第4話
鐘のようによく通る声が、私の内側を巡っていた意識を現実へと引き戻し、声の持ち主が携えている待望の瓦そばへと注心させる。
「おぉ、でかいな。」
待ち望んだそれは、想像していたよりも五割増し程の大きさだった。瓦とはこんなにも大きなものなのかと感心する。普段生活している中で、こうも至近距離で瓦を見ることなど無いのだから、驚嘆するのも無理からぬことであろう。いや、それにしても大きいように思われる。この料理のために拵えたのではないだろうか。
「美味そうやろ?」
私と瓦そばとの間に晋作の声が割って入ってくる。やはり、誇らしげな顔をしている。
「せやな、まぁ食うか。」
「うん。」
「いただきます。」
「いただきます。」
銘々に運ばれてきた一品に舌鼓を打っていると、晋作が私に問いかけた。
「博文は教育実習単位あったそ?」
「まぁ…てか、あんなん落とす奴おらんやろ。」
「いやそれがさ、この間くまさんから聞いたんやけど、初等のやつらが何人か落としたらしい。」
「何故?」
くまさんというのはー無論ただの熊ではなくー熊本清正というので、熊正がくまさに縮まって、最終的にくまさんになったのだ。
「それが何か、飲酒したらしくて、それが先生に見つかって。」
「飲酒くらいで厳しいな。」
「いやそれが、そいつら寮組で、寮で飲んどったそ。その寮が校内にあって、じゃけぇ問題になったらしくて。でも皆で飲んでるくらいならばれなさそうじゃん?なんでバレたかって言うと、冷蔵庫に入れちょったんよ。で、犯人が分かった理由なんじゃけど、それが共有の冷蔵庫らしくて、缶に名前かいちょったらしい。」
教育実習生が校内で飲酒とは、世も末である。しかし、よく酒など飲む元気があったものだ。私たちも実習前は週末毎に飲もうなどと意気込んでいたが、実際始まってみると授業作りやらレポートやらで、週末まできりきり舞いの日々でそんな余裕はなかった。あれだけ多忙でストレスの溜まる日々なのだから、少々の酒くらいは許可してやってはどうかと思うのだが、プライベートな空間であるはずの寮まで校内の敷地で、自由が拘束されるというのだから難儀だ。元々教師になる気など毛頭無いのだが、散々安月給で使い倒される挙げ句にこの始末では、碌なものではない。
「くまさんに聞いたら、朝突然実習生は集会って言われて集まったらしくて、事の経緯の説明があって、そこで名前バレの話があったそ。この話の酷いところが、博文の所でも事前に説明会とか注意事項とかあったそ?そこで資料が渡されたんじゃけど、喫煙禁止は書いちょったし、説明されたそ。でも禁酒はぶち小さく端に書いちょって、それが何でかくまさん聞いたらしい。そしたら我々も情報を取捨選択しているってさ。こんな詐欺紛いなことしちょってな?」
「なんつーか、どっちもどっちやな。」
「それな。飲むやつらも終わっちょるし、学校も色々終わっちょる。」
こいつにしては珍しく教育というものに否定的な見解を述べる。いや、寧ろ逆なのか。教育の現状を憂いているからこそ、「俺が教育を変える。」などと息巻いているのだろう。怪気炎は結構な事だが、こういう志の高い若者すらも、教育現場というやつは食い潰すのだろう。だから嫌なんだ。
「それで、やらかした奴ら、即刻受講停止にされたらしくて、翌朝からおらんなるそ。突然先生が居なくなって、生徒がみんな、先生どうしたんですかー?って言っちょぅたらしくて、それが可哀想で可哀想で。先生たちは寮でお酒を飲んだので辞めさせましたなんて、言えんやろ?」
そのくらい教えてやっても良いように思うが、確か、信用失墜行為の禁止だったか?自分たちの威光ーそれもメッキに過ぎないがーがこれ以上失われないよう、隠蔽に必死なのだろう。学校のお家芸だ。もっとも、初等なら相手は小学生か。ならば、飲酒が云々と言ってやった所で、土台理解できるものでもあるまい。
「でも前にくまさんに聞いたけど、初等の授業受けた時に、その先生が初等の名誉教授だったらしくて、その人が、初等以外の学生は暇でしょ?とか抜かしちょったらしくて、何でそんな踏ん反り返ってられるんか。信じられん。」
「分かり合えんもんやな。」
ここまで一通りくまさんが持ち込んで来た初等のスクープを野次った後、今後の教育かくあるべしと高尚な議論に花を咲かせて、そこからは取り留めもないような事を話して終わったように思う。
顔も知らぬ奴らの失態や、教育のあり方など微塵も興味は無いので、ラジオや昼時のワイドショーよろしく食事のお供に聞き流していた。初めて食した瓦そばは非常に美味であった。憧れていたものが手に入ると、膨れ上がった理想と現実との差に気落ちするなどとよく言われるが、そんなものは安易な快楽に魅入られた凡夫どもの戯言で、未知に触れる喜びこそ旅の本質の一つだと私は思う。
「ごちそうさまでした。」
「えー、博文早っ!ちょっと待ってよ。」
「お前はべらべらと減らず口を叩くからいつも遅いんだ。」
「いや、俺は味わって食べとるだけじゃけぇ。」
「そういうとこや。」
その後数分晋作が食べ終わるのを待っていた。
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