三話 増して、改めまして
「あっ」
顔面にモロのストレートを受けた断美の体が綺麗に弧を描いて落下し床を滑り、ソファにぶつかった。
やってしまった。ここまで吹っ飛ぶとは思いもしなかった旭は血の気が引いた顔で断美に駆け寄る。
ポタポタと流れる血は鼻からか口からか。頭も打ったように見えたが。
「やべぇカッとなったすまん、大丈夫か!?」
「うーん、まーこの子が悪いわよ」
「落ち着いてる場合か!?」
心配なんて一ミリもしてなさそうなスティは呆れを隠さず食後の紅茶を飲んでいる。いつ淹れたんだそれは。
「いっ……つ……ひど、くない?」
よろよろと起き上がった断美はぶつかったソファに流れ込むように倒れて占領すると、顔面の下半分を手で覆ってシクシクと泣き始めた。
無駄にお綺麗な面を汚しながら痛いですと全身で訴えてくる様子にさすがに申し訳なくなった旭は、どこか納得がいかない顔で謝る。
「悪かった」
「いや、いいんだけどね。 俺喋りすぎた? 話すの好きじゃない感じ? その見た目で無口キャラとかモテそうでいいね、硬派なヤンキーってやつじゃん。 でもリアルでイラッとしたくらいで殴るのはなぁ、ちょっとなー、気をつけなよ? 嫌わ、あっ、ごめんまじでごめん! やめてやめて超絶痛かったんだよ!? もう黙るから!」
「わざとかお前」
もっかい殴ってやろうかと旭が一歩近づけば、ぶーぶー文句を言っていた口が途端に命乞いを始めた。
旭は深い息を吐く。殴られても変わらないお喋り野郎だ。変わらない、お喋り野郎。
と、ここであることに気づく。
「……あ?」
自己中お喋り野郎、血が出るほどダメージ負ってたのに喋りすぎじゃないか。
見れば既に流れた血がそのままだから分からなかったがもう止まっているようだった。ニィ、と口元を歪めて、断美は長い前髪の間で真っ黒な目を細める。
ゾッとする笑みだった。
「転移者って、本来居るわけない存在なんだよねぇ。 だから、バグっちゃうんだ」
「バグ、って」
スティに渡された濡れた布で、断美は顔を拭う。拭き取ってしまえば、そこには殴られた跡など少しも見当たらなかった。
いわゆる転移者の持つ能力みたいな話なのだろう。しかし、断美だからかなのかどこか不気味で仕方ない。
「んー、俺の場合ステータス固定みたいな? HPが減っても、初期値に戻んの。 もっと簡単に言うと、オート回復かな」
オート回復。確かに綺麗さっぱり治ってるが、回復ということは痛みはあるのだろう。
文句から命乞いへ見事にスライドしていたし。
「殴り放題?」
「見た目通りのヤンキー君じゃんやだー! 怖いって、えっ、な、なんで? 俺そんな嫌われてるの?」
心底理解してなさそうな面は嘘をついてる風ではない。
ないのだが、本当に天然でこれをやっているとしたらタチが悪いどころの騒ぎじゃないだろう。
真面目に付き合うのが馬鹿らしい類の人間だと判断した旭は、椅子に座ってスティに話しかけた。
「で、コイツが俺の恩人ってのは本当なのかよ」
「当たらずも遠からずかしらね、ここまで運んできてくれたのは本当だけど……」
スティは洋画チックに肩を竦めて両手をヒラヒラと揺らす。
聞けばこの街まで連れてきたのはあの執事服の男で、なぜ知っていたのか男はスティと知り合いだった断美に、二人を運ぶ手伝いをさせたらしい。
「俺も初対面だったし、スティちゃんだって知らないんでしょ? 謎だよねぇ」
「知られてたからってほいほい連れてくるのも謎なのよね。私一応天使よ? 街の外からの人間を関所も通さず連れてくるなんてバカよバカ、少しは考えなさいな」
「……ごめぇん……」
ぴしゃりと叱られ萎れた断美がようやく黙り、旭はスティに尊敬の眼差しを向けた。
知り合いなだけあってか扱いが上手い。
「で、その執事みたいな男はその後どこ行ったんだ?」
スティはこの世界を構成する力を持つ天使とやらだから有名でも不自然ではない。断美まで知っているとなると情報通なのか、変人として断美が有名な線も捨てきれないのだが。
問題は、スティ達を知っていることではなく、なぜ預けたのかである。
