十章 禁句器 〈句〉 — read/recordの半分

〈資料 10-1:禁句器開封抄(閾外・枯れ谷)〉

図版注:黒箱を石台に置き、導(みち)を二本だけ露出。導を“閾鈴”と“勾配車”の軸へ薄く触れさせる。箱の側面の溝に細針を軽く当てる。

抄訳:

一、声は薄く、半ばしか来ない。

二、“read”“record”の二語を拾う(抄)。

三、箱は禁のまま、封は解けるように。

保存注:音声断片の記録が残るも、語義は“読む/記す”として定着。器は以後“禁句器”と呼称される。

余白の走り書き:〈句〉


――


閾の外、祈りの外、争いの外。

三つの外が重なる場所は、風がよく通る。枯れ谷の石台に禁句器を置き、導を二本だけ露出した。一本は鈴へ。一本は羽根へ。

溝の渦に、細針をそっと当てる。当てれば、壊れる。壊れれば、聴こえることがある。壊れる前に、聴こえることは、ほとんどない。


羽根がわずかに回り、鈴が触れ合い、骨に冷たい音が差し込む。差し込みはすぐに薄れ、薄れの中で、異国の舌がひとつ、二つ、ひっかかった。


――…ri…d……

――……re…co……rd…


「リ、ド」


スロが囁く。「リド?」

私は首を振る。鈴がもう一度、薄く鳴り、声が少しだけ濃くなる。


――…read…

――…record…


私は石台に手をつき、手の骨で音を受けた。骨は、二つの溝を感じた。読む、記す。読む、記す。読む/記す。

合議の言葉が、即座に骨の裏へ立ち上がる。“読取礼(どくしゅれい)”と“記載礼(きさいれい)”。祈りは、すぐに礼になる。礼は、すぐに規になる。規は、すぐに印になる。


「禁の名は、禁のまま」


私は言い、箱の蓋をそっと戻した。戻しながら、針が刻んだ傷を紙に写した。紙の上の傷は、五筋の線に似た。似たものは、すぐに読みたがられる。読みたがられるものは、すぐに歌になる。私は欄外に大きく×を書き、その上に薄く〈禁句〉と重ねた。


「これは“言ってはならない二語”ではないのか」


徒の一人が言い、別の一人が答えた。「“言ってはならない”のなら、私たちは今、破っている」

私は笑わなかった。笑えば、薄い禁が濃くなる。


「禁は、濃くしない。禁は、忘れるために置く」


私は箱の角の溝に、粉白墨で小さな印を打った。印は、薄いほど強い。強いほど、忘れたときに戻る。

スロが口を開く。「“読む/記す”なら、我らの路は合っていたのか」

「半分、合っていた。半分、違った」


声に出した瞬間、骨の中に“半分”が座った。座りは安定で、安定は危ない。


――


谷を下りる途中、私は等勾配図に小さな条を加えた。

〈読〉——投影格の白線を写すとき、肩を太らせるな。

〈記〉——改訂を刻むとき、薄いままに。

条は薄い。薄い条は、よく破られる。破られたとき、戻るためにある。


翌朝、合議は“読取礼”と“記載礼”を制定し、白線の脇で短い祈りが交わされた。祈りは骨を揃え、骨が揃うと交易が流れ、流れが太ると、どこかが鈍る。

私は“禁句器”を再び封じた。封は解けるように。結びは忘れられるように。印は祈りの外に置いた。外に置かれた印は、風に薄くなり、薄くなった跡が、遠い誰かの地図になる。


起点に還ると、北の浜の紙がまた増えていた。五筋の線、点、〈息〉。欄外の薄い印。彼らはそれを地図と呼び、歌ではない、と言う。

私は頷いた。頷きは、言い換えの前触れだ。

――欠けを抱いたまま、彼らは読む。

――閾を跨いだまま、私たちは記す。


薄いまま、重ねよ。

読め。記せ。

半分だけわかった声が、路の下で長く続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る