第14話
日付が回る直前に家に着くと、リビングに珍しく姉の姿があった。
「姉ちゃん、帰ってたんだ。仕事は?」
実家のソファーでキャミソールとショートパンツでくつろぎながらアイスを食べていた姉は、「ゆーきゅー」と最大限のだらけた態度で言うと、振り返ってソファーの背もたれに体を預けるようにして、
「ちょうどいいところに」
とにやりとした。ぱっちりとした大きな目に捉えられる。
嫌な予感がしてさっと通り過ぎようと風呂に向かうと、一体どんな速技を使って移動したのか、姉の豪快な腕が首を絞めてきた。
「何無視してんのよ」
「ちょ、痛い痛い、痛いから。何さ」
振り解こうとするとさらに強く絞められるる。
「何ですか、でしょ。あんた、今週末ちょっと手伝ってよ」
「週末? なんかあんの?」
ばしばしと腕を叩くとようやく解放された。
「引越し。男手がいるのよ」
「引越し? 姉ちゃんもう一人暮らししてんじゃん」
意味がわからなかった。趣味の引越しなら自分でやってほしい。姉はやれやれとため息をつくと当然の常識かのように言い放った。
「そうだけど、引っ越すの。異動になって職場が変わるから」
「ふーん。俺には関係な」
「春なのよ。あんた、そのくらい予感しときなさいよ」
「そんな無茶な」
言われたら春だった。納得はするが、受け入れられるわけではない。ふと思い出して提案する。
「恭平を差し出すから」
「あいつはもうカウント済み」
「……あっそ」
隙あらば恭平とどうなのか聞こうと思っていたが、一瞬でその考えは消え去った。きっとそんな余計なことを言えば命がない。
「いつ?」
「土曜日」
決まりね、と言いかけた姉の言葉を遮った。
「その日は無理」
たった今約束してきたばかりだった。再び何かを言おうと口を開いた姉に重ねる。
「その日だけは、マジで無理」
絶対に譲れない。
一颯の態度に姉は少なからず驚いたようだった。
「……珍しい。そんなに重要なことがあるの? あんたに?」
無言で答えた。重要じゃないと言えばじゃあいいじゃないとなるのは目に見えているし、重要だと言えば、それが何なのかを暴こうとされるに決まっていた。
「無視とは生意気な。そっちがその態度なら――」
そこへ母が二階から降りてきて、一颯の姿を目に留めた。
「あら、帰ってたんだ」
「お母さん、なんか一颯が自我を持ってる」
酷い言いように、「持ってるだろ」とついつっこむが、母はそんな一颯の声を聞かずに「ええ、ほんと?」と言った。この母にしてこの娘ありだ。
「引っ越し手伝わないってー」
「ほんとだ。ようやく夏芽に逆らう日が来たのね」
「それ母親の言葉?」
頭が痛くなってくる。母は一颯の声を無視してマイペースに言った。
「一颯は小さい頃から主張なかったもんねえ。やりたい習い事聞いても、欲しいおもちゃ聞いても、何にもなくて。あんたはお金かからなくて助かったわあ」
「無駄にならないようその分全部もらっといたからね」
姉が平然と言う。別に反論しないが、横で姉が明らかに自分の十倍ほどの叶えたいものを持っていたので、主張する気が起きなかっただけだった。
面倒になって再び風呂に向かおうとすると、姉が「で、ほんとに?」と聞いてくる。
一颯は振り返って姉を見ると言った。
「ほんとにほんと。これだけは譲れない」
「どこ行くの?」
「……言わない」
「わー、生意気い」
「うるさいな。姉ちゃん、アイス食ったんならこれ着てろよ」
ダイニングの椅子にかけてあった姉のパーカーを放った。この姉は冷たいものを食べるとすぐ体が冷えてダメージを負うくせに、まるで無頓着なのだった。あとで頭が痛いだの寒気がするだの訴えられるので、先手を打つ。
「うわ」
投げられたパーカーを受け止めながら、恨めしそうに姉が言った。
「こういうあんたの空気読む力、引越しに有用だと認めてたのに」
褒めているのか何なのかさっぱりわからなかった。
「そりゃどーも」
そのまま脱衣所のドアを開く。頭の後ろから、姉と母のひそひそ声が聞こえる。
「女だな」
「そうかもね」
「あれだけ必死なのは片思いだな」
「応援してあげなさいよ」
余計なお世話も甚だしい。だが無視一択と決まっていた。一颯は風呂のドアをがちゃりと閉めて、自由すぎる憶測をぶった斬った。
*
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます