第二夜 後編
あーあ。言っちゃった。
俯いて唇をきゅうっと引き結んでいる慧介。俺はただそれを見ている。
お前の欲しいものは、俺じゃない。俺じゃ無理だ。お前にしてやれることも、お前が俺に出来ることも……もうなにもないんだよ。だからもういいでしょ。はやく終わりにしよ。ちょっと危ないもの触ってみたかっただけだもんね、分かってるよ。
おれもただ微笑んで慧介を見ていた。ごめんね、さよなら。そう思ってた。
でも慧介は、俺が思ってたよりずっと変な男だった。
「これ……学生証……」
「……はァ?」
慧介がバイトに持っていったかばん、その中の上等そうな財布から取り出したのは、学生証。東京、赤星医療福祉、専門学校、臨床工学技士科2年、二ノ倉慧介。まだ黒髪だったころの、初々しい慧介の写真が乗っている。まさに真面目くん、といった顔立ちだ。
「で、えーと、えっと、これ」
突然立ち上がり、ガサガサと机の上のファイルを漁る慧介。おれはよく分からないまま、昔の慧介の写真とじっと目を合わせていた。
「あった。この家……五十嵐荘の賃貸借契約書。名義は俺、だけど、保証人は父さんで、それで」
「……ちょ、っと、待ってよ、けーすけ!お前、なにしてんの?だめでしょ、俺みたいなやつにこんな、大事なものも身元もぜんぶ、」
「僕は!!」
突然大きい声を出されて、びくっと肩が震える。慧介はすぐにそれに気付いてしまって、ごめんと謝られる。なんだかおれの方が申し訳ない気持ちになった。
「僕は……あなたのことを、もっと教えて欲しくて、知りたくて……でも一方的に質問責めしたりとかはしたくなかったから……まず、お、俺の事を……お伝えしようかなって思って……」
もごもごと言い淀む姿。……ああ、なるほどね。だからおまえ、女に振られたんだな。誠実すぎるんだ、きっと。駆け引きもできないんだろーね。あーあ。かわいそ、かわいそうに。
「っ、ふふ、はっはっは。おまえ、しょうがないね。どうしたの。なんで俺なんかのこと。っふふふ、しょうがないなあ。じゃあ出血大サービス。ほら」
おれは財布から、薄い色あせた紙を1枚出した。おれの身分証明書はこれだけ。
「保険証。見せてあげる。とっくに期限切れてるけど」
「……つづき、しんさく、さん」
「そ。俺の名前は都築慎作。今……んー……26?だったかな。うん。ちゃーんと男で人間だよ」
「慎作さん」
「なぁーに」
「あんた、本当に、帰る場所……ないんだな。ほんとの慎作さんも、どっか、失くしちゃったんだ」
「そーだよ。ゴミ捨て場にいる時点で気付いてよ。ぜーんぶ捨てられちゃってもうなんにもないの。俺ァもうカラッポ、幽霊と一緒」
けらけら笑いながら話してる。こんなに「俺」の話誰かにすんの、久しぶりだなあ。
「慎作さん……俺……」
「うん♡」
「あなたと仲良くなりたい……」
「仲良くだぁ〜〜?」
「うん……慎作さん、は、もう、ほんとの慎作さんが、わかんなくなったかもだけど、きっとどこかに、見失っただけだよ、きっと。だからぼ、俺は、慎作さんが……ちゃんと生きてる人間だって、知りたい。分かりたい……」
「………………ふーん。あ、そう。じゃあどうしよっか。セックスする?」
途端に慧介は耳を赤くして顔を背けた。おや。童貞みたいな反応しちゃって。ふしぎなふしぎなお兄さんのこともっと知りたいんでしょ。ミステリアスな人に振り回されてみたいんでしょ。いいよ。そういうアトラクションとしての俺の夢なら一晩くらい見せてあげるよ。でもね、慧介。慧介がしたいのはほんとうの俺と、だもんね。ほんとうの慎作さんとセックスってどうやってやんだろね。それはお兄さんも分からんわ。
慧介の作ってくれたパスタは相変わらず味がしなかった。タバスコをしこたま掛けて食べたらなんとか食べることが出来た。慧介は自分の料理を台無しにされても、ぜんぜん怒らないし、殴らない。ただ、複雑そうな表情でこちらを見ている。やめてよ。壊れてるんだなあって思うから。
それからシャワーを交代で浴びて、俺は支度をして。慧介はじっと俺を見つめてきた。お前さ、ノンケなんじゃなかったの。もう大丈夫なのか、男を抱くっていうのは。でもお前がいまご所望なのはミステリアスで闇深なお兄さんでしょ?分かってるよ。すう、と息を吸い込んで、演技のスイッチを入れようとして────崩された。
あんまりやさしいキスをされたもんだから嫌になった。まだ役に入ってないんですけど。
すごくやさしく押し倒された。あのねぇ、女抱くんじゃないんだから昨日の夜みたいにしなくていいだろうがよ。
そうだ俺、昨日慧介のセックスが気に食わなかったんだ。あんなに無味無臭で、教科書通りで、半べそかいてる癖に腰の振り方すらヤケクソじゃなくて。
あーあ。てめぇもおんなじだ。
腹の底見せてねぇのはお互い様じゃねぇか。
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