第5話

 ちょうど二週間後の三月一日に迎えた同窓会の当日は、寒さもずいぶん和らいで春の入り口のような日だった。

 貸切にして店内のレイアウトを変えてもらい、中央に大きなテーブルと、壁際にいくつか数人になれるスポットを作った。一颯は中央のテーブルの付近をうろうろしながら、思い思いに飲んで食べているみんなの注文を取りまとめていた。

「吉井、めっちゃいいじゃんここ、ありがとー」

「まじ期待よりだいぶおしゃれだったわ」

 高校時代からクラスで目立っていた女子たちは、さらに華やかになってメイクを使いこなし、ファッションにもこだわって、キラキラ大学生を謳歌しているようだった。

「あざーっす。なんか飲む?」

「あ、じゃあねえ、ファジーネーブル」

「あたしビールで」

 手の中の小さなメモ帳にファジーネーブル、ビールと書きつける。

「んじゃちょっと待ってて」

「はあーい」

 他にも何人かのおかわりを聞きつつカウンターの方に向かおうとすると、一番入り口近くの数人のテーブルに、沢井衿葉の姿が目に留まった。

 ――高校も一緒の沢井衿葉だよ。

 花霞の声が蘇る。大きな花柄のワンピースを着て数人の女子と話し込んでいる。高校のときから変わらないポニーテールの横に、当時はなかった大きなピアスが光っていて、元からはっきりとしていた目鼻立ちをさらに際立たせていた。その顔立ちにとてもしっくりくる強気さがあって、衿葉が学級委員として立つ教壇はどの教師の時よりもピリッと締まった空気になったのを思い出す。一瞬何か声をかけようかと考えて、何も言えることがないと思い直した。

 注文カウンターでメモを復唱してドリンクが作られるまで少し壁に身を預ける。カウンターの向こうの店員の女性が「すみません手伝っていただいちゃって」と言ってきて、「いやこの人数なんで、むしろすみません」とはにかんで応答した。みんな賑やかに話していて、結構大きい声を出さないと聞こえない。喧騒に紛れたような心地でビールサーバーから落ちた金色の液体が泡になる瞬間をなんとなく眺めていると、その奥の店のガラスの外に見知った影が見えた気がした。え、と反射的に預けていた上半身を起こすのとほぼ同時に店のガラス扉が開かれて、りん、とベルの音がした。花霞だった。花霞は三年のクラスは同じではないのになぜ――? と脳内に疑問が駆け巡る。彼女は貸切であることに足を踏み入れてから気づいたようで、普段と違う店の様子に目を大きく見開いていた。誰かに誘われていたとかではないように見える。心臓が早鐘のように鳴る。たまらず動き出したが、扉のすぐ近くにいた面々が先に驚いた声を出してしまった。

「えっ、西条さん!? どうしたの?」

「西条さんじゃん!」

「誰かに呼ばれた?」

「え? なんで!? てかめっちゃ久しぶり」

 花霞が肩を縮めたのが見えた。緊張か驚きか、顔もこわばっているようだった。久しぶりという言葉は、もしかしたら今、彼女が一番恐れるものかもしれない。そんな花霞の様子に気づかないまま陽キャの酔っ払いたちの声が飛ぶ。

「もしかして偶然? すごくない?」

「西条さんせっかくだし飲んでいきなよー」

 まずい。知らないうちに舌打ちが出た。人の間をかき分けて通りながら、持っていた注文用のメモに殴り書きをする。それから一つ大きく息を吸って声のトーンを作った。

「はい、この後またフード来るよ、いらない皿ちょうだい。あれ、……もしかして西条さん?」

 わざとらしかっただろうかと、まだ寒い時期だというのに背中に汗が伝うような気がした。それでも野次馬と花霞の間に食い込むように体を滑り込ませた。背中で遮って見えないようにしながら、破ったメモを花霞の手に握らせる。花霞は戸惑いながらも手の中の紙に目を走らせて、スマホを取り出すと、緊張した声でそのまま繰り返した。

