パテナ・シンタータの誤算 第25話

 ぼくの父は心理学者だった。


 彼は著名な学者だと記憶している。家庭に興味がない人だということも記憶している。家族でどこかに出かけたような想い出はふたつほどしかなく、家で会ったことも少ないと記憶している。それが夜遅くに帰って、朝早く研究室に出ていたから会わなかったのか、それとも家に帰っていなかったから会わなかったのか知らない。


 彼も ── 心が視たい ── と言っていたロマンチストだった。


 以前、どうして【バベルの図書館】で心が視えないのかと言ったことに対して、パテナは「タタミ君はロマンチストに落ちぶれたのか?」と呆れ顔で言っていた。彼女は数値化されたもの以外の想像がしにくい。人の気持ちを察することが苦手で、自身の感情も理解できないでいる。いつも同じ話し方、抑揚の少ない声、接し方は、人によって不快と思われるほど端的で取っ付きにくい態度の彼女。ただ、それは同じ接し方をすることで様々な反応を測り、知識で得た人の気持ちを想像し、当てはめていたのだろう。


 初めて彼女が〝奇跡的な天才〟として接しない人間と言った自然体の人間は、どんな存在か。種々のことに例外なく同じ反応をしていた彼女に「タタミ君の心の中が視たい」と言わせた、ぼくの存在は何か。


「もし、心が視れると叶ったなら、ぼくは〝こころ〟を捨てる」

「もし、わたしが君の〝こころ〟を視る式を発見しても無意味ということか」

「そうだよ。未来の数学か、物理なのか、心理学なのか分からないけど、何かの賞の獲得ならず、おめでとう」

「相変わらず、意地悪だな」


 視えないから良いことも、ある。もちろん、それらが起こす悪い出来事も多くある。


 試験結果を惑星連盟に送信し、演算データやシステムチェック、ログの確認を行っていた。その休憩時間に見上げる長方形に切り取られた真冬の空。見上げる惑星〝プリトヴィ〟から来た冬のマトリョシカが現れると、また「これをご馳走しよう」とカップを差し出した。いつも「また間違って偽物のコーヒを買ったのか?」と嫌いなものを受け取るぼくも悪いのだが、飲める気分ではないのに受け取ってしまう。


 表面が温かいカップのそれを口にすると偽物のコーヒーではなく、値段の高い〝本物のコーヒー〟の味がした。


「〝ウズ・ルジアダス〟から人工物が回収されたのは?」

「……知っているよ。〝ゴールデンレコード〟だろ? ラジオで伝えていた」

「その中身の一部が何だったのか、気にならないか?」

「何だったの?」

「わたしの〝図書館〟に格納している。アクセスコードは教えた通りだ」


 今のうち……、できるだけ早くアクセスしたほうがいい。


 パテナのちいさな手で教えてくれたアクセスコードを打ち込むと、〝最初の日のぼくら〟と本棚が現れた。彼女が嘘をつかずにアクセスコードを教えてくれたという安堵と胸を締め付けてくる本当の事を教えてくれた不安。棚には、以前に見なかったモバイルプレーヤーのようなモノが置かれていて、そのイヤホンを耳に入れ、再生ボタンを押す。


 ──────── ……………………………… تحية لأصدقائنا في النجوم. نتمنى أن نلتقي بكم يوماً ما.  Բարևներ տիեզերքում գոյություն ունեցող բոլորին։ হ্যালো! সর্বত্র শান্তি বিরাজ করুক। သင် ကျန်းမာပါသလား။ 嗨,你好嗎?祝你平安、健康同快樂。 Vážení přátelé, přejeme vám vše nejlepší. Beste/hartelijke groeten aan iedereen Hello from the children of planet Earth. Bonjour tout le monde.  Herzliche Grüße an alle.  Χαιρετίσματα σε όλους σας, όποιοι κι αν είστε. Ερχόμαστε με φιλία σε όσους είναι φίλοι.  પૃથ્વીના એક માનવ તરફથી અભિવાદન. કૃપા કરીને સંપર્ક કરો.  שלום.  इस दुनिया के निवासियों की ओर से नमस्कार। ……………… Magyar nyelven üdvözletet küldünk az Univerzum minden békeszerető lényének. ………… Selamat malam, para hadirin. Sampai jumpa lagi.  Tanti saluti e auguri こんにちは。お元気ですか。 ………………………… ………………………………………… 잘 지내세요?  Salutem tibi, quisquis es; benevolentiam erga te gerimus et pacem per spatia afferimus. …………………………………………………… 希望大家都好。我们时刻惦记着你们。有空时请来这里看看。नमस्कार. पृथ्वीवरील लोक आपले शुभेच्छा पाठवतात. …………………………


 多くの人が話す声。しかし、どれひとつとして上手く聞き取れずに、何を伝えようとしているのか分からない。他にも音楽や環境音のような音、何かの鳴き声なのか、それとも機械音なのか…………いくつもの〝音〟が入っていた。


 この〝音〟たちを聴いてわかった事は、公開された情報は〝ゴールデンレコードに何かしらの音源データが確認された〟ということだけで、ぼくの聴いた音たちの事には触れていなかったことだ。


 演算試験終了から四日後。ぼくら【バベルの図書館】に携わる学者、プログラマー、研究員に一週間の休息が与えられた。上層部からの説明では惑星連盟が演算結果を精査する時間だと言ったが、これから起きる一年分の気象をどう精査するのだろう。惑星〝シューニャ〟と惑星〝プリトヴィ〟にある未来の天気は、まだ風のなかにしか答えがないというのに。


「稼働すらしないと思われていたのかも、ね?」

「恐らく、その公算で当たりでしょう」


 ぼくらがしていることが時代や、その時々の社会によって評価や立場が変わる。パテナが聴かせてくれた〝どこかから拾ってきた音源データ〟は、いつかの、どこかで、誰か人間による、声だ。ゴールデンレコードと呼ばれる未知なる人工物の歴史と、人の心が視れたなら、ぼくら人類の行く末が善いものになるのかもしれない。


パテナ・シンタータの誤算

第二十五話、終わり。

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