【短編】夢の通り道β

オオオカ エピ

第1夢 奇跡の果て


「…⋯そんなに怒らないでよ」

「怒ってんじゃないよ。説明してるんでしょ」

「なら、そんなに強く言わないでよ」


 傷ついた子供のような顔を浮かべる父の顔を見て、『私』の胸には苦いものが更に込み上げてきた。


(どの口が言うの?! 子供の頃、何の説明もなく私を頭ごなしに怒鳴っていたのは誰? 急にかあっとなって、食事中に箸とか投げつけたよね。めちゃめちゃ怖かったんだけど? 卓袱台ちゃぶだい生活だったら絶対ひっくり返してたよね?)


 『私』はぐっと掌を握りしめて、古い記憶を頭の中から追い出した。


「⋯⋯私、何度も聞いたよね。我慢してないかって。無理しないでちゃんと言ってってお願いしたよね」


 努めて、口調の抑揚を抑え込む。

 その分、腹に溜まる不快感。また胃の薬のお世話になりそうだ。


「悪かったよ」

  

 感情のこもっていない返事。

 この会話を終わらせる為たけの条件反射の言葉に、『私』の中にあった、薄氷の上の均衡が脆くも崩れた。


 なけなしの努力の甲斐もなく、感情の制御が離れしまう。


「…⋯いっつも、いっつも、いっつもそう! 父さんは結局何一つ私の言葉なんか聞いちゃいないんだよね」

「聞いてるよぉ」

「嘘! なら、なんで繰り返すの?」


(駄目だ。言わずにいられない)


「昭和じゃないんだ、我慢は美徳じゃ無いんだよ! 父さんがつまらない我慢をするせいで、結局迷惑被るのは、いつも母さんと私なんだから!」


(お願いだから、私に怒鳴らせないで! がっかりさせないでぇぇぇ!)


   ※


「⋯⋯っつ!」


 私は息を乱して目を覚ました。


 腹を立て、剥き出しの怒りの感情のまま、怒鳴りつけた直後の様に、はぁはぁと酸素を取り込んだ。


 だが、この怒りは私のものでは無い。

 その証拠に胃がきゅうとして苦いものが込み上げて来るような、不快感が無い。


 直ぐに息は整ってきた。


 『私』のこの『感情』は、私もよく知っている。


 私も実家に帰ると、三日後位に発動するものだ。


 さすが『私』。

 腹を立てるに至るロジックが、全く私と変わらない。

 

 だが、私は飲み込む言葉を『私』は抑え込むことが出来なかった。

 溜まりに溜まり続けた澱は、一度決壊するともう戻らない。



 父が若く見えたので、過去の私の一幕ワンシーンなのかと最初は思った。


 だが、父が杖をついていない。

 また、家の中がそこそこ整理整頓されていた。

 テレビのCMが見たことのないものだった。私の現実では無くなってしまった企業が、他の企業の傘下に入って生き残っていた。


 私は夢が『繋がった』ことを認識した。

 

 よくある日常の一幕のようだった。

 の原因はよく判らなかったが、『父』の勝手な自己判断で被害を大きくして、『母』と『私』が苦労したらしい。


 私の父もやらかしてくれるから、よく分かる。

 父は絵に書いたような所謂いわゆる『昭和の親父』である。


 「お腹が痛い」というので、お医者さんに行こうというが「行かない。大丈夫」の一点張り。

 我慢して我慢して我慢して、結局我慢しきれなくなった時には年末年始のお休みやお盆休みや深夜で救急車を呼ぶしかなくなって⋯⋯なんてやらかしを何回か繰り返している。


 私は両親と離れて暮らしている為、苦労したのだという話を母から聞くだけだが、この『私』は一緒に暮らしているので当事者なのだろう。


 夢の先の『私』は結婚をしていなかった。

 独身のまま、実家から仕事に通う毎日。


 『私』が共に暮らしている為、『父母』の精神が若く保たれているようだった。


 親というものは、娘が何歳になろうが親であろうとするものだ。

 その為、しっかりしていようという精神の働きが促されているらしい。

 

