二話 求ム、ホームカミング


 平凡、普通、というには周りより底辺である自覚は持っている。だがそれでも、彼は人生を謳歌していたはずだ。

 陸上部を辞め、髪を金に染めた。友人と呼んでいいのかも分からない人間と夜中に遊び歩く。その場しのぎの縛られない生活で彼は今を楽しんでいた。

 両親は心配そうな顔を向けていたが、それなりに寛容な二人とも仲は良かったと言える。可愛がっていた弟妹とは、最近顔を合わせることが少なかったが休みにゲームの約束をしていた。

 一人暮らしの兄には今度遊びに行くと言っていたが、こんな頭見られたら文句の一つでも言われてしまいそうで少し億劫だった。

 二階の部屋にこもりきりの姉は、自分が居ないと食事も蔑ろにしてしまうので不安である。いつも隈が酷いし、寝れているのだろうか。

 姉は、旭とだけは話してくれる。優しく返事をしてくれる。だから、帰らなければいけない。

 ここから帰ったら、両親は困ったように笑うだろうな。頭髪のことを兄に怒られたっていい、弟妹達には泣きつかれるかも。困るけど嬉しいな。

 

 姉さんは、なんて言うんだろう。


『__こんなはずじゃ』


 暗闇の中、泣きじゃくる姉の姿が見えた。


「姉さ__っだぁっ!?」


 額に衝撃、痛みに呻いて涙が滲む。おでこを抑えて、瞬きをする。寝具の感触、旭はベッドに寝ていたようだった。

 少し目線を上げると黄色が見えて、さらに動かすと紫色と視線が交わった。


「お、おはようございます……?」


 呆然としたまま気の抜けた挨拶をすれば、黄色の正体はムッとした顔で旭と同じように額を抑えていた。

 起きた拍子にごっつんこしたのは明白である。


「起きたならいいんだけど、勢いありすぎよ」

「すみません……?」

「なんで疑問形なのよ、ってまぁ当たり前か」


 少女というべきか女性というべきか。ツインテールにつり目気味の大きな紫色の瞳。背はそこまで高くなく、少女の様だが、どこか雰囲気が大人っぽく見える。

 つり目がちの大きな瞳、陶器のように白い肌。彫りの深い顔はハーフっぽさを感じる。綺麗な子だ。

 しかし顔よりも気になったのは髪だ。黄色、金髪ではなく綺麗に黄色の髪をしている。元の世界のルールに慣れきっていると不思議しかない。

 まじまじと見つめていると、黄色の女性はため息をついてベッドの傍の椅子に座り直した。


「私はスティ・シャニィ、黄色の天使って呼ばれてるわ」

「……黄色の天使?」

「天使についても知らないのねぇ、こりゃ一から説明した方がいいかしら」

「異世界……そうだ……!」

 

 痛みも治まってきた旭は、自分が異世界転移してから起きたことをはっきりと思い出した。たしか屋敷から逃げ出した時、緑の髪の女と一緒にいたはずだ。

 スティの両肩を勢いよく掴む。そういえば意識を失う前、謎の男に捕まったのだ。実際は助けられた、のが正しいのだが。

 旭にはこの世界の前提知識が全く無いのだ、あの一瞬では男の目的も善悪も判断がつかない。

  

「一緒にいた緑色の、背が高い女の人は!? リファ、リフェ? って名前で、俺より背高くて……というかここどこっすか? あなたは敵じゃないんですよね!?」

「落ち着け!」


 揺さぶりながら質問責めにすると、スティはその両手を叩き落とし頭を小突いた。

 そして、静かになった旭の目の前に指を突きつける。


「良い? ちゃんと全部説明するから、その代わり私からのお願いもちゃーんと聞いてもらうわよ?」


 クククと笑うスティに、変なことさせられるのではと思いつつ、先生やお母さんに注意されてる様でコクコクと頷いてしまう。

 スティは旭の態度に満足気だ。地下で過酷な強制労働とかさせられたらどうしよう。戦々恐々と唾を飲み込む旭に構わず、腕を組んで品定めのするような目でスティは顎を上げた。

 

「よし、じゃあまずは__」


告げられた言葉に旭は目を丸くする。


___

______



「……なにこれ」


 テーブルに並ぶ料理が元の世界とそう変わらないことに安堵しつつ今の状況に対する感想を述べる。

 スティは首を傾げながら暖かいスープを彼の前に置いた。

  

