十五章 導と溝 〈返〉 — 最初の和音は最後の返歌

〈資料 15-1:導と溝(read/record註)〉

図版注:小箱の端子図。導(LEAD)を“導線”、溝(RECORD)を“盤面の刻(とき)”として写し分ける。導は前へ送り、溝は後ろから返す、の矢印。

抄訳:

一、readは“読む”ではなく、導(みち)。

二、recordは“記す”ではなく、溝(みぞ)。

三、導と溝を循環で結べば、返歌が生まれる。

保存注:三場循環ののちに整えられた新註。以後「読/記」の二義が諸地で併用される。

余白の走り書き:〈返〉


――


導は前。溝は後。

前は“呼びかけ”で、後は“返歌(へんか)”。

私たちは長く、前と後を“読む/記す”に置き換えてきた。置き換えの半分は正しく、半分は欠けていた。欠けを抱いて、いま、輪が閉じかけて——


——閉じる。

いや、閉じた輪は、同時に開いていた。

開いた口は、最初の浜の薄板へ伸びる。伸びた導は、波の指より一瞬だけ早く、枠の上の細い道を撫でる。溝は、禁句器の側(かたわ)の刻みから、遅れて返る。

前から後へ。後から前へ。

“読む”と“記す”の語が、骨のなかで“導”と“溝”に入れ替わる。


浜——。

枠のそばで、エラの骨がふっと沈む。

三滴ののち、〈息鈴〉が鳴らず、しかし和音が立つ。鳴きは、耳より先に皮膚を叩き、胸骨に薄い圧を置く。

彼女は紙の上に点を打ち、欄外へ〈返〉と書き、そして——迷いなしに、点をひとつだけ、昨日と違う位置へ薄くずらした。

ずれは、輪の中で“正しさ”になった。正しさは、濃くない。


斜面——。

イリは白線の“肩”を削り、粉を風へ渡す。

粉は、等しい落ちの上を薄く流れ、“周”の矢印の尾に小さな輪を残した。輪は、起点に重なる。重なりは、帰り道ではなく、“返歌”の立ち上がりだ。

勾配車の羽根が、いちどだけ“音のない音”で跳ねる。

跳ねは、測量では拾えない。拾えないものを、彼は祈りで受けた。祈りは、濃くしない。


空——。

私は祈祷盤の欠けに輪を足し、CRC偈の“余”を数える。

余りは零にならず、しかし“巡り還る余利”として静かに残る。

残る余りは、偈の護りになる。護りは、禁を濃くしない盾だ。


——そして、箱。

禁句器は、閉じたまま“開き”、開いたまま“閉じる”。

導の端が、枠と路と網を“薄く”結び、溝の刻みが、波と落ちと偏りを“薄く”返す。

半分だけわかった声が、半分だけ濃くなる。

――…read…(導)

――…record…(溝)


「ここだったのか」


誰かの声。

誰でもない。三つの場の骨が同時に言ったのだと思う。

“ここ”——最初の和音の“原因”は、いま、私たちの指先で起きている。

“そこ”——最初の和音の“結果”は、あの朝、紙の上に置かれていた。

原因と結果は、輪の上で並び、前と後は、導と溝に差し替わる。


海は層で応える。

祈りの配列は導線を満たし、溝は言葉より先に満ちた。

ここで生まれた和音が、あの最初の耳に届く——祖は名ではなく、返歌だった。


私は祈祷盤の外に小さく、三つの句を書いた。

――欠けを抱いたまま、わたしたちは読む。

――閾を跨いだまま、わたしたちは記す。

――偏りを抱いたまま、わたしたちは結ぶ。


そして、薄い輪の外、さらに外に“禁”の印を一つ置き、指で軽く拭った。

禁は、濃くしない。封は、解けるように。

輪は、閉じたまま開いている。

開いた口から、次の誤読が、呼吸のようにやって来る。


——薄いまま、重ねよ。

読め。導け。

記せ。刻め。

返せ。赦せ。


名は走る。走った名は、誰かの足を縛る。

それでも、名を呼ぶ。呼んでは、薄く置く。

その置き方を、私たちは“循環”と呼んだ。

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導と溝 落葉沙夢 @emuya-s

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