第6話
昼休み。
同僚の視線を気にしながらスマートフォンを開いた詩織の指が、思わず止まる。
そこには雪子からの短いメッセージ。
――「お昼は? ちゃんと食べてる? 昨夜の声、まだ耳に残ってる」
ただそれだけの言葉なのに、心臓が跳ね、下腹がじんわり熱を帯びていく。
横で笑っている同僚の話が耳に入らない。唇を噛み、必死に取り繕いながら、詩織は机の下で震える膝を押さえる。
夜。
電話越しの雪子の声は落ち着いて優しいのに、時折低く囁く。
「しおり、今どこ? 誰といるの?」
問いかけられるだけで、まるで全身を撫でられているように体が反応してしまう。
「一人でいる」そう答える声が掠れるのは、安心させたいからではない。
支配されている心地よさに、どうしようもなく溺れているからだ。
休日。
人の多いカフェで、雪子は当たり前のように詩織の手をとり、グラスの縁に沿って指を滑らせる。
「しおりは、私の事だけを考えてればいいの」
甘やかに告げるその声は、昨夜ベッドの上で支配したときと同じ響きを持っていた。
テーブル越しに見つめられるだけで、詩織の胸は強く脈打ち、脚の奥が思い出す。
夜明けまで許しも与えず翻弄されたあの熱を。
自分が縛られ、雪子の囁きに泣き声を洩らしたことを。
――逃げられない。
会社では誰も知らない顔で働いているのに、雪子の支配は日常の隙間から忍び込み、体の芯を震わせ続ける。
そのことが、苦しいほどに甘い。
詩織は気づいてしまう。
雪子の影が差し込むほどに、自分はますます深く囚われていく。
週明けの夜、詩織は会社の飲み会で遅くなった。
雪子には「軽く顔を出すだけ」と伝えていたが、実際には男性の先輩にしつこく話しかけられ、なかなか席を立てなかった。
その様子をたまたま店の外から見かけた雪子は、笑顔を浮かべながらも瞳だけが冷たく光っていた。
「詩織」
帰り道、不意に腕を引かれ、人通りの少ない道へ連れ込まれる。
「え…雪子さん?」
詩織は硬直させた身体を解く。
「さっきの人、誰?」
雪子の声は柔らかいのに、有無を言わせない響きを帯びている。
「ただの先輩で……」
言い訳を始めた瞬間、雪子の唇が重なった。
強く、深く、逃がさぬように。
返事の代わりに舌を絡め取られ、詩織は酸素を奪われるように息を荒げる。
「詩織は……私のものなのに」
耳元に落ちる囁きは甘く、同時にぞくりとするほどの独占欲を帯びていた。
「他の人に笑ってほしくない。視線を向けられるのも嫌」
雪子の指先が、夜風に冷えた詩織の腰をなぞりながら、コートの裾から忍び込む。
外の暗がりという状況が、恐ろしいほど体を熱くさせる。
「……今すぐ証明して。詩織が誰のものか」
低く囁かれ、頬を紅潮させた詩織は、抵抗の言葉を飲み込み、雪子の腕にしがみついた。
――邪魔者はただのきっかけ。
本当に怖いのは、雪子の独占欲がこんなにも甘く、心地よく、自分を支配してしまうことだった。
夜は、互いの独占欲を隠そうともしない熱で始まった。
誰かに向けられた詩織の笑顔が頭から離れず、雪子はその夜、彼女を強く抱き寄せて離さなかった。
「……他の人に、そんな顔見せないで。詩織は私だけのものなんだから」
雪子の低く甘い声に、詩織は思わず目を逸らした。
「……そんなこと言っても、私、別に……」と抗うような言葉を零しながらも、雪子の指先が首筋をなぞるたび、背筋を震わせる。
「ほんと……意地悪ですよね、雪子さん……」
そう口にした時点で、もう彼女の支配の網に絡め取られているのを詩織自身が一番理解していた。
雪子は詩織の抗いを楽しむように、逃げ場を与えない。
押し倒す力も、触れる指の強弱も、囁く声も、どれも甘く残酷に彼女を追い込む。
「いや……ダメ、こんな……」
そう言いながらも、詩織の声は次第に熱を帯び、雪子に支配されていく自分に戸惑いと快楽を同時に感じていた。
「ねえ……抗うふりをしても、もう身体は私に従ってる。詩織、もう分かってるでしょ?」
雪子の瞳に射抜かれた瞬間、詩織は自分の心の奥から「この人に支配されたい」という声が漏れ出してしまうのを感じた。
「……悔しい。雪子さんに、こんなふうにされて……」
言葉は悔しげでも、その手は雪子の背を強く掴んで離そうとしない。
夜は長く、雪子の独占欲は際限なく詩織を責め立てる。
唇で、指で、熱で――詩織を何度も追い詰めては解放し、また絡め取っていく。
抗いと悦びが幾度もせめぎ合い、やがて詩織は雪子の名を呼ぶことしかできなくなっていた。
夜明け前、雪子に全てを預けて崩れ落ちた詩織の胸の奥には、不思議な安堵が残っていた。
「支配されているはずなのに、どうしてこんなに満たされてるんだろう……」
悔しさと甘美な陶酔が絡み合い、雪子の腕の中で眠りに落ちる。
その瞬間、詩織は悟っていた。
もう自分は雪子から逃れられない――抗えば抗うほど、強く絡め取られ、そしてそれを求めてしまう。
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