第3話 来訪

 試合は一進一退の攻防だった。正直今日の俺は冴えてる気がした。

 富久の出す球種をほとんど読み切り、ストライクゾーンギリギリのラインを正確に捉え、甘い球だけを打ち続け点を順調に入れていった。対して富久も持ち前の揺さぶりと読み合いの強さで俺の投げる球を軽々打ち点を入れていった。

 9回裏2アウト満塁のチャンスで点差は9対8。カウントは2ストライク3ボールのフルカウント。俺が打てば逆転勝利となり、少しでもミスすれば即負けが決定し罰ゲーム(約束)を受けなければならない。

 焦りと緊張でコントローラを握る手が汗ばんだ。富久は相変わらずの表情。明らかにお互いの罰ゲームが釣り合っていない気がするが今更そんなことは言えない。


「カーブ投げようかな~?」

「さっきから何回目だよそれ、さすがに引っかからないぞ」

「それはどうかな~?」


 ボタンを押す音と共に画面の向こうでは相手ピッチャーが球を投げ始める。明らかに遅いボール。これは……カーブ?!本当に投げてきやがった。

 俺は何とかカーソルを合わせ打ち返すが、ファールだった。


「くそ」

「おおぉ~、惜しいね」


 惜しいね、じゃねぇよこいつ。俺の生活が懸かってんだから少しは兄を敬って負けてくれよ。相変わらず楽しそうに笑っている。

 それでも、久しぶりにこうやってゲームして、富久なりに楽しんでいるのかもしれない。そう思うと俺も純粋に楽しかった。こうして本気でゲームをして盛り上がれる兄妹なんて珍しいんじゃないか。

 ぽつりと富久が溢した。


「私さ、別に学校に行くことは苦じゃないんだ」

「なんだよ急に」

「ただ、ボッチ兄とこうしてゲームできる時間が少なくなるのが嫌なの」


 なんだこの急な告白は。俺は思わずゲーム画面から目を逸らして富久の顔を見た。富久もこちらを見ていた。


「お前……」

「学校にいったらさ、忙しくなっちゃうでしょ? ほら委員会とか部活とかもやらなきゃいけないし」

「でも、きっと行ったら俺とゲームするよりも楽しいこと何ていくらでもあるよ」

「別に私はそんなのいらないもん」

「それに俺はお前には俺みたいには生きてほしくないんだよ」


 きっと富久なら上手くやれる。頭も容量もいいんだ。ちょっとした悪戯心なんて許してもらえる。だから俺みたいに、一人にならなくても、こんなに捻くれなくてもいいんだ。家族でこんなキャラは俺一人でいい。

 俺はコントローラから手を離していた。富久も画面から完全に目を離して俺を見ていた。こいつはただ純粋にゲームがしたかっただけなんだ。だから本気でやるためにだけにこんな罰ゲームまで。


「お前はもっとすごい奴だろ? ならそれを学校の皆にも見せてやれよ。大丈夫。またゲームくらいいくらでもやってやる。だって俺は友達いないしな」

「お兄ちゃん……」

「だから俺みたいになるなよ」


 自虐的に言ったつもりだったが富久の顔は至って真剣で、俺の方が気まずくなるほどだった。思わず目を逸らしてしまったが、富久の「でも」で俺はまた富久を見た。上目遣いで俺を見ていた。


「私は、お兄ちゃんが好きだよ」

「富久……、、、」


 こんな富久の表情を俺は見たことがなかった。目元がうっすらと潤み、頬がどこか歩の赤く光っていた。そしてゆっくりと口角が吊り上がっていくのを見て、俺は……、俺は……


 やってしまったと思った。


「ふふっ」


 富久はそうほくそ笑むとコントローラのボタンを押した。俺はすぐにコントローラを拾い上げ、画面に目をやるが遅かった。すでにピッチャーの投げた球はバッターの後ろに立つキャッチャーのミットに吸い込まれていた。

 これまであまり見せていなかったストレート。俺の気を緩みを見逃さず一番の球速を投げてきやがった。


 ゲーム終了の画面。分割の富久の画面には『勝ち』が、俺の画面には『負け』。つまりはそういうことのようだった。

 富久は我慢できないとばかりにため込んでいた空気を笑いと共にその大きく開いた口から溢れ出させた。


「ふふ、ふははははぁぁ~! 引っかかった!引っかかった!」

「いや反則だろ! ていうか何?! ブラコン?!」

「なわけないじゃん、これも作戦」


 胸にぐさっと槍を突き刺されたような痛さ。俺は富久に負けたことよりも富久の気持ちに騙されたことに、そして内心本気で富久の言葉を捉えていたことの羞恥心によるダメージが大きかった。吐血のように俺は苦し紛れに負け惜しみを言うが富久の耳には聞こえていない。

