レスキュー・ドッグ

慧介を待っている。


結局俺はまんまと慧介にしてやられた。土曜日、ピーカン晴れのクソみたいに暑い十二時半。午前中学校で少し用事があった慧介を、俺はじっと学校の前で待っている。


東京赤星医療福祉専門学校。大層な漢字が並ぶ門にもたれかかっていると、土曜日だというのにそこそこ学生が出入りしている。明日のオープンキャンパスの準備をしてるんだっけ。彼ら彼女らはみんな慧介みたいにぴかぴか輝いて見えて、なんだか漠然と眩しいような気持ちになった。みんなひとの命に関わる仕事を目指してるんだなあ。この子たちがいずれ人を救うのか。たまにこっちをちらちら見てくる女子がいるから、少し愛想良くしておく。ごめんな、知らない人、しかもこんな幽霊みたいな男がガッコーの前にいたら怖いよな。


「慎作さん!……暑いのに、ここで待ってたの?どっか近くのお店入っててって言ったじゃん」


玄関から転がり出るように走って駆け寄ってきた慧介は、真っ先に俺の心配をした。なんでだよ。俺がどこで待ってたっていいだろ。


「別に大した時間待ってねぇよ」

「肩んとこ、赤くなってる。待たせてごめん、ほら行こ」


慧介に手を引かれて一歩歩き出してようやく、タンクトップから露出した肌がひりひり痛いことに気づく。





「慎作さん、大丈夫?気分、少しは良くなった?」

「……うん、まあまあかな」

「なんかここで軽く食べちゃおうか」


チェーンのざわざわした喫茶店、柔らかすぎるソファが居心地悪い。涼しい空調の風が汗ばんだ体表を冷やしていき、ぼんやりした頭がすうっと冷えていく。


慧介はまず俺を連れてボックス席に入り、流れるような手つきで飲み物を頼んだ。次に俺にお冷のグラスをふたつとも押し付け、全部飲むように言った。なにやってるんだこいつは、と思いながらも真剣な視線に圧されて言う通りにしたら、沈んでいた思考や少しばかり揺れていた視界が少しずつ改善した。え、なに。俺は熱射病かなんかになりかけてて、お前それをわかってたの。なんで分かるの、俺の体のことなんて。


……でももうあの真剣な視線はどこへやら。慧介はガキの顔してニコニコしながらメニューを見てる。


「俺このあみ焼きチキンホットサンド食べちゃおうかな……ピザトーストも食べたいけど……」


あーあ、かわいいなあ。


「……どっちも食えるだろ、お前なら。じゃあ両方頼んで、俺がピザトースト半分食うから、残りは全部食いなさい。それでどう?」

「いいの?」

「もちろん。俺が食いきれなかったら、もっと食ってもいい」

「……ふふ、ありがと、慎作さん」


そうやってかわいく笑うから、俺はダメなんだ。


「お待たせしました、こちらがあみ焼きチキンホットサンドと……こちらピザトーストです。お熱いのでお気をつけてお召し上がりください」

「うわー!美味しそう!」

「ありがとうございます」


でん、と置かれた二つの料理は二度見するほどボリュームがヤバい。ピザトースト、半分も食べられないかも。でも慧介は大きさにビビるどころか、むしろ腹ペコ学生と言った様子で早々にいただきます!と言って食べ始めている。


「……旨いか?」

「おいしいよ、お腹減ってたんだ」

「そっか、よかったなあ」


ああ、かわいい。こいつって本当に飯食ってるときの顔がかわいい。こんな乳臭いガキ全然タイプじゃないのに。ずるいよなぁ。


とんでもない分厚さのピザトーストにゆっくりナイフを入れ、丁寧に切り分ける。元々半分にカットされていたものを更に切って四分の一にし、取り皿に分ける。それに俺は思い切りタバスコを掛けていく。


「慎作ふぁん」

「なあに、飲み込んでから喋んなさいよ」

「……もう一切れはさ、タバスコ掛けないで食べてみてよ」

「…………ほう、面白いこと言うな」

「だってさ、いっつも食べる前から掛けてる。味覚、治っても気づけないじゃん」

「治んねえよ」

「……まだ分かんないよ」

「……へぇ、そうかいそうかい。分かったよやってやる。しょうがねぇなあ」


生意気言うなあ。ガキのくせに。ムキになって真っ赤になったピザトーストを一口食らう。油と痛み、ごわごわしたパン、熱い卵とチーズ。ごくんとそれを飲み込んだあと、スティックシュガーの入れすぎでドロドロになったコーヒーを飲んでリセット。それからふう、と息を吐いて、なんにも掛かってない方を手に取った。


