汚れた鏡
うに
汚れた鏡
当時23歳のユウキくんが引っ越したのは、奈良の方にある築40年ほどの単身者用マンション。
5階建ての3階、1DKの部屋。
玄関入ってすぐ洗面所、その奥がキッチンと居間が繋がった細長い間取り。
今まではいろんなバイトを掛け持ちするフリーターだったが、その年の秋に運よく中途採用で就職が決まった。
入社まで少し時間が空いていたのもあって、心機一転、思い切って勤め先に近い所へと移ってきたばかりだった。
古いけど内装は手が入っていて奇麗やったし、家賃もお手頃。
内見の時に一つ気になったことはあったが、そこ以外は気に入ったのでここに決めた。
ユウキ君が気になったというのは洗面所に備え付けられてた一人暮らし用にしては大きめの三面鏡付き洗面台。
左右棚で、その扉が鏡になっているタイプ。
その鏡の部分。
右と真ん中は奇麗な普通の鏡、気になったのは左側……くもったガラスみたいな、白っぽい汚れのついた変な質感。
気になって、その時一緒に来てた案内のおじさんに、この鏡なんで左だけ汚れてるんですか?って聞いてみたけど、おじさんは「いやぁ、なんでやろ…新しいのに変えてないんかな?すみません業者に聞いてみますね」と言っていた。
ここにするのは決めてるんで大丈夫ですよと笑ったけど、おじさんは申し訳ないのか「じゃぁ、一応取り換え可能かだけはちゃんと確認しときますんで気になるようでしたら私の方まで連絡ください」と、言ってくれたのを覚えてる。
引っ越してから何度か奇麗にならんか拭いたりもしたけど、しつこいくらい白っぽい汚れが残ってて。
最終的に「もう劣化やろ」って気にしてへんかったんやけど――
住み始めて、しばらく経ったある晩。
その日は朝から前のバイト先に行って挨拶したり、新しい仕事で使う小物とか服なんかを買いに行って、夕方からは午前中に寄ったバイト先の友達何人かとご飯食べて帰ってきた。
家に着いたのは夜の11時すぎ。
疲れてたしサクッとシャワーだけして、いつもの様に洗面台の前に立ってタオルで頭やら体をゴシゴシ拭いてた。
そしたら……目の端に劣化してる鏡がちらちら映る。
真ん中の鏡に対面するように立ってたから正面に自分の姿映ってんねんけど、
その横の“汚れた方”……そこにも、うっすらと自分の姿が映ってた。
映ってると言っても、汚れてる鏡。
ちゃんと自分が映ってるんじゃなくて、真っ白なフィルターをかけたような見え方。
最初は特に気にもしてなかったけど着替えを取ろうとして右に顔を向けた時に違和感に気づいた――
右側に設置してた洗濯機の上に着替えを置いてたから、ちょっと手を伸ばすのに自分が右に寄ったとき初めて鏡に自分が映りこんだということに。
左右の鏡は扉になっていたが今は、ちゃんと閉まって平らになってる。
棚の扉が開いてるならまだしも、
真ん中の鏡の前にいるんやから、左右の鏡に自分が映ることなんてない。
体の中がヒヤッとする。
恐る恐る左の鏡に視線を移す…。
真ん中より右に寄ったにも関わらず、左の…汚れて白っぽくなってる鏡面には人影が映ってた。
ありえないけども確実にそこに映ってる。
怖いのに目が離せんくて、じっと見てしまった。
さらに、あることに気づいてしまった…。
鏡の中の“それ”、笑ってるように見えた。
自分自身は笑ってない。
向こうの“汚れた鏡”の中だけ、口元が裂けるほど口角を引き上げて、にいぃ……って笑てる。
しかも、そこに映ってる人影…自分やと思ってたけど、ちょっと“自分と違う”ように感じた。
なんというか、肌の色が全体的に土色で、自分よりも額が広い、口元であろう部分は黒っぽく、やたら口角が長く吊り上がってる。
ソレが作り笑いみたいな不自然でいびつな表情をしてるように感じた。
……そう思った瞬間、ゾッとしたと同時に早く離れなあかんと思った。
慌てて使ってたバスタオルを被せて鏡が見えんようにしてから着替えも忘れて洗面所から離れる。
その時はなぜか外に出ようなんて思いもせず、
自分が見たものが恐ろしくて服も着んと布団かぶって朝まで怖い想像をしながら起きてた。
長いことガタガタ震えてたからか、気が付いたら全身が冷え切ってる上に関節も痛い。
かぶってた布団の隙間からチラッと窓際を見ると外は明るくなってた。
朝になって明るくなったからか少しだけ恐怖心が薄れたのを感じる。
ゆっくり布団から頭を出して部屋の様子をうかがう。
何か変わったことが起きてないかと心配したが、これと言って変わったところはない。
もちろん何かがいるようにも感じなかった。
問題はあの鏡やった。
昨日の事が現実やったのかどうか寝不足と疲れで記憶が曖昧になってた。