「ごめん、連絡きて用ができちゃった」

 そこからは花霞のアドリブだった。

「……間違えて来ちゃってごめんね。じゃあ行くね」

 えー、と二、三人からブーイングが飛んで、近い席ではなかった面々もなんだなんだと集まってくる。そこで一瞬焦った顔の衿葉と目が合った。花霞の姿を見つけてこちらに来ようとしていたが、店の一番奥にいた上に人が前に集中してしまってなかなか進めていないようだった。本当だったら自分より不自然じゃない衿葉に任せてしまいたい気持ちだったが、みんなの視線が集まっている状況で待っていられる気がしなかった。

「ほら、帰るって言ってんだろ。ごめんね西条さん」

 先頭にいたバスケ部男子の頭をぺしっとはたきながらドアを開け、さりげなく花霞の背中を押し出した。不自然すぎて後頭部に多くの視線を感じてしまうが自意識過剰かもしれない。ちょうどそこへ店員さんがピザとタンドリーチキンを運んできて、大衆の意識がなんとなくそちらへ移った。花霞と一緒に外に出る。暖房が効いた店内と違い、外は寒かった。ガラス張りの店内から漏れる光と笑い声が鈍く煌めいて届いてくる。

「ごめん、もしかして、頻繁に来る店だった?」

 最初は貸切なのになんでと思ってしまったが、花霞にとってはいつも通り来ただけだったのかもしれないと冷静になって思い至った。花霞は一颯の質問には答えずに質問を重ねた。

「もしかして、知ってるの? ……私のこと」

 不安と戸惑いが映る瞳を向けられて、二週間前の記憶が本当に記憶がゼロになっているのだと実感する。あえて軽いトーンを選んで口を開いた。

「――まあね。俺たちは高校の同じ学年で、今日は三Aのクラス会で貸切だったんだけど。西条さんは三Cだったからみんな驚いてたんだよ。……って、クラスとかは覚えてるんだっけ、ごめん」

 花霞は律儀に小さく「一応」と答えた。

「俺は……その、色々あって事情を聞いてたけど、でも気にしないでいいよ。多分もう会わないし、あいつらも酔ってるし明日には忘れてるはず」

 また絡まれないうちに帰りなよ、と送り出す。花霞が数歩駅に向かって歩き出し、前回の別れ際に大きく手を振った様子を思い出した。あれを覚えているのは自分だけなのだ。あの後の複雑な後味まで思い出してしまう。考えたってしょうがないことだと、ちゃんと忘れかけていたのに。

 と、花霞がいきなり立ち止まった。くるりと踵を返し、またこちらに向かってきた。

「やっぱり、もう一度だけ会えないかな」

「え?」

「さっき……本当に焦って、すごく怖かったから。助けてくれてありがとう。すごく感謝してるから、お礼させてほしい」

 そんなこと言ったって覚えていないのに、とはすぐに口に出せなかった。

「いや、いいよ、あれくらいのこと」

 実際、今言われた言葉で十分だった。お礼を言われたかったわけでもない。

 だが、花霞は引き下がらなかった。

「お願い」

 その目がすごく真剣で、いやいいよと押し問答を続けるのもやりづらかった。返答に困っていると、

「よくここに来るなら、明日、十九時に、ここでどうかな。えっと……明日は貸切じゃないよね?」

 と花霞はそっと店内を窺うようにした。

「……明日ね。わかった、大丈夫。多分貸切でもないと思う」

 押されて受け入れたものの、全くイメージが湧かないまま口だけが動いていた。

「わがまま聞いてくれてありがとう。じゃあ、行くね」

 微かに微笑みながら、花霞はお礼の前にさらにお礼を重ねて手を振った。一颯は花霞が去った方を少しだけ見つめたあと、持て余した困惑をしまい込んで、ガラス扉を開けた。みんな思い思いに飲み食いしていて、一颯の様子など気にも留めていないことに少しだけほっとする。

「吉井ー、みずきに水ちょうだい」

 見ると酔い潰れる寸前に見える女子が妙にニコニコしながら机に寄りかかっていた。はいはい、と大きな声で返事をしながら、続きそうだった思考をぶった斬る。それでも消せない不思議な浮つきが体を支配していた。

 明日の同じ時間に、このカフェで。自分を覚えないはずの同級生との約束。


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