助けた辺りあの藤色の少女の味方、という訳でもなさそうだ。聞いた情報だけでも天使はこの世界において重要な存在に違いない、利用しようとする輩は多そうだ。
「あれ、そーいえば……なんでアンタだけ戻ってきてるのよ」
「いやいやあのね聞いてくださいよぉ! 意識失った人間って超絶重いんですって! そんで散々体を酷使させられ疲労困憊で今にも事切れそうな俺を労りもせず!首根っこ掴まれて引きずっていかれたと思えば魔法を使いこなせだのスティさんが可哀想だから自立しろだの! 何様なのさってなるじゃない? 文句言ったらしばかれるしさぁ! 」
「結論」
「トイレ行くって言って逃げてきました」
「一行じゃねぇか」
また喋り始めた断美に容赦ないスティとお前簡潔にまとめられるのかよ、と思わずツッコんだ旭。
しかしなるほど、執事は旭達を運んだ後断美を連れてどこかへ行ったらしい。
「ならその内ここに戻ってくるんじゃないかしらね、あの子バカじゃなさそうだったし」
「アッ! そうじゃん逃げなきゃじゃん!?」
暗に断美はバカだと言ってるような気がしたが、旭は口にはしなかった。
執事が戻ってくるなら、話を聞けるかもしれない。アレが危険な奴じゃなければだが。
一方、バカ呼ばわりされた断美はヘラヘラ笑っていたが、また執事に捕まると察して慌て始める。
「ど、どどどどうしよー!? やだってアイツ! ご遠慮願いたいよ!や、でも、うーん、俺がここにいなきゃ時間は稼げるよね…………………リフェちゃんは?」
手のひらサンバイザーで辺りを見渡すと、断美がスティに問いかけた。
「起きたら挨拶に行かせるって言ったでしょ」
「そうだった! 家の中に魔力を感じないからどこいったのかなって思ったんだよ、そっかー挨拶に行ってるのかー、うんうんところで旭くんとはお話出来たのかな? あの変な男の話だと色々あってまともに会話できなかったらしいしさぁ」
変な男とは執事服の男のことだろう。
彼も断美に変人とか言われたくないと思うが、あの一瞬だけでも正直変な人っぽい気はしていた。
「あー、そーね、この子さっき起きたばっかだし」
スティの答えに、閃いたとばかりにわざとらしく手のひらをグーでぽんと押すと断美はぐるりと旭に笑顔を向けた。嫌な予感しかせず、後退る。
「な、なんだよ」
旭の肩をがしりと掴み首だけスティの方を向くと、片手の親指をグッと立てて断美は宣言した。
「俺らでリフェちゃん迎えにいきますっ!」
___
_____
相手が断美だけなら跳ね除けられたのだ。本当に、断美だけならば。
気落ちしている旭は項垂れながらその歩みを進めていた。横にはやはりお喋りな男の姿があるが、今はスティに貰ったお菓子を食べているので比較的静かである。
断美の扱いは上手いが、旭への配慮は足りてないのではと数十分前のことを思い起こす。
『リフェちゃん迎えにいきますっ!』
そう高らかに宣言した断美に当然旭は反対した。一人で行け、もしくは一人で行かせろと。彼にとっては当然の主張である。
だが、ここで首を横に振ったのはなんとスティだった。
『残念だけどリフェと断美は初対面なのよね、あの子と二人きりにさせたくないし』
『なら俺が』
『街の名前も知らないでしょ、アンタ』
否定出来ず一旦黙るが、負けじと頭をこねくり回す。このままではやかましい奴と二人で街を仲良く散歩しなければいけなくなるのだ、どうにかしなければ。
出会って十分経つか経たないかだと言うのにえらい嫌われようである。
旭は会話のキャッチボールができないヘラヘラした人間が嫌いだった。
断美個人を比喩したわけではない、そういう奴が嫌いなのだ。
『俺とスティさんじゃダメなのか? 断美に留守番させりゃいいだろ』
これだ、とばかりに提案すれば、旭はしてやったりと鼻を鳴らす。だがスティは、手のひらを頬の辺りにやるとそれを真っ向から否定した。
『この子一人にしてみなさいな、帰ってきたら家の中泥だらけ!なんて私ごめんよ?』
え、と声を漏らしたのは断美である。これはさすがに哀れだと断美に目線を送れば、わずか数十分の間柄でも珍しいと感じる困惑した表情に旭は苦笑した。
『それはないだろ』
『ふーん、でも私のがこの子のこと知ってるのよね。 それに、何を言われても私は行かないわよ? 旭も行かないってなったら……』