 この世の終わりに一人儚げに狂おしく笑う少女のように大きな声で笑っていた。


「てことで」一しきり笑い終わった富久は今度は不敵に微笑んだ。


「卒業までに彼女を作ること、出来なきゃ……どうしよ、上の雑誌でもお母さんとかにばらそうかな」

「おいお前それだけは」


 SNSなんてどうでもいいほどの脅しが飛んできた。思春期男子を脅すにはにはいい材料がすでに見つかっていた。

 そうして俺の意図しない青春? が始まった。てか始めさせられた。



 長い回想はここまでにして。それでも俺の青春なんて変わるわけなかった。約束はしたものの俺から話し掛けれるはずもなく(話しかけられたら今まで一人じゃない)、逆に話しかけられることなんてもっとなく、俺はただいつも通り一人の日々を過ごしてきたのだが。


「一人くん?」


 玄関の前にはおそらくあいつがいる。まさかこんな平凡な日々が何気なく過ごす一日によってぶち壊されることになるなんて。それもクラスクラスでも人気な美少女に。


「もしもーし」


 やばい何か言葉を発しないといけないのにその言葉が見つからない。

 俺の頭はずっと混乱していた。どうして俺の家に赤城瑠璃が来ているのか。その真意が全くもって読めなかった。それとも俺だけに用事があるということが俺の驕りなのかもしれない。ひょっとしたら、赤城はこの辺のクラスメイト達の家を回っているのかもしれない、それは、なんか、その色んな理由で。

 だからたまたま俺の家にあったった。ただそれだけだ。

 なんだ、ちょっと期待したじゃないか。何をだよ。

 だが、どうして俺の住所を知っているんだ? どこに俺の個人情報が出回っているというのか。家に人を入れたことなんてないし、帰宅路が被る奴なんていない。じゃあ何で知って赤城はここまで?


「何してんのぼっち兄、早く出てあげなよ」

「ばっか、お前声出すなよ」


 向こうに聞こえるだろうが。俺が家にいること。


「あ、いたんだね一人くん! あの、ちょっと話があって」


 俺は富久を睨んだが富久はどこ吹く風、というよりもむしろ突如現れた台風を楽しむ子供のようだった。

 ていうか話って何なんだよ。俺は別に赤城に話したいことも聞きたいこともないのだが


「あ、勝手に入っていいですよー」

「バカ野郎!」

「あ、わかりました。じゃ、じゃあ入るね」


 インターフォンが切れた。

 家の門を開ける音。ローファーが地を踏む足が徐々に近づいてくるのがわかった。そして大きな音を響かせて俺の家の玄関が開いた。そこから呼ぶ声は明らかに毎日のように学校で聞く、耳障り…間違えた、元気な声だった。


「一人く~ん! 入ったよ~」


 ため息が出た。


「お前何勝手に言ってんだよ」


 玄関先の赤城には聞こえない声量で富久を問いただす。相変わらずの笑みがむかつく。


「彼女作るチャンスじゃん! どうせぼっち兄はいつでも受動態なんだからさ」

「ていっても急すぎるだろ! しかもお前は知らないかもしらないけど相手はクラスでも人気者だぞ」

「ふぅ~、ラノベの主人公みたい」


 全く他人ごとみたいに。こいつには兄がどうなってもいいのか。


「とにかく、こんなチャンス滅多にないからさ、ガンバ!」


 そうやって親指を立てると廊下へと踏み出していく。後から声が聞こえた。


「あ、妹の富久です。お兄ちゃんは今リビングでちょ~っとだけ準備してるんで待っててください。私は部屋に戻ってるんで何かあったらまた言ってください。どうぞごゆっくり」

「初めまして、赤城瑠璃です。お邪魔しますね」


 階段を上って行った。本当に丸投げしてどこかへ行った。俺に緊急クエストだけ残しておいて。

 しかしあまりに不本意な話だが、富久の言う通りこれはチャンスでもあるのだ。長い間の抜けた俺の生活を変える大きなチャンス。せっかく富久が後押ししてくれたんだ、これに俺がびびって無駄にするなんてそれこそお兄ちゃん失格だ。

 俺は長い深呼吸した。よし、きっと大丈夫。一人で何度シミュレーションした? 大体のシチュエーションは頭に入ってあるはず。

 意を決して俺は玄関に出る。やはりそこには俺の認識に違わず赤城瑠璃が立っていた。可憐で元気な美少女が健気に靴を履いたまま。


「どうぞ。上がって」

「あ、ありがとう。お邪魔します」


 靴を脱いで土足で入ってきた。それは家の玄関にか、俺の心にか。

 近くまで来ると相変わらずいい匂いがふわっと香る。黒い髪が揺れる。近くで見るとやはり美少女だった。陶器のような真っ白な肌に、吸い込まれそうなほど綺麗な瞳。俺は思わず見惚れているのかもしれない。


「ど、どうしたの? 顔に何かついている?」


 ついている。のっぺらぼうでも可愛いと思える肌に、さらに美しさを纏わせるように目と鼻と口がそれぞれ完璧な造形の元についている。きっと俺はどうかしている。いやこの状況でどうにかならないほうがありえなかった。


「あ、いや、何もないけど。中入っていいよ」

「うん。ありがとう」


 これ以上見すぎると危うく石になりかねない。

 俺はさっさとリビングへと案内するのだった。

 

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