやってガンガンと詰め寄られるのは苦手だ。俺は少し椅子を引いて応じた。


「いや、あの、何でもないです。まじで」

「何かあるなら話聞くよ?」


 「お前に話すことなんか何もねぇよ」 なんていきなり言えるはずもない。俺は気持ち悪くきょどって「ありがとう」としか言えなかった。


「うん! じゃあね」


 そう言ってまた一度大きく笑ってグループへと戻る、が途中で赤城はまた俺の方を見た。さっきまでの笑顔とは違う赤らんだ顔を浮かべて。


「あのさ……」


 急な上目遣い。危うく見惚れてしまいそうだった。赤城はそんな蕩けた瞳を俺に向け、ゆっくりとその小さな唇を動かしていく。その唇に目を奪われそうになっていた俺には、赤城の言葉が時間差になって聞こえてくるようだった。


「話があるんだけど、いいかな?」


 気づけば固唾を飲んでいた。赤城はまた俺の返答を待たずに口を先走らせた。


「実はさ————」


「るりー?」


「ごめん。また今度ね」


 そう言って赤城はグループの方へと走って戻っていった。一体何を言おうとしていたのか、俺は考えることもなかった。間もなく教師が入ってきてホームルームが始まり、学校生活も同時にスタートしたが、赤城が俺に話しかけてくることはもうなかった。




「ただいま」


 相変わらず返事がない。俺はそのままリビングへ入る。が先客とばかりに妹である二つ下の富久ふくがソファの上ですやすやと眠ていた。相変わらずテレビにはよくわからないゲーム画面が写っている。

 制服を着てはいるが学校に行ったかはわからない。富久は家でゲームばかりする所謂不登校と言うやつだ。顔を覗き込むと長いまつ毛が揺れて顔に比べて大きな瞳が俺を見た。


「あ、ぼっち兄じゃん。おかえり」

「ただいま。ぼっちは余計だろ」


 たく、兄に対しての尊敬もあったもんじゃない。


「お前学校は行ったのか?」


 その問いに富久は乾いた笑いを漏らした。


「行くわけないじゃん」

「堂々と言うな! お前義務教育舐めんなよ!」


 俺は行きたくなくても行かなきゃいけなかったんだぞ。そんな恥ずかしいことを口走りそうになって咄嗟に口をつぐんだ。同時にひどいトラウマも思い出しそうになったし。


「まあ良いじゃん、そんなこと」


 大きなあくびをする富久。俺は呆れてため息をついた。全くこのだらしない妹は。誰を見て育ったのか。


「ん? 何これ?」


 俺は机の上に散乱するプリントに気が付いた。宛先は富久が、送り主は富久の中学からだった。俺はそれを見て富久の質の悪さを再確認した。


「げっ」


 思わずそんな声が漏れた。


「ああ~、それね。まあ、これで文句ないでしょ?」


 生意気に富久は言った。

 それはテストの答案用紙で、国語、数学、理科、社会、英語。全教科全て九十点は超えていた。


「(きっしょ。なんでとれるんだよ)」


 心の中だけでそうつぶやいた。

 そう。こいつは学校に行かない癖に何故か成績だけはいい。そのせいで教師も強くは何も言ってこないし、両親も成績がとれる間は不問にしている。今のご時世こんな奴を野放しにしていいはずはないのに。炎上するぞこいつ。


「お前な~、俺みたいになるぞ本当に。いいのか? いや俺よりもっとひどいのかも」

「なんで? ていうかぼっち兄の何が悪いの?」


 ぼっちは余計だが、俺はその真っすぐな言葉に少し照れた。もちろん顔には出さないが。


「そんなことよりさ」


 富久は一つのゲームのパッケージを取り出す。


「久しぶりにゲームしない? 最近刺激足りてないでしょ?」

「パス。眠いから寝るよ」

「ふ~ん」


 富久は何か悪い事でも思いついたように悪戯に笑っている。この顔をするこいつはロクなことを言わないような気がした。


「逃げるんだ」


 安い挑発。俺は乗らない。が、富久も引かなかった。


「いいんだ? 私、ぼっち兄のSNSのアカウント知ってるけど? それで何呟いてもいいんだ?」

「お前それは卑怯だろ!」

「じゃあやろうよ! お願い一回だけ」

「はあ、いいよ。一回だけな。その代わり俺が勝ったら明日は学校行けよ」

「うん!」


 富久の顔がぱっと明るくなった。無邪気さが似合う笑顔。つい俺も嬉しくなる。

 しかしそれも一瞬だった。今からやるのはただのゲーム。昔から二人でやっていたはずの野球ゲーム、のはずだった。

 富久はニヤリと口角を上げた。かと思うと俺にも提案してきた。


「じゃあ私が勝ったら~……」


 腹の底では決まっているのに富久は勿体ぶった。


「なんだよ。アイス? 肩もみ?」

「卒業までに彼女作ること!」


「は? はjhfhdsfhsだhfjhsjfhsdhふぉはぁぁぁぁぁ?!」


 思わず意味の分からない言葉が口から零れ落ちていった。


「じゃあやろっか」


 そう言う富久の顔は今まで見た中で一番楽しそうで、一番悪魔みたいだった。俺に拒否権はない。富久はさっさとソフトをいれゲームを起動した。青色のコントローラを俺に手渡す。

 何とも不本意だが、もうやるしかない。それに勝てば全て丸く収まる。なら、勝てばいいのだ。

 言葉に出すのは簡単だが、これまでの通算成績は圧倒的に黒星。普通にやっても負け越しているのにそこに罰ゲームというプレッシャーまで付いている。俺の勝率は極めて少なかった。しかしゼロじゃない。それに最後は俺の勝ちで終わっているのだからその成功体験は脳裏に刻まれている。

 自然とコントローラを握る手に力が入る。富久は余裕の表情でむしろへらへらと笑みを浮かべている。


「準備はいい?」

「ああ」

「おっけー、それじゃあ」


「「ゲームスタート!!」」



 


 


 

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