第12話

 一泊二日のスキー部の合宿は異様な空気だった。

 欠席が四人いても計三十八人、男だらけの大所帯で、送迎は学校からの貸切バスだった。正門前の集合場所に着いてすでに来ていた恭平と隣同士で二列目の席に乗り込むと、おっすとかあざっすとかおなしゃすとか、短縮の限りを尽くされた挨拶が現役部員たちから飛び交って圧倒される。最後に引率席に今村がどっしりと座り、「お前らよろしくな」と振り返った。

「俺ら男子校だったか?」

 恭平が半笑いで問うたので、同意する。

「マジで異世界だな」

 十二月にも一度部活に顔を出していたというのもあってか、部員らは人懐っこく絡んできて、到着してすぐに雪山に引っ張り込まれた。あっちで滑りましょうだの、カレーにするのかラーメンにするのかだの、ちょっと風呂入りましょうだの、実にもみくちゃにされた二日間になった。一応、初心者組に教える役割で来ているので、スイスイ滑れる奴らはスルーでいいのだが、そういう面々ほど不要な絡みをしてきて、結局恭平と交互で上級者コースを何度も往復させられた。


「高校生ってこんなに可愛かったか……!?」

 一日目の夜、生徒たちが順々に入り終わった後、恭平と二人でホテルに併設されている温泉にゆっくりと浸かった。たった数年しか違わないというのに妙な感慨に浸る恭平を笑う。

「俺らのときより素直に見えるよな」

 当時の自分が冬以外サボれそうというやる気のなさで入部したのに対し、今の現役生たちは初心者組も真っ直ぐで非常に礼儀正しく前向きだった。なんだか申し訳なさすら感じる。

「一颯さ、珍しく楽しそうだったじゃん」

 恭平が愉快そうに言った。

「そう?」

 ちょっと自覚があったので、顔を見られないように視線を外しながら続けた。

「……なんか眩しくてさ。あと頼ってもらえるのは悪くなかった」

 外は晴れていて、深い黒の夜空が広がっていた。星もちらほらと瞬いて見える。恭平は不思議そうに首を傾げつつ、肩にお湯をかけた。

「一颯なんか、元々頼られることも多いじゃん」

「は? どれのこと?」

 全く心当たりがなかった。少し暑くなって足だけ浸からせたまま風呂の縁に腰掛ける。

「ほら、よくクラスとかでも、これお願いーって」

 恭平が一軍女子たちのことを言っているのが口調で分かった。

「あれは頼られてるのとは違うっしょ。吉井でいいやーって思われてんだよ」

 あの「お願い」は、便利という意味でしかない。

「それも、全く頼れなさそうな奴には言わないっしょ」

「全然嬉しくない。そういうんじゃなくて、もっと……」

 そこで言葉を途切れさせると、柵の合間から星を数えていた恭平が振り返った。

「どうした?」

「いや」

 外気の寒さに適度に体が冷えて、ふたたびお湯に上半身をくぐらせる。

 もっとちゃんとした――と言いかけて、恭平相手にどう言ったらいいのかわからなかった。

「とにかく、クラスの女子たちとかは、俺を便利に使ってるのわかってたから、俺もまあいいけどって感じで、あんまやる気とかなくて。でも今日は、心から慕ってくれてんのかなと思ったら、気づいたら本気出してたわ。こっちが楽しませてもらったかもしれない」

 真面目な話にしてしまうのが気恥ずかしくて軽く言ってみる。そうすると、恭平は「本当なー」とのんびりと返してきて、逆に伝わらなかった気がして後悔した。

「えっと、つまり」

 胸の中の言葉未満のものをなんとか繋げようと言うと、何かの片鱗を感じてか、恭平がじっとこちらを見た。

「……最近ようやく、ちょっと反省してて。俺、上原のこと、本当には大事にしてなかったんだろうなって。いや、そんなつもりはなかったんだけど。ていうか、上原のことというより、ここまで何事もそんな感じだったというか。だから今日は……」

「大事、ねえ」

 ようやくわかったか、とのってくるかと思っていたら、恭平は意外にも落ち着いたトーンで、考えるようにして顎を撫でた。

「一颯が引っかかってたから言わなかったけどさ、俺実は、上原ちゃんの言葉はどうでも良かったと思ってるんだよね。あれは上原ちゃんが、一颯の言葉を借りるなら「大事な存在じゃない」ってあっちから気づかせてくれたってだけで、別にそこが噛み合わないことはあるでしょ」