「なにって、お腹すいてるでしょ。 アンタ丸一日寝てたのよ?」

「はぁ、まぁ、そりゃ空いてるけど」


 こき使われると思っていただけに拍子抜けである。リフェのことが心配だし安否くらいは教えて欲しいところだが。

 しかしお腹がすいているのも事実、旭はトーストを口に運んだ。めっちゃ普通にパン、パン屋の良いやつっぽい。食感がとても良い。

 次に木製のスプーンでスープを掬う、ポタージュみたいだ。じゃがいもとかあるんだろうか。

 落ち着く味ですぐに空になってしまった。


「美味しい……これ全部スティさんが?」

「そーよー、アンタのために作ったんだから好きなだけ食べなさいな」


 ダイニングキッチンになっていて、旭の座るところから調理場が見える。電気は通って無さそうだが原始的という訳でも無さそうだ、コンロのようなものがあった。

 魔法を使って火とか起こしてるんだろうか。


「んじゃ食べながら聞きなさいな。 まずはそーね、あぁリフェは無事よ」

「んぐっ、良かった……!」


 パンを飲み込んでから、ホッと胸を撫で下ろす。


「久しぶりだからね、皆へ挨拶に行かせてるのよ」

「そっか……んん? 知り合いなのか?」


 リフェもこの世界の住人なので知り合いだとしてもおかしくないのだが。

 どういう繋がり、というか彼女はどうしてあそこで眠っていたのだろうか。


「そーよ、同じ天使だもの。 で、天使の説明が必要でしょ」

「うん。 さっきも言ってたよな天使って、俺も言葉は知ってるんだけど」


 スティが旭の向かい側に座って、プチトマトらしきものを口の中へ放り投げた。

 

「んー、同じ言葉だけど、アンタのとことはちょっと意味が違うわね。 まずここは魔法が存在する世界、理がそっちの世界とは違うわけね」


 左右の人差し指指を立てて、それぞれを旭の居た世界とこの世界に見立ているようだ。


「ここでは世界を構成する十三の力が目に見える形で存在している__ううん、器に入ってるって方が良いかな。力は器が壊されても、新たな器に宿るだけで消えることは無い。 けど、相応しい器がなければこの世界の外側に行ってしまう、そうなると世界が不安定になる。 一つ欠けるだけでもね」


 スティが立てた人差し指を揺らして、パッと手を開く。

 世界を構成する力があり、それが器に収まっていることで世界が安定する。

 旭は眉をひそめた。力の器、流れからして。


「それが天使か」

「正解、力が宿った者をこの世界では天使と呼ぶの。そして天使は世代交代していく。器が壊れたり、力を使い果たしたり、あるいは器が自ら次へ譲ったり」

「なるほどな。 リフェさんも、スティさんも天使……待て、ってことは天使は十三人いるのか」


 スティが頷く。世界を構成する力。そんなものをもっている彼女達なら、元の世界へ戻る方法も分かるのではないかと思い至る。


「リフェの居た屋敷に転移してきた、でいいのよね? どうやって抜け出したの」

「あぁ、うん。 まずキャルって人に起こされたんだよな、で、話してたら薄紫色の髪の人に襲われて、キャルに連れてかれた部屋でリフェを起こした後二人で逃げてきた」

「カル……キャルが味方したの!?」


 驚いた顔で立ち上がるスティに、つられて驚く。リフェと旧知の仲に見えたが、あの人はスティ達と敵対しているのだろうか。と考えてから、藤色の少女を前にした時の彼女の様子を思い出す。

 やむを得ない理由があって敵対しているなら納得出来る。


「あぁ、助けてくれた。 けど確かに逆らえない感じだったな……そうだ、触れて信じろって言ってたけど、なんか分かるか?」

「触れて、信じる……」

「キャルが藤色の子を前にした時も、リフェを起こした時も、言われた通りに触って念じたらそうなった」


 スティは顎に手を当てて考え込んでしまった。深刻な表情に、旭は不安を抱く。

 スティの中で答えは出ていた。キャルについて先に反応してしまったが、リフェを起こせたのも普通ならおかしい。もちろん、転移者の能力にそういったものがあるのかもしれない。