味のしない食事がどれだけ苦痛か知らないくせに。でもやってあげる。慧介が言うからやってあげてんだから感謝しろよ。

油。程よく冷めてあたたかいごわこわのパン。それと、卵と、チーズと、トマトソース。

…………しょっぱい?もう一度食らいついてよく噛んでみる。トマトソースの酸味と、ピーマンのほのかな苦味。あれ。なんか、ぐっと疲れるくらい、味がする。痛くないのに、吐くほど甘くないのに、味がする。こんなの、いつぶりだ。


首を捻りながらタバスコで真っ赤な方とそうじゃない方を口にする俺を、慧介は黙って見ている。もぐもぐとホットサンドを頬張りながら、ニンマリムカつく顔で笑って見ている。


「……なんだよ」

「だから、言ったじゃん。慎作さん、とっくに味覚……治り始めてるでしょ」

「俺は知らない」

「うん、知らないだろうなと思ったから、言ったの」

「なんで分かって……なんで笑うんだよ」

「えー?嬉しいから。好きな人が美味しく食べられるようになってくのがうれしいから」

「…………あ、そう」

「うん」

「…………もういらない。このタバスコかかってないとこは全部お前が食べなさい」

「しょうがないなあ」


慧介は笑顔で皿を引き取る。俺には慧介がなんでそんなに嬉しそうなのか、よく分からない。




「慎作さん!」

「え〜、どっちも似合うじゃん」

「慎作さんが決めなよ」

「だと思った!」

「いいよ、今日は慎作さんの為の日だから」


慧介は、一日中ほんとうによく笑っていた。俺が何をしてもどんなことを言っても笑ってた。


服屋に連れてかれて、どんな服を選んでも似合うと言った。慧介はどんな服を俺に着て欲しいの?と何度も聞いたけど、わかんない!と笑われた。長らく無かった俺の枕も買った。ふかふかの上等なやつだ。俺が選択の連続と人混みに疲れたら、すぐにベンチで休ませてくれた。ジジイでもあるまいに。今日、慧介と触れ合っているのは手のひら一枚分だけなのに、そこからどんどん温かくなって身体がほぐれていくような気がした。


これは、なんかダメだな。よくない。こんなの、デートじゃん。超デートじゃん。こんなのだめだ。慧介が持ってる袋は全部俺の服で、俺が持ってるのは枕の大きい箱だけ。女の子でもあるまいに、なんでこんなに丁重に────ああ、そうか、慧介にとってはこれがデートのお作法なのか。

だとすりゃこの後はあれか、ラブホテルか。大荷物で。流石に一旦家に帰って、やっぱセックスすんのかな。


そんなん、いいのか、俺が。そろそろ現実ってもんを、お前が相手してるのはかわいい女の子じゃなくてこの俺様だって教えてやらなきゃだめじゃないか。どうしよ。


「慎作さん」


はっ、と我に返ると、慧介はじっとこちらを見ていた。


「何考えてるの」

「……なんでも?」

「そっか」


ショッピングモールの喫煙所で、慧介は俺が買い与えてからまた吸い始めた紙タバコを吸っていた。アイコス、いつの間にやめたのか。あれ臭いから、家の中で吸うの辞めてくれて助かるけども。


「この後、どうしよっか。映画とか?晩御飯とか?」


決めてないのかよ。この荷物で男二人だぞ。さては俺になんか買い与えることが目的だったのか。


「……ホテルでも行くか」

「え」


慧介はデカい声で反応し、あからさまに挙動不審になって慌てて火を消した。さすがに周りの目が気になるらしい。


「…………俺そういうホテルって、あんま、行ったことない」


ぴゅう、と口笛を小さく吹いてやると、やっと本日初のムッとした顔をされた。かーわい。


「教えてやろっか、今後のためにも」


慧介は黙って俯いてしまって、もっとむくれた顔になってしまった。あらら、ダメでしたか。


「…………じゃあ行こっか、そういうホテル」

「ああ、是非とも。あれだろ、どうせこの辺のホテルは調べてあるんだろ?どこも行ったことないのに」

「……ッ違うよ。一回だけ行ったこと、あるし」

「あ、そう。例のユ──」

「元カノの話出さないで……!なんか複雑な気持ちになる……!」

「じゃあ今日はそこじゃない所に行こうな、ほら連れてって」

「うん……」


俺が手を引いて喫煙所を出る。あの薄暗い照明じゃ分からなかったが、慧介は目元をひどく赤らめていた。


お前、なんでそんな泣いちゃいそうなの。

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