第16話 ネガティブ・ダンサー

 夕暮れ時。安い回転寿司チェーンの店内で、順太郎はスマホを机に置き、皿を次々と積み上げていた。

 シャリが少なくネタも薄い寿司でも、彼にとっては「贅沢の極み」だった。


「うめぇ……! やっぱり都会の寿司は違うなぁ」


 ニヤニヤしながら醤油皿にワサビを落とし、タコを頬張る。その顔は久々に満ち足りたものだった。

 だが、突如スマホが震え、画面に「代理人」の名が浮かぶ。


「おっ、来た来た」


 通話ボタンを押すと、少し疲れたような声が聞こえてきた。


『もしもし、順太郎さん? 動画の件で――』


「いやいや、それより聞いてくれよ! 俺、今から事務所に突撃するから!」


 箸を握りしめ、寿司を頬張りながら宣言する順太郎。

 受話口から、一瞬の沈黙のあとに重たい返答が返る。


『……マジすか』


「マジだよ! だって俺は“才能”あるんだぞ? 事務所が放っておくわけねえだろ!」


 声はどんどん大きくなり、寿司屋の客がちらちらと振り返る。


『いや、でもそれはアポとか――』


「まだよ、まだまだ! 説教は続いてるんだよ!」


 突如、声色が変わる。まるで父親の口癖をなぞるように、言葉を畳みかけた。


「お前、俺を舐めてんだろ? 世の中はそんなに甘くねぇんだよ。俺の人生なぁ、ずっと笑いものにされてきたんだ! 今こそ見返すチャンスなんだよ! わかってんのか!?」


 代理人は反論もできず、ただ気まずい沈黙が続く。

 寿司屋のテーブルには食べかけの皿が散乱し、順太郎は脂ぎった口元で息を荒げていた。


 父に叱責されたあの日々の記憶を、無意識のうちに代理人に押しつけながら。


 寿司屋を出た順太郎は、脂ぎった指でスマホを握りしめながら駅へと向かった。

 頭の中は寿司と承認欲求で満たされ、代理人の「やめておけ」という言葉など聞こえていなかった。


「大丈夫だって。俺が行けば、事務所だって態度変えるんだよ」


 深夜までカラオケ配信で自己満足に浸っていた彼にとって、大手YouTuber事務所の看板は最後の切り札に見えていた。

 ――自分を笑った奴らを見返せる、唯一の道。


 午後のオフィス街。事務所ビルの前に立った順太郎は、胸を張って自動ドアをくぐった。

 受付嬢が微笑んで「ご用件は?」と尋ねる。


「YouTuberの土竜です! 契約の件で来ました!」


 一瞬、空気が止まった。

 受付嬢の顔には「誰?」と書かれている。


「えっと、アポは……」


「アポなんかいらない! 俺は“逸材”なんだからな!」


 声が響き、ロビーにいた数人が振り返る。

 受付嬢が困惑して内線に手を伸ばすと、背後から黒服の警備員が近づいてきた。


「お客様、こちらで少々……」


 その瞬間、横から虚空が現れた。険しい顔で順太郎の肩をつかむ。


「おい順太郎、顔曲げろ」


「は? なんでだよ!」


 順太郎は声を荒げ、父親の説教をなぞるかのようにわめき散らす。


「俺を舐めるな! 俺は今まで何度も笑われてきたんだ! でも今度は違う! 俺は才能がある! この事務所は、俺を必要としてるんだよ!」


 虚空の顔は歪み、やがて疲れ切った声で吐き捨てた。


「……勝手にしろ」


 警備員が近づき、虚空はその場で事情を説明させられた。結局、虚空だけが警察へ任意同行され、順太郎はロビーの隅でぽつんと立ち尽くす。


 冷たい視線にさらされながら、自動ドアの向こうに出た彼は思った。


「……まだ俺の出番は終わってない」


 だが、その足取りはすでに逃走の色を帯びていた。

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