 しかし、藤色の少女が襲ってきたのならば、そしてキャルが逆らってまで助けたのならば。

 彼女は一つの可能性へと辿り着く。


「カイコウ者」


 スティの口から漏れ出たのは、旭にも聞き覚えがある言葉だ。痛みで朦朧としながら聞いていたリフェ達の会話、その中で出てきた単語だ。

 

「それ、なんなんだ」 


 当然の疑問に、スティは答えあぐねる。心の底にあるのは微かな恐怖。彼に教えてしまっていいのか、スティには判断がつかない。

 あるいは、ここで何も知らないまま。


「スティさん?」

「……ダメな考えね」

「え?」


 悪い考えを振り払う。それほどまでにカイコウ者への恐怖がこびりついているらしい。

 スティは微笑んで、旭を真っ直ぐ見つめた。


「カイコウ者は__」


 言い切る前に、突然叩きつけるような音が部屋に鳴り響いた。遅れて、これは勢いよく開いた扉の音だと二人揃って振り返る。


「助けてスティちゃーん!! おかしいってなんっなのアイツ! 無用なお節介ってか嫌がらせだよねわざとだよね絶対さぁ! 俺は強くならなくていいのにあの超絶スパルタ野郎、やる気ないなら消えてもらいますとかなんとか酷くない? 強さって物理的なものだけじゃないってのに善良なって、あー!? なんだなんだおきてんじゃーん! おはよう元気そうだね、良かった良かった! 俺は佐々木 断美ササキ タツミ、君の命の恩人様だよ」


 怒涛。その一言である。

 扉の向こうから飛び込んできた男は口元は笑ったままわざとらしい悲しみの顔で助けを求めたかと思えば、演技がかった動作で額に手のひらを当ててよろめく。

 なんだコイツ。

 それから男は旭の存在に気づくと、ニコニコと笑顔で肩に手を回してきた。スッと通った鼻筋に、大きな真っ黒の瞳。男にしては長い髪が良く似合う、美形に分類される人間だろう。だが、胡散臭い笑みと馴れ馴れしい肩組みが台無しにしている。

 なんだコイツ。


「大変だったみたいだねぇ、目覚めたらいきなりラスボスのダンジョンって感じ? 俺だったら土下座してでも取り入っちゃうよ、逃げ出す勇気は無いなぁ後ろからバンッとか最悪じゃない。無謀と勇敢って違うよね。あ、そうそう君の名前は?」

「なんだコイツ」


 しまった、口に出た。旭は慌てて両手で口を抑えるが、もう言ってしまったものは戻らない。

 しかし、対する佐々木断美とやらは意に介さず相変わらずニコニコしていた。肩に腕を回すのをやめろ。


「第一印象って大事だよ? ほらほら、俺は佐々木断美!」

「お前の第一印象最悪なんだが……まあいいや、旭だ。 命の恩人って本当か?」


 手を差し出されたので握手すれば、握った手をブンブンと振られた。

 すごく苦手なタイプだ。だが助けられたのなら恩がある。嘘であってほしいが、いや嘘つきも嫌いだからどちらにせよである。

 旭の問いかけに、断美はニコニコしている。

  

「苗字」

「は?」


 手を離した断美は、手招きのようなジェスチャーでもう一度「苗字」と繰り返した。

 フルネームを教えろということだろう。


「旭、叶太」


 旭は答えて、これで満足かと目線で伝える。断美はぱちくりと瞬きをして、首を傾げた。


「え、そっちが名前なんだ。 先名前言わない? 普通。苗字は家族全員おんなじじゃん、やっぱ名前こそ自分って感じするしさー、あ、てかかなたってどんな漢字書くの? やっぱり遥か彼方? 俺漢字苦手なんだけどね、気になっちゃうよね、かなたでむつかしいのは来なさそうだし」

「……願いが叶うに、太い」


 声色と仕草、言葉選び、断美の全てが人を苛立たせる。悪気がある訳ではなく、自分のことしか考えていない故にそうなる、天然の煽り癖。

 見事に引っかかっている旭は、けれどそれを出さないよう努めた、しかし。


「あ、そうなんだ。 まっ、漢字とかここじゃ意味無いけ__」


 特定の人間に対して酷くキレやすい旭のストレートが、断美の顔面にめり込んだ。

 

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