 面倒くさいと投げ出されている断捨離も進んでいて、家の中も私が知る実家よりすっきりしている。


 きっと『私』が口うるさく言っているのだろう。


 『私』はストレスを溜め込んでいた。

 心がささくれだち、すり減っていた。


 私も時々だから耐えられるのであって、毎日だったならばとても無理だろう。

 何歳になっても、娘にとっては親は面倒くさいものである。


   ※


 夢の先の『私』とは違い、私は結婚していた。


 私がみっくんと呼んでいる夫との出会いも、思えば奇跡的な偶然だった。

 もしあのとき、私が彼女に電話しなければ起こり得なかったのだ。



 きっかけは高校の同窓会の葉書だった。

 当時はまだ持っていたのはガラケーで、連絡は通話かメールしかなかった。


 社会人になって、貴重な土日の休みを潰してまで会おうという友人は、自然と偏っていった。

 直近の大学の友人とばかりになり、高校の友人は自然と疎遠になりがちになった。


 Sはかつて、私の知らない別の『私』の死を観測した友人である。


 私が同窓会に一緒にいかないかと電話をすると、同窓会のある当日は自分の結婚式なのだSは言った。


「丁度今、招待客を選別しているところなんだ。良かったら来ない?」

「もちろん行かせてもらうよ」


 同窓会と友人の結婚式、悩むまでもない。

 私は即答した。


 友人Sの結婚式会場にみっくんは居た。彼はSの大学の友人だった。


 一緒に出席した高校の友人達がお手洗いにいっている間に、私はみっくんとほんの一言、会話をした。連絡先の交換すらしなかった。


 後に、Sから連絡先を教えていいかと電話があり、交際に発展して現在に至る。

 

   ※


 『私』はSに電話をしなかったのだろう。


 あるいは、結婚式ではなく同窓会に参加した。


 あるいは、会場でみっくんに声をかけなかった。


 あるいは、みっくんに連絡先を教えなかった。


 あるいは、仕事を辞め故郷を離れて地方都市に行くことを良しとしなかった。


 あるいは⋯⋯。


 可能性の分岐点などいくらでもある。

 それは当然みっくん側からも言えることだった。


 みっくんがSと同じ大学でなかったら。


 みっくんがSと同じサークルでなかったら。


 みっくんが結婚式に呼ばれていなかったら。


 みっくんと通路を挟んで隣のテーブルに、私がいなかったら。


 デート中の私との喧嘩で、みっくんが諦めてしまっていたら。

 

 他にも趣味趣向の方向性、親との兼ね合いなど、噛み合わないかもしれなかった要因はいくらでもある。

  

 私はこの奇跡をそっと祝った。

 針の穴を通すような小さな奇跡の果てに、今の私の環境はあるということだ。


 この可能性の数だけ、『私』はいるのだろうか?


   ※ 


 全くの他人ではないとはいえ、自分のものでは無い怒りの感情で目を覚ますというのは結構堪える。

 

「疲れた⋯⋯」


 暗闇に光る、空気清浄機の運転サインを目で追いながら、思わず声が漏れた。


「どうした?」


 思いがけず反応があって、私は驚いた。


「夢に疲れたの」


 応えると、布団の中伸びてきた手が私の手を探しだし、指を絡めて握った。


「みっくん!?」


 見ると夫はもう寝ていた。


 掌が熱かった。

 夢の先の『私』はこの温もりを知らないのだ。

 そう思うと少し気の毒になった。


 せめて『私』が溜め込んだストレスが、発散されることを祈った。


 あれは身体によろしくない。

 いつか、積もりに積もったものは『私』自身を蝕むだろう。


 掌の温度を感じながら 私はこの熱が身近にある奇跡に感謝した。

 目を閉じると、すぐに眠気はやってくる。


 今度は安らいだ闇に誘われ、夢は見なかった。


  ※※※


 翌朝、夫に夜話したことを覚えているかと尋ねてみると「全く覚えていない」という返答だった。手を繋いだ記憶すら無いそうだ。


 寝ぼけていたらしい。

 通常運行のみっくんである。




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