踊るカラフルマン②


 ヌマバタさんが語った「カラフルマン」の話には、実はまだ続きがある。

 とはいえそれは大半の部分がヌマバタさんの直接体験したものではないので、前回は触れなかった。

 しかし、ヌマバタさんの記憶の「シミ」をより濃くしたのはその「続き」の方だった。

 なので、ここに付記する。


 ヌマバタさんが「カラフルマン」の話でクラスの注目を浴びたその日、実はKくんを含むクラスの何名かは登校していなかった。

 クラスで彼らのことを気にしている者はほとんどいなかった。「カラフルマン」でそれどころではなかったからだ。


 翌日、やっと登校してきたものの、どこか大人しいKくんたちをよそに、やはりクラスは「カラフルマン」の噂で持ちきりだった。

 午前中のどこかの休み時間でのこと。誰かが、その休んでいたうちの1人、Sくんに「カラフルマン」の話を振った。

 しかしSくんはその名前を全く知らなかった。話を振った生徒は意外に思ったものの「それじゃあ」と、まるで自分が目撃してきたかのように、町に現れた極彩色の怪人について説明を始めた。

 朝から元気のなかったSくんは、はじめは無表情に彼の話を聞いていた。ところが、話の途中から突然ガタガタと震え出し、ついには盛大に吐いてしまった。

 彼だけではない、少し離れて彼らの話を聞いていたKくんもまた、同時に具合を悪くして倒れ込んでしまったのだ。

 クラスは騒然となった。

 この時、ヌマバタさんはようやく思い至った。

 KくんもSくんも、そして彼らだけでなく昨日休んでいた生徒たち全員が、「カラフルマン」の事件の前日、あのコンクリート塊にあるというヒトの形の「シミ」を見に行っていたメンバーだったということに。


 その放課後。

 帰る準備をしているヌマバタさんに声をかけた生徒がいた。

 Mくんである。

 Mくんは以前からヌマバタさんとは仲が良く、漫画を貸し借りしたり、互いの家に遊びに行ったりしていた。しかし彼はもともとKくんともよく遊んでいたので、学校では互いになるべく話さないようにしていた。

 それが、Kくん自身は早退したとはいえまだ大半の生徒が残っている時間に、堂々と話しかけてくるのは珍しいことだった。

 Mくんは笑顔だったが、顔色は少し悪かった。


「ヌマバタくん、聞いたよ。キミ『カラフルマン』を見たんだって?」

 開口一番、Mくんはそう言ったという。

 そういえば、とヌマバタさんは気付いた。

 Mくんもまた、昨日休んでいた1人だった。

 それで詳しいことを聞きたいのかと思い、話し出そうとしたがMくんはそれを慌てて止めた。

 それより聞いてほしいことがあるのだという。


 やはりMくんも、Kくんに誘われてあの場所へ例の「シミ」を見に行っていた。

 Mくんが語り始めたは、その時のことだった。


 当日、Kくんは「2人ぐらい」と言いながら、結局総勢5人で行ったのだそうだ。

 それがお兄さんの不興を買ってしまったらしい。ちょっと多すぎたのだ。

 それでも5人は空き地に入るのを許されたが、お兄さんは不機嫌なままだし、お兄さんと一緒に来ていた中学生3人には睨みつけられたりで、とても居心地悪かったという。


 しかしMくんたちの所在なさは空き地に入るなりすぐに吹き飛んだ。

 目の前に例のものがあったからだ。

 コンクリート塊に浮き上がった「シミ」が。

 それは本当にあったのだった。


 Mくんの説明によれば、茶色い、棒立ちの人間を思わせる染みで、大きさもちょうど大人の背丈ぐらいあったという。それが、地面から30センチくらい宙に浮くような感じで、壁面からにじみ出ていた。

 とてもキモチが悪かった――とMくんはシンプルにそれを評した。

 Mくんだけでなく小学生たちは皆、一目見るなりその謎の存在感に圧倒され、怖い中学生たちより気になって仕方がなくなった。


 一方、年齢のせいか、または見慣れているためか、「シミ」を気にかけていなかった中学生たちは、小学生の意識がそちらに注がれていることに、少したってから気づいたようだった。

 Kくんのお兄さんも、弟はそもそもそれが見たくて来たのだったと思い出して、彼らを「シミ」のそばに近づけさせたが、当のKくんたちは怖気づいてなかなか近寄れなかった。

 その様子がおかしかったのか、中学生たちも機嫌をとりもどし、彼らをからかいはじめた。

 どっちにしろ小学生たちには災難だった。

 しかし、身内とその友達ということもあってか、ちょっかいはエスカレートすることはなく、やがて中学生たちは上級生がいない解放感もあってか、彼ら同士でじゃれ合い始めた。その流れで、1人が「シミ」を蹴った。


