踊るカラフルマン


 知人を通じて知り合った、ヌマバタさんという男性から聞いた話である。


 ヌマバタさんは子供の頃、ごく短い間だけ、ある町に住んでいた。

 駅前や幹線道路沿いを除けば畑や田んぼが広がるような土地だったが、一通りの用は町の中でこと足りる程度には栄えた、東京近県の、なんということもない町だった。


 そこに「旧街道」と呼ばれている道があったという。

「みんな『旧街道』としか言わないから、子供だった僕には何の旧街道だったか今もわからない。「旧」というからには「新」があるはずだけど、それがどこにあるかも知らなかった。片側一車線の大して広くない道で、歩道も狭かったね」

 そうヌマバタさんは振り返る。


 ヌマバタさんがその旧街道で、ある思い出と共に一番印象に残っているのが、大きな「コンクリートの塊」だという。

 道沿いの空き地にあったそれは、高さは子供のヌマバタさんの倍ほどで、幅は数メートルほど、奥行きは高さと同じくらいあったというから、けっこうな大きさだ。

 そんな巨大なコンクリート塊が、空地への進入を遮るように鎮座していたという。

 ヌマバタさんが当時の大人たちから聞いた話では、そこは作られるはずだった都市計画道路が、旧街道と交差する予定だった場所で、高架橋を渡すための基礎が作りかけのまま、計画中止とともに買収した土地に放置されているのではないかということだったが、実際のところは不明だった。


 そして、そんな大人たちの話とは別に。

 このコンクリート塊には、子供たちの間でまことしやかに流れている噂があったという。


 コンクリートの中に、人間の死体が埋められている――そんな噂だ。


 埋まっているのは、道路計画をめぐる汚職の口封じに殺された関係者であるとか、買収を拒否した土地の所有者であるとか、計画への抗議のために自殺した反対派であるとか、はたまたコンクリートが固まる前にふざけて上に乗って沈んでしまったお調子者であるとか、話す者によってさまざまなバリエーションがあった。

 どの話も裏付けとなる根拠はなかった。話の元になる事件もないらしい。


 そんないい加減な噂が、子供たちを惹きつけているのには理由があった。

 染みだ。

 コンクリート塊の裏側、空き地に面した側面の壁に、ヒトの形をした「シミ」があるというのだ。

 それは中の死体から染み出た体液なのだとか、死者の怨念によるものだとか、やはり諸説あった。

 しかし「シミ」自体は実際にあるのだという。


 転入して間もなくにその噂を耳にして、当時のヌマバタさんは俄然興味を抱いた。

 その「シミ」をぜひ見てみたい――ヌマバタさんはそう思った。

 しかし、それは簡単にかなうことではなかった。


 近所の空き地にあるものだ。物理的な障害はほとんどない。

 コンクリート塊の裏手に回ること自体は、空き地の入り口となる脇の柵さえ越えればよいだけだ。立ち入り禁止の看板はあるが、厳重に監視されているわけでもなく、子供でも苦もなく入れる。


 しかしその容易さゆえに、却って面倒な問題があった。

 入りやすくて、人の目がさえぎられる場所……。それは悪童たちにとって絶好の隠れ場所になりえる。そして実際そこは、地元のやんちゃな中学生の一部が代々たむろする場所のひとつになっていたのだった。

