❤︎第四章 壊れるまで、愛を❤︎

 赤の女王が現れた夜。

 その姿は、もはやかつての艶やかさを保っていなかった。


 深紅のドレスはところどころ色褪せ、

 髪は夜の霧のように白く、ほどけ、

 瞳の紅は、まるで朝焼けの名残のように儚かった。


 それでも彼女は、鏡の内側に入ってきた。


 焼けるように軋む音がして、

 そのたびに女王の身体が、灰のように崩れていく。


「今日が、最後かもしれないの」


 アリスが息をのむ。


 女王はゆっくりとしゃがみこみ、

 まるで壊れた人形を扱うように、アリスの髪を撫でる。


 その手は熱く、震えていて、

 触れるたびに女王の指先が崩れていくのが、分かった。


「わたし、あなたに何も与えられなかったね」

「痛みと、快楽と、ひとときの温もりしか……」


「だけど、それが全部、わたしの“好き”だった」


 アリスの唇が、小さく震える。


「どうして、そんなにしてまで……」 


「わからない。

 でも、触れたかったの。あなたに。

 ……触れて、愛して、抱きしめて、

 そして、あなたに“生きて”ほしかった」


 女王はアリスを、抱きしめた。


 赤い、壊れかけた身体で、白い少女を抱いた。


 その体温は、消えかけた命の残滓。

 それでも、あたたかくて、優しくて、

 胸の奥に何かを灯すような熱だった。 


 アリスの瞳から、涙がこぼれる。


「わたし、ずっと怖かったの……

 誰かを好きになることも、

 好きになってもらうことも」


「ねえ、女王様。

 わたし、あなたが好き。

 それが、たとえ間違った形でも――」


 アリスは唇を寄せる。

 紅い女王に、震える口づけを与える。


 その瞬間、赤の女王の身体が音もなく崩れはじめた。


 まるで、願いが叶った瞬間に

 この世の役目を終えたように。


「ありがとう、アリス。

 ……それが、わたしの“最期”でよかった」


 女王の姿が、紅い光とともに砕け、

 アリスの胸の中へと溶けていく。


 ドレスの裾に、紅がにじむ。

 アリスの純白が、初めて、紅に染まる。


 アリスは泣きながら、鏡の外へ歩き出す。

 その一歩一歩が重くて、震えて、それでも――前へ。 


「わたし、あなたを忘れない。

 あなたの指先の熱も、

 わたしを愛してくれた、あの歪な祈りも」


 鏡が砕け、外の世界の風が吹き込む。


 白い少女は、もういない。

 そこに立っているのは――

 紅のしずくを身に宿した、新しいアリスだった。

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