「――え?」

 自分から話題を振ったのに、恭平のいきなりのキレの良さに思考が追いつかなかった。

「だからさ。上原ちゃんは一颯にとって違ったから別れたってだけだよ。置き土産が多少強烈だっただけで――まあ、それは結果として一颯には良かったのかもだけど。俺は、別に上原ちゃんじゃなくても、別のところで本気になれたらいいんじゃねって思うけど」

 ぽかんとしていると、恭平は意地悪く笑った。

「別に彼女も、一颯が冷徹で非道な人間ですって言いたかったわけじゃないよ。むしろ、それを真っ向から気にしてるお前が偉い。いや、上原ちゃんがきついのか? でも、別れなんて大抵は不一致なんだから。一颯は言われて、過去とか含めて「上原ちゃん以外」も浮かばなかったから傷ついたんでしょ。自分がそういうやつなんじゃないかって思ってさ」

「ちょ、恭平、ちょっと待って」

「待たないね。そんで、今になって反省したってことは、何かあったってことでOK? 夏芽さんに献上するメモの用意が要るな」

 語り口の勢いのままに、恭平がざばっとお湯から立ち上がる。急に生じた波を受けながら、一颯は恭平の腕を引っ張ってもう一度浴槽に沈めた。お湯がざっぱんと揺れる。

「メモするな。良かったよ風呂で」

「で? なんか大事にしたくなったの? まさか後輩たちの話じゃないっしょ」

 ずぶ濡れになったタオルを岩場に絞りながら恭平が訊いた。頭にぱっと花霞の顔が浮かんで、このままだと見透かされる気がして慌てて打ち消した。

「違う」

 ここで認めて根掘り葉掘り聞かれても、一颯に話せることはほとんどなかった。軽率に言えば衿葉に斬られそうだったし、そうでなくても、勝手には話せない。

「ここで違うって答えるのは、ほぼイエスじゃね?」

 恭平が愉快そうに言ってまた立ち上がった。

「ほら、のぼせるぞ」

 そう言われて急にお湯と体温を自覚する。急いで恭平の後を追って風呂から上がった。


 軽く掛け湯をして脱衣所に出ると、体がいい感じに冷えていった。

「それなら、一致するって、尚更奇跡じゃね」

 タオルで全身を拭きながら、勝手に思考を数段飛ばして独り言を漏らすと、恭平が眉を上げた。

「一致?」

「俺と上原が不一致だったっていうなら、お互いにそうなるって、すごいことだなと」

 恭平は「まあなー」と軽く相槌を打った。部屋着のままドライヤーをかけるその横顔を見てしみじみと言った。

「お前、姉ちゃんに相手にされてないもんな。めっちゃ献身してるのに」

 どんまい、とばしっと背中を叩くと、恭平は「いてっ」と大袈裟に傾いてみせた。

 そのまま自分たちの部屋でもう一度着替え、約束していたコーチ特権のナイターに行く。疲れ切った体にもう一度重たいウェアを着るのは面倒だし気合いが要るけれど、そこの手間さえ乗り越えてしまえばナイターはとても好きだった。

 強い光に照らされると、昼間は自然に見えていた雪山もまるで人工物みたいに見える。リフトで上に上がって、気温の低下でざくざくとした感触になった雪を板で削るようにして滑った。自分たちの現役のときは、人数が少なかったので全員でナイターに行って、そこで本格的にスキーが好きになったのを思い出した。思いっきり滑れる感覚が清々しい。

 何周か恭平と往復し、最後の一本にして帰るかと話したときだった。

 頂上でゴーグルの位置を直しながら、恭平が言った。

「一颯知らなかっただろうけど、俺たまにデートしてるよ。夏芽さんと」

「は?」

 一瞬言われたことがわからなかった。数秒遅れて、風呂から上がるときの会話と結びつく。

「……荷物持ちとかじゃなく!?」

 声が裏返りそうになる。

 んなわけねえだろ、と恭平がにやりとして言うと、一颯を置いてけぼりにして滑走して行った。あっという間に小さくなる背中をぽかんとして眺めてから、自分も慌てて滑り出す。

「マジで待て!」

 ――ってことは、あのしもべ活動に意味があったってことなのか?