 そのことは小学生のヌマバタさんらの間でも周知の事実だった。だからそこに不用意に近づく子供はいない。

 もちろん、いつもいるわけではない。不良たちも大人や学校には知られたくないから、目につくほどには頻繁に利用しないようにしている。

 しかしうっかり出くわすリスクを考えると、おいそれとは入れない。

 ヌマバタさんは、ただ焦がれるしかなかった。


 そんなある日。

 休み時間の教室の真ん中で、興奮ぎみに話しているクラスメイトたちがいた。話の中心となっているのはKくんのようだった。

 Kくんはクラスのリーダー格だがちょっと乱暴なところがある、ガキ大将的なクラスメイトだ。

 そんな彼が、例のコンクリート塊の空き地に入れると騒いでいるのだ。

 ヌマバタさんは外を眺めながら、聞き耳を立てた。


 聞こえてくる話によると、Kくんには中学生のお兄さんがいて、しかも彼はその空き地でよくたむろすグループの1人なのだという。

 そのお兄さんが昨日、Kくんに例の「シミ」を見せてやると言ってきたらしいのだ。


 グループをしきる上級生の目が厳しく、普段は下級生であるお兄さんたちも勝手に入ることは許されていない。しかしお兄さんが言うには、近くに上級生たちは修学旅行があり、彼らが不在のその数日間だけは自由に行動できるというのだ。

 そこで、この機会にお兄さんは仲間内でその空き地に行くついでに、前からヒト型の「シミ」についてしきりに聞いてくるKくんを誘ったのだった。弟にいいかっこうをしたかったのだろう。


 Kくんは「2人くらい一緒に行けるからどうだ」と仲間に誘いかけていた。彼にいつもくっついている取り巻きたちも「すっげすっげ」とハイテンションで盛り上がっている。


 正直ヌマバタさんも仲間に入りたかった。

 しかし関係のない話だった。

 最近引っ越してきたヌマバタさんをよそ者扱いして邪険にするKくんとは、折り合いが悪かったのだ。だから参加に名乗りを上げたところで無視されるか、最悪ののしられて拒絶されるのが関の山だった。


 ヌマバタさんは、ただでさえ羨ましいのに、よりによって仲が悪いKくんが自分よりも先に「シミ」を見に行けるということが、相当に悔しかった。


 Kくんたちが「シミ」を見に行く当日、ヌマバタさんは帰りの会が終わるなり誰よりも早く教室を出た。盛り上がる彼らの出発を見たくなかったからだ。帰り道も、旧街道からなるべく距離をとるルートを選んだくらいだった。

 家に帰りついてからも、明日のことを思うとヌマバタさんは憂欝だった。間違いなく彼らは大声で見たものについて語るだろうし、歯噛みしながらそれに聞き耳を立ててしまう自分が想像できてしまうからだ。


 だが、翌日。

 学校は突然休みになった。

 朝、登校前に連絡を受けて他の親たちと何かやりとりをしていたヌマバタさんのお母さんは、「学級閉鎖みたいなもの」だと言うものの、詳しい話をしてくれなかった。そうして、真剣な顔で「くれぐれも外へ出ないように」とヌマバタさんに釘を刺してから仕事へ出かけていってしまった。

 風邪やインフルエンザが原因ではないようだし、クラス単位ではなく学校全体が休みというのもヌマバタさんには解せなかった。


 課題もないまま休みになったのだから少しは喜んでもいいはずだったが、昨日からの憂鬱を引きずっていたヌマバタさんはどうにもテンションが上がらなかった。

 それでヌマバタさんはTVを観ながらしばらくぼんやりとしていたのだが、とつぜん閃いた。


 これはチャンスでは?

 というか、今しかない――と。


 思い立つや、家を飛び出した。

 行き先は「旧街道」。


 お母さんの忠告も忘れ、この絶好の機会に「シミ」を見に行こうと考えたのだ。


 道中大人に見つかって咎められることだけが心配だった。しかし平日昼間の郊外地域ではほとんど人と出くわすことがなく、杞憂だった。特に旧街道はいつ来ても活気のない通りだが、この時間はこんなに閑散としているのかと驚くほど人も車も見かけず、少し怖く思えるほどだった。

 それはコンクリート塊の周辺も変わらず、そのぶん空地への進入を見つかる心配がないのだけは安心だった。


 これまで何度も前を通るたびに観察していたから、進入手段はいくつもあるのは分かっていた。なかでも、柵の端の留め金が実は外れていて、そこをめくるのが一番簡単な方法だった。


