XVI 落雷落ちる
びりびり痺れてズコンと落ちた。俺の心はもうどこにあったかわからなくなって、ゆらゆらゆらゆら、所在不明のまま独り歩きしている。
二ノ倉慧介。
ぼんやり奴の出ていった玄関を眺めていたら、またいつのまにか時間が経ってしまった。パン、と頬を叩いて、だるい身体を叩き起す。
身体が重い。上手く操縦できない。歩くのって、息するのってどうやるんだっけ。よく分かんねぇな。顔を洗った。慧介の家には鏡というものがどこにあるのか、俺はまだ知らない。仕方なくスマホの内カメで自分を見る。
知らない顔がそこにいる。
これは怪談師サクじゃない。髪の毛を少し整えてみた。違う。サングラスを探して、掛けてまた画面を見た。違う。こいつは誰だ。この、腑抜けた顔の俺は────どの俺だ?
誰にもなりきれないまま考えてる。今日の配信何話すかネタ探さなきゃ、ネタ帳もレンの家だ、全くしょうがねぇな、昨日は即興だったもんな。今日はちゃんと元ネタある怪談で、しっかり長尺で、って考えてるのに、隙間隙間で二ノ倉慧介のことばかり考えてる。もうダメだ。ヤキが回った。怪談師サク、おしまい?ここにきて突然プロ意識無くなったのか。なんでだよ。わからない。慧介の声ばっかり、頭ン中渦巻いてる。あーーダメだ。こりゃダメだわ。噺屋商売が成り立たん。
ここにいるからダメなんだ。今からこの部屋を出ていって、どっか別の場所で配信して、それで……
…………俺、慧介が学校から帰ってくる前に、この家に帰りたい。
自分でもびっくりして立ち尽くした。嘘だろ。
え、何、慧介のこと出迎えたいの俺。ただいま〜おかえり〜つって?ふざけてんのか。なんでそんな、今更、家族ごっこ、みたいな。
すごい泣きそう。なんでだよ。もう全部が分からない。思春期の情緒フアンテ〜って感じだ。ふざけんなよ。俺様はどこへ行った。俺様は、俺様は、俺様は────怪談師サク。胸を強く叩いた。ちゃんと痛い。俺様は怪談師サク。俺は案内人で語り部。恐怖という名のカタルシスの、演出家で、脚本家で、役者で、そう!俺様は天才なんだ。俺が話せば全部上手くいく。俺様は俺様を愛してる。俺様は恐怖を愛してる。俺様は怪談師サク。まだ大丈夫。
『まだ、滅んでないから』
そうだよ、慧介。俺様怪談師サクも、お前も、まだ滅んじゃいない。簡単に滅びるもんじゃない。
必死に少ない荷物をまとめて、靴を履いて外に出ようとした。ぎいぎい不気味に軋むアパートの扉、そのポストから、ちりん、と鈴の音がした。
勝手にポストを覗き見ることに薄ら罪悪感を覚えながらも、なんとなしにツメを押して、開く。郵便物は溜まっておらず、ちゃりんと転がり落ちてきたのは、鈴の着いた家の鍵。
おい、防犯意識無さすぎだろ。どうなってんだ。最悪鍵失くしたときの保険ってか?元通りに直してやろうとしたその瞬間だった。
ぺら、と落っこちてきた、安っぽい付箋。
『シンサクさんのカギ』
お前さ、そんな粘着力弱い付箋使うんじゃないよ。どこで買ったんだよ。百均か?ちゃんとスリーエムの買えよ。
お前さあ、なんで俺に合鍵なんて。
なんで、俺なんか。俺なんかに。
俺なんかに。
三和土の上、俺は長いこと蹲って泣きべそをかいていた。まるでガキみたいに。もうダメだ。
こんなの知らないけど、たぶんこれが、ほんものの、惚れた弱みだ。
泣き止んだら立ち上がった。カギを持って外に出た。蒸し暑い午後の風が濡れた頬を撫でる。俺は鍵を閉めた。アパートの壊れかけの階段を、カンカンと鳴らして降りる。
俺、ちゃんと今日このあと、怪談師サクをやった後ここに帰ってくるんだ、と思った。
ゴミ捨て場の前を通る。ここに捨てられたあとから、なにもかも本当じゃないみたいだ。でもどうせ捨てられた人生だ、その先どんな展開でも文句言えねぇな、とも思う。
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