第3話

夢ノヶ丘高校、校舎一階の窓際の部屋。


そこが朝影が1年間学ぶ、1年A組の教室だった。


入学式を終えたばかりの教室には、新入生独特のざわめきが満ちていた。


朝影は指定された席――窓際の後方に腰を下ろし、静かに息を吐いた。


(……疲れた)


まだ何もしていなのに、精神的に消耗している。


人の多さ、視線、そして、朝から続く胸のざわつき。


「よーくん、お隣同士だね〜」


隣の席から、ひらひらと千陽が小さく手を振る。


同じクラスで隣同士という配置に、少しだけ救われた気分になる。


「助かった……」


「もう。まだ何も始まってないのに〜」


そう言いながらも、千陽はどこか落ち着かない様子だった。


彼女の視線が、教室全体をさりげなく巡っている。


そんな幼馴染の様子に、朝影は少しだけ気が紛れた。


「……」


ふと前方の席に、魅惑的な、抗いがたい気配を感じた。


朝影は、恐る恐る顔を前に向けた。


斜め前――そこに座っていたのは、正門前で目が合った、銀髪の少女だった。


(……嘘、だろ)


思わず、心の中で呟く。


長い銀色の髪。


整いすぎた横顔。


グラマラスな容姿。


制服を着ているはずなのに、まるで舞台の上にいるような浮き方。


教室のざわめきが、一段階上がる。


「同じクラスじゃん……」


「まじで女神みたい……」


「名前、神代ルナだって」


ひそひそとしたクラスメイトの声が、確実に彼女を中心に広がっていく。


(……関わりたくない!!)


心からの切実な本音だった。


否が応でも“面倒なこと”が起きる気配を、銀髪美少女から嫌というほど感じるのだ。


だが。


その願いは、あっさり裏切られた。


神代が、ふいに振り返った。


視線が合う。


一瞬。


ほんの一瞬なのに、朝影の背筋に冷たいものが走る。


「……」


神代は微笑んだ。


それはまるで恋人にでも向けるような柔らかな笑みで、女神のような温かさがあった。


朝影は理解してしまった。


――今のは、自分に向けられたものだと。


「……っ」


思わず視線を逸らす。


心臓が、早鐘を打つ。


決して甘酸っぱいドキドキとは程遠い感情だった。


(なんなんだよ……)


そのやり取りを、千陽はすべて見ていた。


……目のハイライトがない気がする。


(自惚れじゃないよなぁ……)


机の下で、緊張からか指先がきゅっと握られる。


幼馴染が隣の席で一安心できていたのに、180度最悪な席に早替わりだ。


朝影を明確に認識して、かつ、彼が気づくように誘導されているようにも思えた。


(まだ……何も起きてない)


そう自分に言い聞かせる。


その様子を瞬き一つせずに見つめていた千陽。


彼女の胸元のネックレスが、わずかに光った気がした。




──HRが始まる。


担任教師の自己紹介。


クラス委員の話。


校則や連絡事項。


朝影は、半分も頭に入っていなかった。


意識の端で、ずっと“ズレ”を感じている。


教室は一つ。


同じ空間に、同じように座っている。


それなのに。


(……重なってる?)


説明できない感覚だった。


まるで、この教室に“もう一枚”、別の世界が薄く重なっているような。


視界の端。


一瞬、何かが動いた気がした。


だが、見ようとすると、何もない。


「……気のせい、だよな」


小さく呟いた声は、誰にも届かない。


だが、千陽だけは、その異変に気づいていた。


(……本格的に見え始めてる)


最悪の兆候だ。


巻き込まれ病は、いつもそうだった。


最初は“気のせい”。


次に“違和感”。


そして、逃げ場がなくなる。


「よーくん」


休み時間、千陽が声をかける。


「大丈夫?」


「え? ああ……多分」


多分、という言葉に、彼自身が一番納得していなかった。


「無理しないでね」


「遥こそ、なんか落ち着かないけど」


「……そ〜う?」


一瞬だけ、言葉に詰まる。


「気のせいだよ〜」


笑って誤魔化す。


その時。


「朝影夜月さん」


澄んだ声が、すぐ近くで響いた。


二人同時に、振り向く。


そこに立っていたのは、神代ルナだった。


近い、思った以上に。


「……何か?」


朝影は、内心の動揺を押し隠しながら答える。


「さっきは、正門前で」


ルナは、穏やかに微笑む。


「“初めまして”、私は神代ルナ。よろしくね?」


「……あ、いや」


周囲の視線が集まるのを感じる。


(やめてくれ……)


「それと」


ルナは、ほんの少しだけ声を落とした。


「あなた、時々……違うものが見えてるでしょう?」


空気が、凍る。


「え……?」


「安心して。──今は、まだ」


意味深な言葉を残し、ルナは教室から立ち去っていった。


残された朝影は、言葉を失う。


千陽は、即座に朝影の隣に立った。


「……よーくん」


その声は、いつもより低い。


「今日は、できるだけ一緒にいよう」


冗談ではなく確認でもない。


幼馴染の言葉にとてつもない圧があり、決定事項だった。


朝影は、何も言わずに頷いた。


胸の奥の予感は、もう否定しようがない。


巻き込まれ病が始まった。






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