明葉 夏休みのドーナツ屋にて

 夏休み初日、クマゼミの鳴き声が鼓膜、さらには地球を震わせるほど盛んに活動している中、私は坂道を下り、交差点を通ってドーナツ屋へと向かう。昨日彼と会う約束はしたものの、時間までは決めていなかったため、私は朝イチで自転車を漕いでいる。駅に着くとまだ彼の姿は見えなかった。だから、私は先に入店して、彼のいつもの席で待つ。彼は五分後ぐらいに店にやってきた。私は広げていた勉強道具を急いでカバンに詰め込む。しかし、彼は見えていないフリをしていつもと違う席に腰を下ろす。


私のことが嫌いになったのだろうか。


いつもの席を私が先に陣取ってしまったから。いつもと違う席に着いた彼はいつものドーナツを食べながらスマホをいじっていたり、夏休みの課題をこなしたりしていた。今日は一緒ょに何かをする気分じゃなかったのかもしれない。それから私は、昼を過ぎてから家に帰った。

 私も毎日行けるわけではなかったので、行ける日は必ず開店とほぼ同時に店に入れるようにして、わずかでも彼と同じ空間にいる時間を長くしようとする私なりの考えだった。しかし、夏休みに入ってから二週間経っても彼は私のところに来ない。いよいよ私が何かしてしまったのだろうかという罪悪感の気持ちが芽生えてきた。どうしたら私のところに来てくれるのだろう。最終的には、むしろ彼が私のところに来るのではなく、私が行ったほうが手っ取り早いのではないかという考えが浮かんできた。

 次の日、私はいつもよりも少し遅く家を出た。店に着いて中を覗くと、彼は以前の席でいつものものを食べていた。行くなら今だ。あの日の気持ちを思い出して彼のもとへ歩み寄る。 


「ここいい?」

「う、うん」


彼は少しばつが悪そうに返事をし、視線を逸らす。


「なんで昨日まで私のところに来なかったの?」


面倒臭いやつだと思われないだろうか。ただ何か理由があるならその理由を知りたい。それだけだ。


「実は……君が僕と一緒にいるところを見られると君に迷惑がかかるかもって思ってて」

「それだけ?私のこと嫌いになったとかではなく?」

「逆に嫌われるとしたら僕の方でしょう。あれだけ避けておいて」


なんと私のことを想っての行動だったようだ。噂の優しすぎる部分が垣間見えた気がした。何も言わずに相手のことをおもいやってくれる。しかし、今回に関しては何か一言ぐらいあっても良かったと思う。


「なんか言ってくれたらよかったのに。」

「ごめんなさい」

「ていうかそんなに気つかわなくて大丈夫だよ。普段からそんな感じなの?疲れない?」

「もう、慣れちゃったんだ。」


彼のその言葉にはどこか諦めが感じられた。あぁ、そうか。彼はずっと我慢してきたのか。人のために。みんなが幸せになるように。


「ねぇ。もっと自分大切にしなよ。」


彼のこれまでの苦労を想像するとテキトーなことは言えなかった。でも、いつも周りに合わせて生きていく人生なんて自分の人生じゃない。今、何かを変えないと彼はきっとこれから先の人生で大変な思いをすることになる。


「昨日まで優翔くんはどうしたかったの?」


簡単で簡単じゃない疑問を彼に投げかける。ただ、学校がない日にこのドーナツ屋へ来ているということはもう答えは出ているようなもの。あとは自分の本当の気持ちを埋もれたところから引っ張り出して声に出すことが大切だ。


「ぼ、僕は……君と……明葉さんと一緒にお話ししたいです」

「分かった。じゃあこれからは私がいる席にきてね」


彼はこっくりと頷く。やった。私達の関係が一歩前進した気がする。


「あ、あと敬語じゃなくていいよ。同じ歳だし」

「わ、わかr……わかった」


一歩ずつ距離を縮めていけている気がする。


「ありがとう」


一瞬ドキッとした。彼の口から感謝の言葉を聞けたからだろうか。


「こんなに親しくしてくれる人今まであんまり居なかったから。それに、大事なこと教えてくれる友達も」

「役に立てたなら良かったよ。それと、お互い下の名前で呼び合わない?」


なぜだろう。今ならこんなお願いでさえも受け入れてくれる気がする。


「分かったよ。明葉」


嬉しさでどうにかなってしまいそうだ。好きな人から下の名前で呼んでもらえることはこんなにも嬉しいことなのかと。改めて自分の名前の大切さを知った。


「ありがとう。優翔」


私も試しに読んでみた。恥ずかしそうにしている優翔が私の視界に入った。


「僕からもいい?連絡先交換しない?」


なんと彼の方からこの話題を振ってくれた。実はさっきからいつ聞こうかとタイミングを吟味している最中だった。そのせいで少し反応が遅れた。


「もちろん!」


嬉しさのあまり、声が出過ぎてしまった。でも、彼は優しく笑ってくれた。


「それともう一つ最後に……」

「なに?」


まだ何か交換していないものでもあったかと不思議に思ったが何もない。どんな要求が来るのかと気になっていると、次に彼の口から放たれた言葉は、私のその日の気分を最高潮にまで引き上げた。


「僕と一緒に夏祭りに行きませんか?」


















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