 Mくんによれば、その時ほかの中学生たちの空気が張り詰めたという。

 そうして誰かが「Aくんがそれに触んなって言ってなかったっけ」と言った。言い方からAくんとは上級生のことだろうとMくんは言い添えた。

 よほど上級生の存在が怖いのか、蹴った中学生は一瞬怯んだものの、強がってか「汚えから触るなって言ってるだけろ。ビビんなよ」と言い返して、今度は「シミ」に唾を吐きかけた。


 その時Mくんには「シミ」から「じゅう」と吸い込むような音が聞こえた気がしたという。

 しかし他の人たちは気づいた様子もなく、中学生たちに至っては仲間の言葉に煽られたのか、つられるように「シミ」にちょっかいをかけはじめた。


 最初に気付いて「あれ?」と小声で言ったのは、Kくんにいつもくっついている取り巻きの1人Sくんだった。

 すぐ隣に立っていたMくんが顔を向けると、Sくんは「大きくなってない?」と囁いた。

 そう言われてみるとMくんの目にもたしかに、いくぶん「シミ」が大きくなっているように見えた。

 それで「これはなんかヤバいと思った」と、Mくんはいいしれない不安を抱き始めたという。


 そのうちに最初に「シミ」を蹴った少年が、スプレー缶を持ち出して「シミ」に落書きしようとした。後で上級生に気づかれることを恐れた他のメンバーが止めたが、最初のひと吹きだけ壁にかかってしまった。

 しかしどういうわけか、染みの中に溶け込んだようになり、色は残らなかった。

 この時もやっぱりMくんは「じゅう」という音を聞いた。いよいよMくんは怖くなった。


 仲間はいたずらの証拠が残らなかったことにほっとしたようだったが、当の本人は物足りなかったのか、「シミ」の前に立ち「ションベンかけようぜ」と言い出した。

 これは仲間にも大いにウケた。

 それで気を良くした彼は、本当にするつもりなのか、さらに「シミ」に近寄った。


 その時、別の中学生が「ホントにすんのかよっ」と言って笑いながら、後ろから彼を軽く蹴った。

 Mくんは「ひざカックン」だったと表現した。ちょんっと蹴った足がちょうどひざ裏に当たり、それでバランスを崩して、中学生は「シミ」に覆いかぶさるようにして倒れ込んだという。

 これにも周囲は大笑いした。緊張していたはずのMくんたちも思わず吹き出しそうになってしまった。


「きったね! ふざけんな」

 少年は、キレつつも半笑いしながら起き上がろうとした――が。

 それはかなわなかった。


「え?」

 少年は自分の腕の先を見て、ずいぶん子供っぽい、高い調子の声を発した。

 周りも、自分たちが何を見ているのか一瞬理解できなかった。


 コンクリートの壁についたはずの手が。


 手首から先が「シミ」の中に沈み込むように、コンクリートの壁にめり込んでいた。


「え? え? え?」

 腕はさらに中へと飲み込まれていく。あわせて体も「シミ」のほうへ引き寄せられる。

 

 この時、はっきりと「シミ」が広がっていくのがわかった。滲むように侵食域を広げていく様は「まるで生きているようだった」とMくんはますます気分の悪そうな顔で言った。


「たす」

 おそらく「たすけて」と言いかけた中学生の顔が埋まったかと思うと、一気に上半身までコンクリートの中に消えた。


 そこでようやく、これまで呆然とその光景を眺めていた彼らから叫び声があがった。


 中学生2人は何かをわめきながら外へ逃げようとするが、足に力が入らないのか、這うような体勢のままその場でばたばたしていた。


 はじめに行動に出たのは、意外にもKくんだったという。

 Kくんは目を見開いたままひきつった顔をしていたが、「シミ」の中へ飲まれていく中学生の足に飛びつき、引き戻そうと踏ん張りながら兄を呼んだ。


 当のお兄さんは声が届いていないのかしばらく体を硬直させていたが、Mくんら他の小学生もKくんに合わせて足に取りつくのを見て、慌てて彼も両足をつかむと一緒に引っ張った。


 中学生の体は思いのほか容易に引き抜けたという。


 じゅるる。

 しめった音をたてて引きずりだされた中学生の姿を見て、彼らの血の気は引いた。

 埋まっていた上半身は、どろどろの極彩色の何かに染め上げられていたのだった。


 立ち竦むMくんたちの足元で、地面に伏したままぴくりとも動かないように見えたその彼が、突然跳ねるようにして立ち上がった。

 そうして、駄々っ子のように腕を上下に振りながら、派手な色の体を激しく揺すり始めた。


 そこでついに恐慌に達した少年たちは、「やばいやばい」と叫びながら散り散りに空き地から逃げ出した。

 そうしてKくん兄弟と、彼らについていったMくんは、誰が言うでもなくそのまま近くの交番へ駆け込んだという。


 半ばパニック状態で異常な状況を語る彼らの言うことを、警察はどこまで理解したのかはわからない。しかし尋常ではない様子に只事ではないものを感じたのだろう。訴えに応え、複数の警察官がコンクリート塊の空き地にかけつけてくれたらしかった。

