とまれみよ

あれから俺たちの関係は、怖いくらいに穏やかな暮らしと共に膠着状態にあった。


慎作さんも俺のことが好きで、俺も慎作さんが好き。同じ屋根の下六畳間に暮らしてて、慎作さんが夕飯を作ってくれるし、コインランドリーも行ってくれる。週2,3回セックスする。相変わらず毎晩交代で自分の話、最近は学校であったことや配信であったことを語りあって、同じ布団で眠る。カップルの同棲じゃなくてこれがなんだと言うのか。でも、付き合ってるかどうかと言われたら、なんとも言えない。


来月にME試験があるから、八月はしばらく忙しい。慎作さんに見守られ時にはちゃちゃを入れられながらも、勉強を続けるしか無い時期が続く。


ああでも、慎作さんと───デートがしたい。


慎作さんと出会って暮らし始めてから、もうすぐ一ヶ月が経つ。でも慎作さんの荷物はたいして増えていない。服も必要最低限、下着も必要最低限。唯一増えたのは三百円くらいで買えそうなぺらぺらのボストンバッグで、慎作さんはいつでも荷物をまとめてこの家を出られる、ということを部屋の隅に無造作に置いたそれによって示していた。昔は恋人の家に配信機器一式揃えていたくせに、俺の家にはまったく定住しようという意思がないのだ。


だからこそデートがしたい。俺たち付き合ってますよねって確認して、慎作さんのものをなにか服でもなんでも買って、それで、ちゃんと俺の家に住んでるって自覚を持って欲しい。どこにも行かないで欲しい、って伝えたい。


「慎作さん」

「ん、な〜に、どしたの、けーすけ」


ルーズリーフから顔を上げた俺にかけられるのは相変わらずの甘ったるい声。振り向く時揺れるピアス。いつからか、幼い女の子の好むようなひどくかわいらしいモチーフに全てすげ変わっている。


「で、デートに行きませんか、今度、の土曜日」

「デートぉ?」

「うん」

「…………俺達付き合ってんの?」

「……!」


痛い!慎作さん、突然核心に迫らないで。そこはゆっくり確かめようと思ってたのに。すとん、と落ちた何色でもない声が俺の心臓に爪を立てる。


「……お、れは……付き合ってるんじゃないかなって思ってたし……慎作さんのことは……恋人、だと…………」

「わお。マジかー。そっかぁ」


なんの感情も見えない声は、ただ俯いている。俺のあげたタンクトップの胸元に差したサングラスを手に取り、屋内だというのに芝居がかった動作でゆっくりと掛けた。ミニキッチンの薄明かりがまるで舞台照明だ。


「俺様はねぇ、君を恋人遊びに堕落させてお勉強の邪魔するつもりは無かったんだよ」

「……恋人遊びって……俺はだって、慎作さんのこと好きだし、慎作さんも俺のこと好きじゃん」

「そうだよ?俺は慧介が好きだよ。毎日抱かれたいくらいには。その気になれば俺様は───本気で。君をいくらでも堕落させることができる。でもしてない。その意味がボクちゃんに分かるかい?」


ばたん、と大きい音を立てて問題集もルーズリーフのバインダーも閉じた。椅子を回して慎作さんに向き直った。


「分かっ……分かる、よ。すごく。ありがとう、いつも。でもさ、来月受ける試験って別に、国家試験の方じゃないから。二年生が受けるような資格試験だし、すごく難しいわけじゃない。俺が、その、要領悪くて不安で、それを誤魔化すのに勉強してるだけだから、本当はこんな必死に毎日毎日勉強しなくたっていいんだ」

「ふうん。余裕だねぇ。合格率三割とか言ってなかったっけ?」

「…………不安だよ。でも、慎作さんは俺に……ちゃんとした大人になって欲しいんじゃなかったっけ?そしたらさ、息抜きの仕方とか上手な生き方……教えてよ。このままじゃ俺ずっとこんな…………まじめクン、だし、ボクちゃんのままだよ」

「そう言われても俺様にゃあセックスしか教えることがねぇな」

「だから、セックス以外の……恋人っぽいデートをする日を一日設けようって話、したかったの」


サングラスの向こうの目は静かに閉じられている。ごくんと息を呑む。


「デートねぇ…………」


慎作さんはそれきり黙り込んでしまった。何度か口を開こうとしては、躊躇うようにその薄い唇が閉じた。俺はその動きをじっと見ている。リップクリームを買ってあげようかな。ガキが金出すなって言われるかな。


「……たばこ買いに行く」

「……えっ?!う、あ、あの、一緒に行く」

「いーよ、おいで」




トンカントンカン鳴らして二人で軋むアパートの階段を降りる。ゆらゆら揺れる背中、髪を括ったからむき出しの肩と項。目のタトゥーはいつも俺を見ている。


「慧介ってアイコスじゃなかったっけ」

「慎作さんこそ、吸ってるとこ見た事ないよ。アイコスの悪口は聞いたけど」

「…………俺ァね、好きなやつと同じ銘柄を吸うのが好きなの。でもアイコスはヤ」

「…………俺も、昔は、憧れてた地元の先輩真似してセブンスター吸ってたんです」

「ハタチの昔なんて数ヶ月前だろ」

「そう……ですけど。元カノがぁ、あの、慎作さんを拾った日に僕を振った元カノが」

「ミクだっけ?」

「ユイ!ユイが……やめろって言うから……」

「ほぉ〜〜〜」


コンビニに入店する。慎作さんはなんの棚にも興味を示さずに、俺を置いて真っ直ぐレジの店員の元へ行ってしまう。


なんとなく手持ち無沙汰にグミとかの棚を見る。え、じゃあ慎作さんは何買うんだろ。俺のことが好きなら、俺に合わせてセッター買ってくれるのかな。どうすんだろ。慎作さんに似合うたばこって無限にあるな。


「ん、けーすけ、行くよ。それともなんか買いたいもんあるの」

「いや……なんも。分かった」


慎作さんの手には、セブンスターと銀のピースが握られていた。





「…………慎作さん、なんで銀ピ買ったの」

「別にど〜でもいいだろ。旨いから」

「俺の銘柄には合わせてくんないの」

「うん、合わせてやんない」

「……なんでっ」

「未練が残ると困るから」


踏切がカンカンと甲高い音を立てて降りる。激しい音を立てて電車が通り過ぎる。その綺麗すぎる横顔が夜の闇の中で真っ赤に照らされるのを、僕はじっと見ている。


「未練、残してよ、慎作さん」

「……ん、なに、電車で聞こえなかった」


電車が通り過ぎた後にハッキリと告げたはずの言葉を、慎作さんは有耶無耶にする。


「ううん、なんでもない」


そして僕も、曖昧にしてしまう。

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