パテナ・シンタータの誤算 第24話

 今夜も研究棟に切り取られた空に惑星〝プリトヴィ〟が浮かんでいる。

 惑星移住船で何世代にもわたり旅をして、たどり着いた二つの惑星に人類は別れた。同じく隣で〝プリトヴィ〟を眺める〝冬のマトリョシカ〟は、亀が甲羅に隠れるように、分厚いマフラーの中へ顔を埋め、現実世界では二度目となる「タタミ君。手を繋いでもいいか?」という申し出をしたてくれたから、そのちいさな手を握った。ぼうっと二つの惑星に別れたぼくらを眺め、みんなで、いつかピクニックができればいいね……なんて、今読んでいる小説から引用した感情に浸る。


「タタミ君。君に寄り添い、一緒にマフラーで巻かれたいというのは、言ってはいけない事か?」

「パテナ女史、寄り添うことは許可する。しかし、マフラーの件は信用に足る追加の説明がないと許可しない」


 寄り添いたいという感情は〝恋〟をする人間なら誰でも思う。だけど、もうひとつ提案された〝同じマフラーで巻かれたい〟というのは、なかなか高度な発想だ。厚着でふかふかのマトリョシカが遠慮なく、もたれかかってきて追加説明がされた。


「小説で読んだのだ。寒い夜に、その二人は同じマフラーで体温を分け合った……と綴られていた」

「パテナが恋愛小説を読むのは意外だ」

「わたしに欠けた感情だから知りたかった。多くの映画も観てきた」

「それらで得た知識は役に立っているのかい?」


 寒さで赤くなった耳や頬が左右に二度動き、どこでその行動を取ればいいのか、どの台詞が自分の感情を表す言葉なのか分からないから、全く役に立たないとマフラーから白い息が漏れる。


「それはそうだ。ぼくもパテナも映画や小説に出てこないからね」

「同意見だ。わたしたちはここにしかない」


 夢で見た〝初夏の湖畔〟で褐色の肌と白い髪が風と踊り、汗と笑顔が跳ねていたのは、感情に気付いたパテナが喜びを表していた姿なのかもしれない。


「パテナ、少しだけ寒いのを我慢して」


 彼女とのあいだにある〝隙間〟を無くすため腰に手を回して引き寄せると、彼女が驚き、肩を強張らせ、固まる。雑にぐるぐると巻かれたマフラーを、親が子どもから取って巻き直すように二人を繋いだ。


「念願叶った感想を述べよ」

「みゃ、脈拍が上がった」

「実にパテナらしい感想でよろしい」

「首元に隙間が出来て冷たい空気が入ってくる」

「マフラーは二人で巻くような設計じゃないからね」

「体温が……身体が熱くなったから平気だ」


 彼女が知りたいと言った感情は、もう持っていると理解するために、どうしたらいいのか。恋をしていると理解に足りる行動や言動をしていると、小説や映画に照らし合わせたら、わかるはずだけど……、

 ただ、そう伝えるのは無粋だからやめた。


「ひとつひとつ掬い上げていけば〝恋〟が分かるようになるかもしれないね」

「小説の二人は、冬の寒さに暖かさを求めたのか」

「すこし違う目的もあるだろうけれどね。君に教えるのはまだ早い」


「ああ。タタミ君が教えてくれる速度がいい。わたしはそれが心地良い」


 無意識の〝恋〟をしているパテナが、怯えを覚える才能を持つ〝奇跡的な天才〟として、隣にいる。


 【バベルの図書館】に走らせていたチェッカープログラムは、一度も躓かずに完走し〝シューニャ〟標準時3日23時30分より演算試験を開始した。初めて見る〝歪な塔〟の全体が動く姿。試験用の演算が終わる予定時刻は4日3時40頃だ。何事もなければ、演算終了時に感極まり抱き合う同僚たちの姿ではなく、気が抜けて、ぐったりと崩れ落ちる姿が見られるのだろう。モニタに映し出される【バベルの図書館】が可視化された映像を、パテナと壁にもたれかかり遠巻きに見ていた。


「パテナ。手を握っていてもいいか?」

「……………ああ、もちろん」


 現実世界に無い歪な形状をした塔が、演算に使用されているエリアの負荷レベルに色が分けられ、色を変えながら、彩り豊かにやわらかく光っている。この六年間、ずっと不気味だと思っていた造形が初めて美しいと思った。

 試験演算に指定されたのは、この先、一年分の惑星〝シューニャ〟と惑星〝プリトヴィ〟の気象予測だ。それも国や地域に分けたものではなく、それぞれの惑星にある町ひとつ、区画ひとつ、水上、大気圏の2立方メートルずつの温度や湿度、気圧、光量、風速、風向を演算させている。


「地形データを挿せば、仮想世界で未来の体験が出来る」

「タタミ君は、こいつでひとっ飛びに未来に行ってみては?」

「………想像すると、なかなか怖いな」


 善い未来と想像し、理解をして参加した【バベルの図書館計画】だが、実際に稼働している姿が現実になって目の前にあると恐怖にかられる。信じて創ってきたはずなのに、この試験が失敗する不安よりも成功した時の不安が大きい。様々な立場の人達が、色々なかたちで影響しあい、硬化していく未来が脳内で繰り返される。


 人が未来を知る術を手に入れる。本当にこれは幸せなことか。


「タタミ君、手が震えている」

「……うん、怖くて仕方がない」

「失敗が怖いのか?」

「いいや…………失敗も成功も、その両方が怖い」


 モニタに緑色のウィンドウが開きメッセージを点滅させ、演算が止まったと、たかが機械が、たかが人間に伝えた。


 この夜、約四時間かかると試算した処理を、その機械は四十分ほどで終え、停止したのだ。


 演算試験を終えた研究室内には、ぐったりと同僚達が並べた椅子やデスクの下、パーテーションの影や床に寝転がっていた。ぼくとパテナも作業ブースでパーテーションに身を委ね、三分の一程に光量が抑えられた天井を眺めていた。


「ぼくは反対派が言う不安を理解したよ」

「人は目の前にして初めて理解する事がある」

「パテナは……【バベルの図書館】の危険性を受け入れていたのか?」

「わたしは数字でしか物事が測れない。数字に基づいた世界しか想像が出来ない」


 それは遠回しに〝理解していた〟ということと、ぼくを始め同僚達が【バベルの図書館】の性能に畏怖を感じている現状が、理解出来ないと言いたいようだった。


「以前、タタミ君は心の中が視ることが出来ればと言った」

「ああ。確かに、そう言ったよ」

「感情は数値化しにくく、環境や天候、体調、状況、立場、性格などの不安定要素が多く、複雑な係数が必要だ」

「それは演算をするために……の話だ。ぼくも夢物語だと理解しているよ」


「そう夢物語、ありえないこと、学者が軽はずみに口にしてはいけない、ジョークであっても」


 反対側のパーテーションにもたれていたパテナが膝を抱え、その細い脚のあいだに顔を入れると、ぼくの心の中が視たいと言った。


パテナ・シンタータの誤算

第二十四話、終わり。

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