第7話

 これで本当に、ほんの少しのほろ苦い記憶として終わると思っていたのに、四日後、一颯は大学のサークル棟の前で沢井衿葉に睨まれていた。大学は春休みだが、教授との来期のための履修面談があって、ついでに放置していた私物を回収しに来たところを狙われた形だ。

「吉井、あんた何か知ってるの?」

 わざわざ一颯の大学まで来てサークル棟まで特定して待ち構えているのだ。どうやって? と考えて、朝恭平から「一颯今日何してんの?」と連絡が来ていたのを思い出す。遊びの誘いか何かかと思ったら連絡が途絶えて、なんだよと思っていたのだ。お前か。余計なことしかしない男である。目の前の衿葉はスーツで仁王立ちしていて、すでに一颯は迫力負けしていた。

「何かって…」

 足は動かさなかったが、気持ちでは後ずさる。一軍女子の強気さも得意じゃないが、衿葉の正義感と自分勝手を一気に背負ったような強さが苦手だった。自分勝手部分はジャイアンみたいな姉と似ているのに、そこに正しそうな言い分を背負っているから逃げづらいのだ。案の定、言い終わらぬうちに、強い語気で被せてくる。

「この間の対応、知ってなかったらできないはずでしょ」

 同窓会のときのことを言っているのは明白だった。しらばっくれても逃れられないことを悟って観念しかけたとき、衿葉が続けて小さくつぶやいた。

「会場聞いたとき、あの子のいつものルートだなって思ったけど、きっと貸切なら貼り紙も出るだろうし大丈夫だろうって……私が甘かったの」

 ひそめられた眉が、彼女が本当に自分の見込みを悔いていることを示しているように見えた。花霞にとってだけではなく、衿葉にとっても花霞は重要な存在らしい。

「ああ、やっぱりいつも行ってるところなんだ」

 合点して一人で納得していると、衿葉は再度睨みを効かせた。

「……そうだけど?」

 そのあとは何も言っていないのに、「それで? あんたまだ私の質問に答えてないけど?」という音声が続いて聞こえそうだった。事実からしたら当然なのだが、あからさまに花霞の優先順位が高くて自分のことはどうでもいいと知らされる感じがなんとなく腹立たしい。もちろん誰しも絶対に優先順位を持っているだろうけど、日頃からそれを隠しもせずにはっきりと出すのはどういう考えなのか全然わからなかった。そもそもなぜスーツなのか。その格好のせいで相手が教師で自分が生徒みたいな、逆らえない関係性が余計にできているような気がした。

 なんのこと? と返して立ち去ることもよぎったけれど、衿葉は全てを知っているはずだった。であれば、花霞のために隠すべきということもないだろう。変に誤魔化すと怒られそうだったので、素直に口を開いた。

「西条さんの記憶のことなら、聞いたよ」

「やっぱり……。なんであんたが?」

「いや、なんでって言われても……」

 素直に答えたのに怒られているようで本当に理不尽だ。

「偶然あのカフェで会ったんだよ。それで知らずに声かけちゃって、そのとき」

「……偶然?」

 衿葉の声が低くなる。

「そうだよ」

 確かに奇跡的なことかもしれないと思いはしたが、同じ東京にいればありえないことじゃないだろう。それに、一颯が脅して聞き出したとか吹聴しているとかでもなく、花霞の方から告げられたのだから、何がそんなに問題なのか分からなかった。用事も済んでいるので大学を出ようと歩き出すと、衿葉もついてくる。

「それ、いつ?」

「二月の中旬だよ。同窓会の会場取りに行ったとき」

「……」

 衿葉は尋ねておいて押し黙った。

「……もしや、吉井って、花霞に長年の想いをくすぶらせてるヤバい奴?」

「はあ?」

 そんなつもりはないのに、断定されると何故かドキッとしてしまう。

「なんだよそれ……」

「違うの?」

 衿葉はジャッジするかのように顔を数秒じとっと見てきて、思ったような反応を得られなかったのかぷいと視線を外した。

「違うならいいけど」

 瞬間、ちょっとだけ腹立たしさが上回って小さく反論を試みた。

「よくわかんないけど、流石に失礼すぎん?」

 このくらいは言う権利あるだろと思ったのに、衿葉は一切怯まなかった。

「当然じゃん。私は、花霞を守りにきてるんだから」

 守る。その意味について考える間も与えずに衿葉は続けた。

「絶対に誰かに面白おかしく話したりしないでね」

 気が遠くなるが、残念ながら大学の正門はかなり遠くに見えている。

「……守るって、西条さん以外はみんな悪者かよ」

「そうは言ってないでしょ。でも、あの子が泣くの、もう見たくないの。そのためなら私ができることはなんでもする」

 人を疑うことだって、と言いそうな横顔だった。失礼極まりないが、粘っても意味はなさそうに見えた。あの子が泣くの、もう見たくない――。衿葉の言葉を反芻する。事故に遭って、さらに記憶がおかしくなったとあれば、泣いても全くおかしくはないけれど、いざそう言葉にされると、ずしりと胸の奥が痛む。

「そんなに仲良かったんだな、沢井と西条さんって」

「高校では部長と副部長だったから。私、万人に好かれたりしないけど、いつも花霞が空気をよくしてくれて、相談にも乗ってくれて、むしろあの子が、私の救いだったの」

 衿葉は恥ずかしがることもなく当然かのようにさらりと言った。十人どころか、一分の一とでも言いたげな口調だった。

「すげーな……」

 一人呟いた一颯を衿葉はまた睨んだ。

「は? て言うか、言いふらさないって約束してよ。高校の同期はもちろん、大学の知り合いとかにも。どこから広まるか分からないんだから」

「言わないよ。言うわけないだろ」

 そう言うと、衿葉はようやく納得したようだった。

「もし破ったら殺す」

「破らないから。俺だって西条さん傷つけたいわけじゃないよ。それに、言う相手もいないから」

 ふーん、と衿葉が鼻を鳴らす。

 そこでようやく校門に着いた。衿葉はまっすぐ駅に向かうようだったので、一颯はこっちに用があると右を指した。じゃあ、と別れて、ふと思い立ち、衿葉の背中に声をかけた。

「ていうか、沢井のそのスーツ何? なんか迫力が増すんだよな」

 衿葉は意味がわからないといった様子で振り返り、叫んだ。

「塾講のバイト!」

「なるほど」

 謎が解けて、一人納得しながらそのまま右折する。きっと花霞とも衿葉ともしばらく会わないだろう。遠回りをして帰路につきながら、一颯は恭平に「ふざけんな」と連絡をした。今日は呼び出して飲みにでも付き合わせるつもりだった。


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