第10話

 通りは少しばかり上に向かって進み始めた。細い通りで、左手は自然法面になっている。その上は雑木林で、葉を落とした木々が寒々とした姿をしているが、茶色と霞んだ緑色の中で、紅一点の椿だけは、その凛とした佇まいを崩していなかった。

 右手には先程案内があった庭園が見える。庭園は生垣に囲われている。反対の雑木林とは異なり、こちらは手入れが行き届いており、柊の艶のある濃緑色の葉が、冬の陽射しを受けて輝いている。

「この宿、一泊いくらでしょう?」

晋作が突然クイズを仕掛けてきた。

「泊まれるんや。」

この庭園が旅館だったことに驚く。何と贅沢な眺めなのだろうか。

「そう、で、いくらでしょう?」

「そうやな、二万。」

二万というのは、今の私が一泊の宿代として出し得る最大の額であり、ある種の願望を込めてそう言った。しかし、晋作は大袈裟にかぶりを振る。

「残念!ヒント。もっと高い。さて、いくらでしょう。」

「しつこい、答えは?」

「え〜つまんね。正解は七万円でした〜。」

こいつのつまらん余興は無視して、答えを聞き出す。しかしそれは、私の限界を優に三倍以上上回った。

「いつか行けるようになればええな。」

「そうやな。」

十年後か、或いは二十年後か、一泊何万円もするような宿に泊まることができるように、豊かな暮らしを送れるようになりたいものだと、そんな未来を夢想しながら、遠くを見遣る。

 改めて、この辺りは住宅地に囲まれているのだと思った。生家の近くには温泉など無く、以前は何とも思わなかっただろうが、今となっては幾ばくかの羨望がある。しかし、ここの住民からしてみれば、銭湯のような感覚なのだろうか。人はすぐに慣れる生き物だ。それは、短期間では恒常性など感じさせぬ生々流転の世に適応できるという面では優れているが、半面では恐ろしいもので、強烈な臭気であっても、数分もすれば嗅覚疲労によって感じなくなる。これは不快感に対する慣れであるが、快感に対しても同じ事が言える。

 全国でも有数の規模を誇り、白鷺城と名高い姫路城も毎日見ていたのでは、何の感動も無くなり、視界の一部を構成するただの白い塊に過ぎなくなる。日本一の霊峰であり、日本人の魂と言って差し支えない富士山も、隣接する県からしてみれば、ただの山だろう。多少大きいにせよ、余所から来た者が抱くような感慨はない。だからこそ、この空間の美しさは余所から来た私の心に強く訴えてきた。兼六園や龍安寺に行った時にも同じ事を思った。侘び寂びこそ、日本人の美的感性の最も繊細な部分を、優しく包み込むものだと。日本人ならば、誰しもが、正確に言葉にはできずとも、どこかで風流というものを感じたことがあるはずだ。

 先程までいた通りの陽だまりに対して、木々が落とす陰影や、潤いを含んだような空気が心を落ち着かせる。こういう場の雰囲気を、一昔前はーひと頃世間は狂ったように喧伝したが、一頻り騒いで今は流行が落ち着いた印象があるーマイナスイオンなどと評したのだろう。実際には、森の木々が防虫のため放出しているフィトンチッドという毒素が、交感神経の働きを抑制することによる感覚なのだそうだ。

 国民全体が義務教育を受け、戦前とは違って実に六割近い高校生が大学に進学する社会では、この希少価値が完全に失われ、最低限の基準になりつつある。そうでなかった時代に比べれば、国民の知的水準は上昇しているはずなのだ。しかし、中途半端に賢くなった人々は、その知識を利用した科学擬きを生み出した。何とも愚である。

「お、あったあった。」

 円を描くように緩やかな調子で右に曲がると、杉林を背にして、小ぢんまりとした建物が佇んでいた。入り口の脇に紅葉の低木が植えられている。今は小骨のような枝が風を受けてカサカサと揺れているのみだが、秋にはこの景色に赤く鮮やかな彩りを添えるのだろう。地方都市の住宅地にある公民館のような建物は、正面からだけでは奥行きを感じさせず、その内部に温泉を湛えているとは思われない。

 扉を開けて中に入ると、奥まで長い廊下が伸びていた。この先に湯舟があるのだと安心させる。竹編の丸椅子や、竹林が見える硝子張りの廊下はいかにもといった雰囲気である。心の何処かにあるものに懐かしさすら覚える。集合的無意識と言われるものか、或いは文化によって規定された日本人特有の美的感覚の存在を認めざるを得ない。こういう場面はいくつかある。

 日本の文化は大陸のそれに倣って形成された。しかし漢詩が、両岸の猿声啼いて尽きずと詠い、猿の声を聞いて感傷に浸ったのとは異なって、日本の和歌は猿の声を詠じてこなかった。和歌の世界では、鹿の声を聞いて秋ぞ悲しきと言うのである。我々日本人に、猿の鳴き声はキーキーと甲高くて、郷愁や美しさを見出し得ないのである。

 猿やら鹿やらといった獣の声だけではない。中国の生々しい程に赤い建築や派手な装飾も、あれはあれで一つの文化として良いとは思うが、美しくはない。美しさとは、銀閣や清水のような静かさの中にある。それは、桜の中でも良いし、深緑や紅葉は言わずもがな、雪を背景にしても良い。得も言われぬ美しさとは、こういうものだと私は思う。

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