第7話 半鐘



 その夜遅く、どこかで半鐘が鳴っていた。


「どこかで火事があったな」


 辰之助の肩に頭を乗せていた伊織は、ハッとして起き上がろうとした。


「かなり遠いし、大丈夫だよ」


 辰之助は眠そうだった。

 半鐘の音がやむ。火事はおさまっただろうか。そうであってほしい。

 伊織は身じろぎしようとして腰をつかまれた。


「起きているのか?」

「早く寝てくれ」


 辰之助の声は囁き声に近い。見ればもうほとんど夢の中のようだ。

 起こさないように自分も目を閉じた。



 目が覚めると、辰之助の姿はなかった。

 一体いつの間に出て行ったのか。

 辰之助の体力が心配になってくる。

 時々、こうして二人で過ごす時が増えていけば、きっと離れがたくなるに決まっている。しかし、もう元のようには戻ることはできない。


 これ以上の幸せはない。

 しかし、隣にいない辰之助を思い出せば、さらに思いが募っていくような気がした。

 伊織は小さく肩を落とした後、大きく息を吸い込んだ。

 着替えるために体を起こした。



 朝餉を済ませ、屋敷を出る。

 登城の途中、道場へ行くのだろうか孫四郎に会った。

 意識していないのに、息が止まった。足を止めてはならぬと追いついた。


「おはようございます」


 後ろから孫四郎に挨拶をする。孫四郎はちらりとこちらを見た。その視線はいつも以上に鋭い目でこちらを見ていた。鼻で息を吸い、歩き始めると孫四郎もついて来た。


「城へ上がるのか」

「はい」


 目を合わせるのが恐ろしかった。おのずと早足になると、孫四郎の冷たい声がした。


「最近、毎日のように大橋辰之助と会っておるの」

「昔馴染みですから」


 すぐに答えられたことが驚きだ。

 伊織は、緊張したまま孫四郎の次の言葉に神経を注いだ。


「昔馴染みか」

「はい」

「そうだの、せっかく江戸から戻って来たのだからの」


 のんびりした口調だったが、どこか棘があった。


「それが何か」


 伊織は足を止めてすっと顔を上げた。

 孫四郎の顔は冷たく能面のようだった。


「小園には会いに行っているのか」

「もちろんでございます」


 再び歩き始める。孫四郎ものんびりと歩き始めた。彼は背が高いので簡単に追いつかれてしまう。

 伊織の背中はじっとりと汗ばんでいた。


 気付かれている。

 孫四郎は、自分と辰之助の関係を見抜いて、こうして現れたのだ。


「では、ここで」


 登城口で孫四郎と別れた。

 孫四郎は、くるりと振り返ると再び、町の方へ戻って行った。

 袴もつけず着流しの彼は、相変わらずゆらゆら揺れる手が不気味だった。

 目を閉じて、小園を想った。


 小園の秘密。


 それは――。

 彼女が心から愛した相手が実の兄、孫四郎であったこと。


 彼女はその秘めた思いを伊織にだけ打ち明けて亡くなった。孫四郎も、おそらくだが小園を心から愛している。

 小園の死によって、孫四郎の心は壊れてしまった。

 彼は危険だ。

 伊織は、気を引き締めると城へと急いだ。


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