もしかしたら自分の勘違いや何かの見間違いかも知れん…近寄りたくない…けど、ここに住んでる以上ほったらかして気にせず住み続けるのは無理…。
しばらく布団の中で葛藤してたけど、意を決して恐る恐る確認することにした。
洗面所に続く扉の前、ドアノブを握る。
手汗が…というより、全身から冷たい汗と嫌な気分が一機に溢れてくる。
大きく深呼吸をして思い切って扉を開けた。
扉を開けた先、正面や洗濯機、足ふきマット、洗濯前の服…いつもと同じ。
少し扉の方からのぞき込む形で例の三面鏡の方へと視線を移す。
夜にかけたバスタオルが見えた。
昨日の記憶と同じ場所にあったが…喉の奥に何かが詰まったように一瞬息が止まった。
めくれてる。見えんようにかけたはずで、まだ落ちてるならわかる。でも…
まるでのれんをくぐったように捲れてた。
しかも、汚れた方の鏡、白っぽい汚れが昨日より薄くなって、明らかに“はっきり”映るようになってた。
なんで?どうして?と…いろんな情報が頭の中でいっぱいになって固まっていると、そこに映ってる自分の動きがズレてるような気がした。
鏡にはユウキくんが入り口からのぞき込んだ姿勢でいるのが映りこんでいたが、ぱちぱちと数回瞬きを繰り返してみる。
瞬きをやめて見ると鏡の中の“ユウキくん”が最後に一回ワンテンポ遅れて瞬きをするのを見てしまった。
絶対こんな事ありえん…!
変な感じがした、体が強張って動かず、目線だけで鏡全体を見た時、映ってる自分と目が合った気がした。
その瞬間――鏡の中の“もうひとりの自分”がぴたっと不自然に停止した。
まるで動画の再生中に一時停止ボタンを押した時みたいだった。
それを見てしまった後、いきなり、ぎゃっぎゃっと聞いたこともない動物のような音が部屋中に響きだした。
びっくりしてとっさに後ろ振り向いたけど何かがいるわけでもなく、なぜかまた鏡に視線を戻してしまった。
鏡の中の自分がさっきと同じ体勢でこっちを見てた。目だけが、こっち向いたまま動かん。
その目を直視した瞬間…うあああああああああああ…!!
自分のベッドで叫び声をあげて飛び起きた。
心臓が長距離走の後みたいにどっどっどっと音が聞こえるほど動いてて、全身が痙攣してるみたいに震えてた。
さっきまでの事は夢か…?
まだ、あの生々しい映像はチラついてたけど、少し時間をおいて
よかった…夢やったんか…と、一気に安心した。
起きた時は全身、汗でびちゃびちゃになってたし気持ち悪かったけど。
「寝ぼけとったんかな」って自分に言い聞かせて忘れようとした。
けど、それからまた暫くして、決定的なことが起こる。
夢で片づけはしたけど、それでも洗面所に行くのは怖くなってしまって風呂は近所の銭湯に通ってたって聞いた。
あの日から洗面所は開かずの間状態だった。
寝てるとき、何かの音で目が覚めてしまった。
音の方向を探して眠い目で部屋の中を見渡す。
そして、洗面所の扉が開いてることに気づいた。
あの悪夢を見てからなんか気持ち悪くて、絶対閉めてたのに。
ボーっとそっちを見てたら、ピシっ……もう一回、今度ははっきりと音が聞こえた。
また悪夢を見てるんかと思た。
けど、どう頑張っても目が覚める気配がなくて、その間もパキン…ピシっ…と何かの音が聞こえ続けてた。
めちゃくちゃ怖い…けど起きられへんし…もしかしたら見に行かな起きられへんのか?
色々考えたけど結局腹くくって見に行くことにした。
とりあえずスマホのカメラでライトをつけた。
部屋の中は変わった様子がない。ゆっくり、じわじわ物音を立てないように慎重に洗面所まで来た。
この前の悪夢の時と一緒で開いてる扉からそーっと中をのぞく。洗面所の中はいつも通り。
何かいることもない。ほっとした瞬間、ものすごく近くでパキン……その音に反射的にびくっとして固まった。
汚れた方の鏡にヒビが入ってる音やと気づく。
音の回数分なのか結構なヒビが入っていたが、それよりももっと目をくぎ付けにしたものがあった。
鏡に……自分が立ってた。
上半身裸で、天井の方、じーっと見上げとる。
「なんやこれ!?」と思って、とっさにスマホのライトでそっちを照らした瞬間、
鏡の中のそいつが、カクンッと急に顔をこっちに向けてカメラ目線でニィ……って笑った。
カメラ越しに目が合ったと思った瞬間、スマホのライトがブツンと消えた。
もう無理や!って思ったユウキくんは、考える間もなく玄関にダッシュして裸足のまま外に飛び出した。
近所のコンビニまで全速力で走っていって駐車場の縁石に座り込むと朝までガタガタ震えてた。
まだ目が覚めへんのか?!あんなもんまで見たのに…!!