 だが柵の下部をめくろうとしたヌマバタさんの手が止まった。

 外れていたはずの留め金が、しっかり嵌め直されていたのだ。


 それだけでなく、本来の出入りのための扉にも複数のカギが追加されていたうえ、安普請だった柵全体に補強がされていた。さらに柵の裏側はブルーシートが張られていて、向こう側が見られない。

 いかにも急増で雑な作りながら、厳重に進入を防ぐようになっていた。

 いつからこうなっていたのだろう。昨日はもうこうなっていたのだろうか。どうせならそうあってほしいとヌマバタさんは思った。

 でもそうであっても、いや、そうならなおさら、素直に諦める気になれなかった。

 せっかくここまで来たのだ。

 ヌマバタさんは未練がましく柵の前で、なんとか入る方法がないか思案した。

 その時。


 たんたんたん


 すぐそばで足音のようなものが聞こえた。

 しかし慌てて振り返っても、近くには誰もいなかった。


 たんたんたんたん


 また音がした。固いものの上で強く足踏みするような音だ。


 たんたんたんたんたん


 音は続く。

 上からだ。

 ヌマバタさんは、音はコンクリート塊の上から聞こえてくることに気づいた。


 人でも乗っているのか。


 確かめようにも真下の今の場所からでは見えない。

 見るには、道の向こう側に行くしかなかった。

 でも人であるとして、どんな人物かいるか知れない。

 向こうに気づかれるのは少し怖かったので、そのまままっすぐ道を渡るのはためらわれた。

 そこで、ヌマバタさんはここからいったん離れて、だいぶ距離をとってから道を渡った。


 そうして遠くから、コンクリート塊のほうを見た。


 やはり人だ。


 たしかに何者かがコンクリートの上に立っている。そうして腕を上下させながら、激しく足を踏みならしていた。


 ヌマバタさんの目には、踊っているように見えた。


 それでちょっと楽しそうだなと思ったのだという。

 もっとよく見ようと近づいていった。

 それははじめ、遠目からは黄色い服を着て、黒いズボンを穿いているように見えていた。

 だが近づくと、しだいにそれはすこし違うことに気付いた。


 黒いズボンはたしかにズボンだった。

 しかし黄色い上半身は、すくなくとも「服」ではないようだった。

 頭から何かを被っているようにも見えるし、全身に何かを塗っているようにも思える。

 とにかく、体も頭も両腕も、一様にカラフルな色で染まっていた。


 鮮やかな蛍光イエローをベースに、赤や緑、ピンクの絵の具をぶちまけるか筆で描き殴ったかしたかのような、極彩色の模様に半身が包まれているのだった。


 その姿に見入ってるうちにいつの間にか、ヌマバタさんはコンクリート塊の上で踊る、カラフルな怪人の対面まで来てしまっていた。


 これは、人なのか……?

 そこでヌマバタさんは初めて疑問をもった。

 

 極彩色の上半身は、よく見ればどこもかしこも腫れたように凸凹している。やはり粘土か大量の絵の具を塗りつけているように見えた。瞼のあるあたりは盛り上がっていて、目は開いていない。塗りつけたもののせいで開けられないのかもしれない。

 口は時折大きく開いた。そこだけは普通の人のようだったが、たまに異常に裂けて見えることもあった。叫んでいるようにも見えたが、声は届いてこない。

 向こうは目の前にいるヌマバタさんに気を留める様子はなかった。ただ一心不乱に、痙攣するように踊り続けていた。

 