 その後、現場にいた小中学生は呼び集められて、事情を聞かれたというから、そこに何かは見つけたようだった。

 そうしてその日、Mくんらは全員入院することになった。

 検査の結果、異常は見られないということで翌日の午後には退院したが、彼らの精神状態を考慮して、さらもう1日自宅で休むことになった。


 ――そこまでが、Mくんがヌマバタさんに語ったことだった。


 一方で、どういう判断がなされたのか、事件の翌日、近隣の学校は休みとなり、家を抜け出したヌマバタさんは「カラフルマン」と遭遇することになる。

 

 Mくんは、「シミ」に飲まれた中学生がその後どうなったかは聞いていないらしかった。

 Mくんの話からして「カラフルマン」はその中学生だと考えるのが妥当だ。学校が休みになったのは彼の行方がわからなかったからかもしれないと、この時のヌマバタさんは推測した。

 それですぐに休校が解かれたということは、「カラフルマン」の中学生は発見されたということになる。


 彼はどうなったのだろうか。


 Mくんの話は、ヌマバタさんにさらなる混乱とモヤモヤをもたらした。


 Mくんがわざわざヌマバタさんに直接語ったのも、彼自身のモヤモヤと気分の悪さを何割か押し付けて、軽くするためだったのだろう。それが証拠に話し終わるとMくんはいくぶん楽になった顔をしていたという。


 お返しにヌマバタさんも自分の体験したことの詳細を語ってあげようとしたが、Mくんは改めて「もう知ってるから」と首を振って断固として断った。

 そして言った。

「たぶん、踊ってたんじゃないと思う」

 ヌマバタさんの話を受けての言葉らしい。どういう意味かと訊くと、

「きっと苦しくて暴れてたんだと思う」

 そうMくんは続けた。

「あの時も暴れながら、かすれた声で『たすけてたすけてたすけて』って言ってたから」

 そう言うと、Mくんはさらにすっきりした顔で「じゃ、また明日」と言って、さらにモヤモヤを押し付けられたヌマバタさんを残してすたすたと帰っていったという。



 その件はそれきりで、Kくんたちも人前でそのことを語ることはなく、新しい情報がヌマバタさんの耳に届くことはなかった。

 しかしその後も「カラフルマン」を見たという噂はたびたび流れた。

 単なるデマかもしれないが、噂が出るたびにヌマバタさんはあの踊る極彩色の姿を思い出して気分が悪くなった。


 もちろん、Mくんが話したことが本当のことだとは限らない。しかしKくんたちの態度からして、まともなことがあったとも思えない。

 それに「カラフルマン」自体は、ほかでもないヌマバタさん当人が遭遇しているのだ。


 しばらくして、また引っ越すことが決まった時、ヌマバタさんはひどくほっとしたという。



               ***



 以上が、ヌマバタさんから聞いた話の全てなのだが。

 ひとつ、気になることがあった。

 

 実はこの話に出てくる町は、私の地元なのだ。


 そもそもが、何気ない会話の中でヌマバタさんが一時近所に住んでいたことが判明して、盛り上がった末に彼の口から出てきたのがこの「カラフルマン」の話なのだった。


 しかしこの話を、私は皆目聞いたことがなかった。

 というか、コンクリート塊の存在も、「旧街道」と呼ばれる道のことも覚えがない。


 詳しく場所を聞いてみても、どうも私の把握する町と重ならない。

 スマホで今の地図を出してすり合わせても、彼の子供のころの記憶だけでは判然としなかった。


 しかし彼の勘違いで、実は全然違う町だということもなさそうだった。

 彼の住んでいた家の場所、通っていた学校、よく行っていた近所のコンビニやファミレスは、私のよく知るものだったし、地図でも容易に見つけられた。

 しかし「旧街道」とそれにまつわるものだけに限って、重なるものがなかった。

 歳も近いので、ごく短い時期のことだとしても、私の記憶と大きな齟齬が生まれるはずもないのだが。


 ひとつだけ手掛かりになりそうなものが、都市計画道路についてだ。

 かつて計画がとん挫した道路については、私も覚えている。

 計画が進められた土地買収の跡が、ずっと飛び地のように何年も放置されていたし、今なお空き地のままの場所もある。


 その幻となった道と交差するどこかに、「旧街道」とコンクリート塊はあるのだろうか。


 ちなみに道路開発の計画は再開の兆しがあると、最近聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る