 暴君のような姉も押しに弱いということなのだろうか。知りたいような知りたくないような感覚で混乱したまま滑っていると、体重の移動がワンテンポ遅れて不恰好なゴールになった。わははと恭平が笑う。

「悩みがあるなら聞こう、義弟(おとうと)よ」

「……結婚すんな、阿呆!」

 喚いている間にも恭平はさっと板を外し、先に歩いて行ってしまう。一颯も追いかけようと急いで板を外す。普段なんとも思わない雪の地面がすごく足元が悪いように感じて焦った。

「ええ、マジで待てって」

 こちらの声など聞いていなさそうだったのに、急に恭平が振り返った。大きな窓から漏れるホテルのロビーの明かりを背にして逆光になっていて、妙な雰囲気を醸し出す。

「ま、俺からすると、一颯をそこまで悩ませてるものがなんなのか興味あるけどね」

「……悩んではない」

 ざく、ざく、と大きく雪を踏み締めて歩く。

「その意外と高いプライドも俺は好きだけど、素直になるのも重要ってことだ」

 ようやく恭平に追いついた。

「お互いの興味が一致するのは確かにすごいことかもしれないけど、確実に言えるのはだな」

「……なんだよ」

「自分が本気にならなかったら、絶対に成立しないってことだ」

「……は?」

 踵を返してロビーに入ってく恭平をまた追いかける形になった。雪を払って靴を脱ぎ、フロントに預けてスリッパに履き替える。と、ロビーの一角にある喫茶スペースで一服している今村に出くわした。

「おう、ナイター楽しかったか」

 ひょいと上げられた右手に煙草が挟まっている。

「最高っす」

 恭平が軽く返すと、

「お前ら一杯だけどうだ? もう二十歳超えたよな」

 と今村は灰皿横の缶酎ハイを持ち上げた。いいっすね、と答えて一度部屋に帰り、ウェアを脱ぐ。すぐに戻ると、ロビーの角の自販機で二本の缶を買ってくれた。

「お疲れ」

「お疲れ様っす」

「元気だろ、あいつら」

 缶をぶつけ合って、現役の部員たちの話から、今村の家族の話や、大学の話を移り変わりながらちびちび飲んだ。その間ずっと、先日の職員室での話が頭に居座っていた。あのアルバムはどうなるのか、調査は進められるのか、ずっと気になってしまう。あれが学校にあると、ずっと花霞の傷や不安が残ってしまうような気がした。意を決して、なるべくなんでもないことかのように切り出してみる。

「先生、そういえば、この間のアルバム」

 今村はバツが悪そうにした。

「ああ、いいよあれは、忘れろ。悪かったな」

「何か進展あったんすか」

 恭平も知ってか知らずか重ねる。今村は被りを振った。

「ないよ。いいよ、あれは俺がしまっておくことにしたから」

 ええ、まじっすか、仕方ないだろ、というラリーが遠くに聞こえた。

「あの」

「ん?」

 思ったよりも大きな声が出てしまって、逆に後戻りができなくなった気がした。

「俺に貸してくれませんか」

 気づけば膝で両拳を強く握りしめていた。

「あ?」

「絶対に悪用したりしないので。俺、その――もしかしたら、持ち主を知ってるかもしれなくて」

 俯いたまま二人の顔を見られなかった。沈黙が痛い。何言ってんだよ、じゃあ警察に言わないと、と続いたらどうしようと想像して心臓が破裂しそうだった。長い沈黙に耐えかねて、そっと視線を上げようとしたとき、今村が言った。

「嘘じゃないんだな? ノリとか、悪ふざけじゃ」

 そのまま顔を上げると目が合う。頷くので精一杯だった。

「じゃあ、任せる。教師に突っ込まれるより、丸く収まることもあるだろうし。ただし、抱えきれないトラブルになったり、当てが外れたら、すぐに言え。絶対に」

「いいんすか、それ」

 恭平が至極当然の意見を言うと、今村は渋く唸った。

「吉井、前回から心当たりあったろ。時間空けて考えてきて言ってるんだから、お前を信じる」

 明日、帰りにバスが学校着くから、そこで持ってけ。

 今村はそう言うと立ち上がり、素早く三人分の缶を掴んだ。そのままゴミ箱に入れる。

「あ、すみません」

「ありがとうございます」

 慌てて頭を下げると、それを吹き飛ばすように、今村は太い手を顔の前で振った。

「いや、このくらい。教え子と飲むのはいいもんなんだよ。そんで吉井――お前、仲良かったのか」

「いや……」

 そう聞かれると言い淀んでしまう。おまけに、今村の向こうから興味深そうな顔で覗き込んでくる恭平が鬱陶しかった。

「……なりたいとは、思ってます」

「じゃあ、いいわ」

 深く頷いた今村が肩を叩いてきたので少しよろけた。恭平がわざとらしい口笛を吹いてきて、思いっきり蹴る。気づくと今村は数メートル先の部屋のドアに手をかけていて、

「じゃあお前ら、明日もよろしくな」

 と言った。


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