第17話 ばらの花

 虚空との連絡は、唐突に途絶えた。

あの日、警備員に肩を掴まれ、虚空が任意同行を余儀なくされた瞬間から、土竜のスマートフォンは沈黙し続けている。着信も通知も鳴らない。数時間に一度「生きてますか?」と送り続けたLINEは、すべて既読にならぬまま灰色に溶けていった。


不安と苛立ちの中、順太郎は別の番号をタップした。

画面に表示された名前は――「はず希」。

虚空の仲間であり、どこか母性を感じさせる声音が、順太郎の空洞を埋めてくれると信じたのだ。


「もしもし? 土竜さん?」

「はず希さん、今ちょっと、話せます?」


その一言から、話題は唐突にパンに飛んだ。

スーパーの食パンは添加物が多い、コンビニの菓子パンは小麦が悪い、ベーカリーのクロワッサンは値段が釣り合わない……。順太郎は、呼吸のように言葉を垂れ流した。


時計の針は一時間、二時間、三時間と進んでいく。

はず希は相槌を打ちながら、しだいに返事が短くなり、沈黙が増えていく。だが順太郎は気づかない。自分の声が、電波の向こうで誰かの耳に届いている――その事実だけで、世界の中心に立っていると錯覚していた。


「……でさ、やっぱり菓子パンの中ではアンパンが最強なんだよね。だってさ、あんこは――」


四時間が過ぎ、ようやく電話はぷつりと切れた。

通話終了の赤い文字が映し出された液晶を見つめながら、順太郎の胸には奇妙な満足と空虚が同時に広がった。


その夜、彼は録音アプリを起動し、震える声でメッセージを吹き込んだ。


「まぁ……その……最悪、同棲もありかなぁ、と……思ってます」


ボイスメッセージは、深夜二時に送信された。

返事はなかった。翌日も、翌々日も。


やがて、通知音が鳴った。

そこにあったのは短い一文だった。


――「もう連絡しないでください」


順太郎は震える指で何度も画面をスクロールした。文面が変わっていないことを確かめるたび、心臓が締め付けられる。


「なんで……なんでだよ……」


ホテルの壁に額を押しつけながら、幼子のようにすすり泣く。

母も父も妹もいない、ビジネスホテルの薄い壁が、ただ彼の嗚咽を反響させていた。

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