 ヌマバタさんはその場で、魅入られたように眺め続けていた。

 それは後から思い返せば、初めて目にする常軌を逸した存在に、どうすればいいのか、どういう感情を持てばいいのか、わからなかったからだろうとヌマバタさんは言っていた。

 だから。


「なにあれ……」

 すぐ近くで声が聞こえて、ヌマバタさんは我に返った。

 横を見れば、いつの間にか知らないおばさんが立っていて、呆然と怪人を見つめていた。

 ぽかんと口を開けたその横顔をなんとなく眺めていると、突然かっと目を見開いて

「ぎゃああああ」と、おばさんは汚い声で悲鳴を上げた。

 そうしてヌマバタさんを押しのけるようにして、旧街道を走り去っていったのだった。

 ああ、逃げたのか。

 彼女を目で追いながら、ヌマバタさんの理解が追いつくまで数秒かかった。


 そうしてやっと。

 あれは怖いものなのか、と気づいたという。


 途端、噴き上がるようにヌマバタさんの中に恐怖心が湧いてきた。

 すぐに自分も逃げなくては。

 そう思うも、足に力が入らなくて動けなかった。竦んでいたのだ。

 怪人はただ一心不乱に踊っている。だが目の前だ、いつ気づいていても不思議ではない。いやもう気づいているかもしれない。


 まずいまずいまずいまずいまずい。


 頭の中ではそう思っても、体が思うように動かない。

 どれくらいそうしていたのか。

 唐突に怪人は硬直して動きを止めて、片手を振り上げた中途半端なポーズのまま、倒れ込んだ。

 びしゃりと湿った音が聞こえた。


 倒れ込んでしまうと、ヌマバタさんの場所からは姿が確認できなくなった。

 怪人が視界から消えた途端、体の硬直が解けた。

 今度は力が抜けてへたり込みそうになる。しかし体は動く。


 今のうちに……!


 震える足を無理やり動かして、ヌマバタさんも必死で逃げ帰ったのだった。


 その日、仕事から帰ってきたお母さんには、事情が事情だけにその異常な出来事を話すことができなかった。


「カラフルマン」――ヌマバタさんはいつの間にか、あの怪人をそう名付けていた――あれが何だったのか、ヌマバタさんは1人で考えてみたが、何をどう考えても答えが出なかった。

 あの「シミ」と関係あるかもしれないと思いつつ、結び付けるものが場所以外何一つ思いつかない。


 このままだと自分だけの体験として、他の誰にも言えないまま、うやむやになってしまう。

 それは怖い気もしたが、同時に今後何も無ければ、そのまま自分も忘れてしまえるかもしれないとも思った。

 そもそも本当にあんなものがいたのだろうか。だんだんと夢で見た出来事のような気がしてきて、寝る前には現実感を失い始めた。

 でも、そうはならなかった。


 次の日には学校は再開された。

 そして、ヌマバタさんは知ることになった。

 極彩色の怪人は、彼とおばさん意外にも目撃されていたのだ。その話題でクラスは騒然となっていた。

 あれは本当にいたのだった。

 夢の中に押し込めかけていた存在が、反逆するように現実に帰ってきたことに少し戸惑いつつも、ヌマバタさんは、気持ちを切り替えて、自分の目撃談をクラスメイトに明かすことにした。

「自分の中だけにあった、不安と怖さを解消したい気持ちもあったのだと思う」と、当時の気持ちを振り返ってヌマバタさんは私に言った。


 そうしてたちまち「カラフルマン」の名前はクラスを席巻し、その日のうちに学校中に広まっていった。

 話が他クラスに伝播した時点で、ヌマバタさんの話ということが省かれて、何なら自分が見たという生徒まで現れだしたのには辟易したが、それで却って昨日の行動が親にバレないで済むと思って安心もした。


「その時だけですね。よそ者の自分がちやほやされたのは」

 「カラフルマン」はその後も学校のみならず、町内で語られる都市伝説のようになったが、その名前の発案者がヌマバタさんだということは全く広まらなかったという。

 その名前も、数カ月も経つとほとんど聞かれなくなり、同じようなタイミングでヌマバタさんは町を離れることになる。


 今もなお、彼が出会ったものの消息は知れない。

「まあ、今となってはいい思い出とも言えますよ」

 と、ヌマバタさんは話をしめくくった。

 が、すぐに片眉をあげて

「――なんて言うと思います?」

 と、付け足した。

「それこそ記憶の中にできた気味の悪い「シミ」みたいですよ。いまだにあのカラフルな体と異様な動きを思い出すと気分が悪くなります」

 そう言う彼は、まさそれを思い出しているのか、本当に不快そうな顔をしていた。

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