もしかして…今回は夢とかじゃなかった…?もしかしたら最初の悪夢も…今が夢か現実かよくわからん状態で、いろんなことを考えては身震いして部屋に戻る勇気もなく…ふと右手を見るとスマホを握りしめてることに気づいた。
ディスプレイを見ると夜中の3時前。
迷惑なのを承知で誰か出てくれと何人かの友人に電話することにした。
運よく2人目でゲームしてたという友人に繋がり、言葉に引っ掛かりながら今の状態を説明する。
いつものユウキ君ではないと分かってくれたのか、心配やから今から迎えに行くわ!と、10分くらいで来てくれることになった。
人と連絡がついて安心した物のこれが現実だという事がどんどん感じられるようになってきて自分ではどうしたらいいか分からなくなってた。
色々考えていたが10分もしないうちに友人が来てくれた。
えっ?!裸足やん!!血ぃでてるし!!
ユウキ君を見つけた友人は彼の明らかに憔悴してる姿を見て本気で心配してくれた。
コンビニで水と絆創膏なんかも買ってきてくれて、とりあえず俺んち行こ、と乗ってきた原チャに二人乗りで友人宅へと向かう。
自宅について部屋に通されてから落ち着いてきたのもあって、引っ越してからの出来事を説明した。
なんとか話し終わったころには外も若干明るくなってきてた。
友人はお祓いとかそういうのも考えるけど、とりあえず今日は賃貸会社に連絡しよ。家無いの困るやろ?お前、荷物とか取りに戻れなさそうやし。
と、提案してくれた。
ありがたいことにしばらく居てもいいとも言ってくれて涙が出てきた。
ほんま、ごめん、ありがとう。そう伝えてから落ち着くまでしばらく話して、いつの間にか眠ってた。
目が覚めたのは10時過ぎで友人のアドバイス通り、さっそく賃貸会社のおじさんに電話してみた。
数コールで電話に出たおじさんが明るく「あー、○○さん!おはようございます!!どうされました?あ、やっぱり洗面台の入れ替えされますか?」と、話しかけてくる。
そんなことは、もういいです。それよりも…と、引っ越してから昨日までに体験したことを説明した後、「あの部屋なんかあったんですか?」って聞いた……
それまで黙って話を聞いてたおじさんは電話越しにでもわかるほど声を詰まらせて、何かしばらく考え込むような唸り声をあげた後、観念したよう教えてくれた。
要約すると10年ほど前に住んでた人、洗面所で自殺してたらしい。
らしいっていうのは、奇妙な死に方で三面鏡の左側をたたき割って、その破片で首を…ということやった。
しかもその人、洗面台の前に長い時間座ってた跡があったって。
その事件が自殺で片付いた後、全面的にリフォームして全部取り換えて奇麗にしてるのに洗面所だけは時間の流れが違うのか、ほかに原因があるのか分からんけど設置した物、主に鏡がすぐに経年劣化のような現象で壊れるという。ユウキ君が住む前にも数人その部屋に住んではいたが全員1,2か月で引き払っていたのだという。
ユウキくん、それからすぐ引っ越しました。
引っ越しが終わるまで友人にお世話になりつつ、荷造りも業者にお願いしたんやけどカギの返却と退去の最終チェックで、一回だけその部屋に行かなあかんくて。
最後の荷物出して「ありがとうございました」ってマンションの管理会社の人と引っ越し業者の人に一礼したとき、洗面所の方から低い唸り声が聞こえたらしい。
その場にいた全員が聞こえたんやと思う。その場所から離れるまで何事もなかったようにしてたけど皆、真っ青になってたから。
引っ越ししてからは何事もなく生活できてるし、一応、友人に勧められてお祓いにも行ったみたいやけど、最後にこう言ってました。
スマホで照らしたときに見た顔な…ほぼ自分の顔やってん…目のトコだけ真っ黒い穴になってたと思うけど…それ以外は俺の姿しててん…と。
あのまま住み続けて最後まで見ていたらユウキ君はどうなってたんでしょうね?
汚れた鏡 うに @uni_kowai_hanashi
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