断美が一人で迎えに行くパターンになるだろう。とりあえずリフェがこの男と二人で歩く姿を想像してみる。
旭の想像の中、喋り続ける断美のマシンガンが如くトークに、リフェが引いた顔で少し怖がりながら縮こまる姿が浮かんできた。
『この子空気読まないし、リフェにセクハラするかも……嫌がってるのも気づかず胸を揉んで__』
『スティ、スティさん? あの、俺何かしましたか、ちょっと?』
『しないの?』
『しないよ!?』
ダメだろセクハラとか、と旭は拳を震わせた。二人の会話は最早聞こえていない。
似てはいないはずなのだが、どこか姉と重なるリフェにやや惹かれているのは否めないだろう。
『案内しろ』
『ぅえ?』
『案内しろっつってんだよ!』
鬼の形相で啖呵を切った旭は断美のフードを引っつかんだ。スティからの冤罪に必死で否定を重ねていた断美は、うげっとカエルが潰れたような声を上げて抵抗する暇もなく引きずられていく。
『行くけどね!? ぐぇ、首っ! 締まるっ! 聞いてるかな!? 聞いてないねこれ!? 離してよぉおおお!!』
スティはそんな彼らへ朗らかに手を振った。
「なにやってんだよ俺は」
「マジでね」
回想終了。
この件に関しては一応被害者である断美は激しく頷いた。なおこれは因果応報とも言う、普段の行いというのは大事なのだ。
がっくりと肩を落とす旭、そんな彼の横を鮮やかな桃色の髪をした少女が走り抜けていった。
「……ほんとに異世界だな」
街行く人全てというわけではないが、やはり元の世界ではありえないだろう見た目の者が多い。
猫みたいな耳が生えている少年とすれ違ったり、明らかに蛇っぽい目と舌をしている女の人が商店から手を振ってきたり。
建物も不思議だ、全体的に白と灰色で縦に長い。海外で似たような雰囲気を見た事はあるような気はするが、街の中心に建つ大きな塔、いや、城だろうか。一際目立つそれの上には、大きな時計のようなものが浮いている。
「時間とか日付ってどうなってんだ?」
「大体おんなじだね、日付はちょっと違うんだけどさぁ、まぁ翻訳されてるから問題ないよ。 結構無理やりだからたまに意味不明だけど。 あっ曜日はないね月と日だけ」
「やっぱこれ翻訳入ってんのか」
会話が出来るのはもちろん道行く店の看板が読める辺り翻訳されてるとは思ったが。
読めるのはありがたいが安っぽいフォントみたいになってるものもあり、異世界の空気が台無しである。
「そ、ちなみに模様とかにカウントされてると翻訳は反映されない。 後はそうだなぁ、俺らの書く文字は翻訳利かないから気をつけてね」
「案外役に立つなお前」
「それほどでもないよ、けど先輩だしねぇ。 五年以上はここにいるしさぁ、知ってなきゃおかしいって話でしょ。 おかしいけど確かに他よりも知ってるかも、俺人に話聞くの得意だからね! へへ、頼ってくれていいよ新人さん」
謙遜になってない顔で言われると死ぬほどムカつく、というか人の話聞くの得意じゃないだろ。
しかしこの道中に断美が話してきたことは全て旭が知らないものばかりだった。
帰るのが第一目標だが、そのためにはまず世界のことを知らないといけない。べらべらとくっちゃべる断美は意外と役に立つのかもしれないなと旭は考えを改める。 改めながら、旭は遠くの大きな時計を見た。
だんだんと商店の数がまばらになり見るものも少なくなってきている。
この街はかなり広い。それなりに歩くのは覚悟していたのだが、目的地を知らないとどこまで続くのか分からず気力も尽きてくる。
「……まだ着かないのか?」
旭は横の男へ視線を向けたつもりだった。
「あそこのクレープ美味しいんだよね! 甘いのが特別好きって訳じゃないんだけど別腹っていうじゃない、お菓子食べた後だから別腹の別腹になっちゃうか、それは別にいいとして、俺のおすすめはがァっ!?」
背中を向けてクレープ屋へ走り出そうとしている断美の頭を背後からぶっ叩く。
旭はもう一度考えを改めることにした。
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