翌朝、選択

目が覚めると、慎作さんは布団にいなかった。

酷く頭痛がする。吐き気もする。ぐったりした身体で起き上がる。


ああ、やっちゃった。ワンナイト、ってやつ?しかも男と。ゾッとした。あの夜射精してから見下ろした男の背中は、暴行された痕に塗れて背骨が浮いていて、ひどく頼りなかった。どうしようもなくアレがあの時、一瞬だけ、女に見えたのだ。背の高い黒髪の、まさに幽霊。柔らかな手付きで僕を誘い、上手、上手、と僕の拙い手つきを褒めてくれた。くねる身体も悩ましげに上げた声も、なんならナカの具合まで、女のよう、女そのものだった。狐に化かされたとはこういう気持ちなのか。


「けーすけくん、おはよう」


声がした方をゆっくり振り返る。備え付けのミニキッチンの前には、昨夜の幽霊男が僕のパンツを履いただけの姿で立っていた。ひどい猫背だ。僕が腰を強く掴んだせいで青アザになっている。


「おはよ、う」

「砂糖借りるよん」


呆気にとられたまま彼を眺めていると、勝手に彼はインスタントのコーヒーを入れていたようだった。砂糖の袋から留め具を外すと、おもいきり袋を降る。いち、に、さん。道路工事みたいにどさどさ落ちる、砂糖。


「うーむ」


スプーンを落とし、ぐるぐるかき混ぜると布団から出られない僕にすらジャリジャリいう音が聞こえた。怖い。それはコーヒーを飲んでいるのではなく砂糖を貪っている量だ。

慎作さんはそれにためらいなく口をつけ、勢いよくドロドロでジャリジャリの液体を流し込んでいく。腰に手を当ててごくごく、じゃりじゃりと。


「うん、味がする!」


イカれてる。異常だ。

久しぶりだ、と言い放ってからこちらを振り返ったのは、昨夜の女ではなくごみ捨て場で拾ったおかしな怪談師だった。だったのか?僕はもうなにもわからなくなった。


「けーすけは朝早いねぇ。今日の予定は?」

「ば、十一時からバイト……」

「バイトかぁ!えらいね。お兄さんのことどうしたい?追い出すかい」

「……ちょっと、待って。考えさして。一回朝飯食わせて」

「朝飯食うの!えらいねぇ」

「あんたは」

「へ?」

「慎作さんは、朝、米ですか、パンですか」


幽霊男は、信じられないといった顔であんぐり口を開けこちらを見ていた。


「選んで」

「……けーすけは?」

「お、俺は今どっちでもいいんだ。選べよ、て、言ってんだよ」


幽霊男はひどく怯えた顔をして動かなくなってしまった。懸命に息を吸って、こちらをちらちら見ながら長考の末、絞り出すように彼は言った。


「ごはんかも……」


なぜだか知らないがびくびく怯えている男を放置して、冷凍庫から凍った米を二つ取り出す。計算狂うなぁ、と思いながら慎作さんが使ったやかんに水を注いで、インスタント味噌汁の用意をする。茶碗も汁椀も一つしかない。自分はどんぶりとマグカップでいいか。


「けいすけ、怒った?」

「はあ?怒りませんよ。怒る要素ゼロだし」

「アタシってほんとにダメでね、すぐにお返事できなくて、それで」


思わず振り返ると、そこには昨夜の女がいた。

目を擦る。慎作だ。所作、佇まい、声色、全てが女に化けていた。


「でもね、けいすけ、アタシけいすけのこと……」


チーン、と電子レンジの音が鳴る。その瞬間ビクン、と大げさに飛び跳ねた彼は、幽霊男だった。



ちゃぶ台を囲んで幽霊男と朝食を摂っている。ぐらついていた男の人格はゆっくりと拾った夜の幽霊男に統合され、今は白米にも味噌汁にも親の仇のように七味唐辛子を振りかけて血の池地獄と化したものを食べていた。


「あー、ごめんねけーすけ。けーすけの飯が不味いって言いたいんじゃあないのよ。俺ァねぇ、ぶっ壊れてるの。こうでもしないと味がしねーのよ。許して、いや、だめだよ、こんな風になるなよ!」

「うん」


僕は適当な朝飯を食べながら、めちゃくちゃに喋るめちゃくちゃな男をじっと見ていた。ぶっ壊れてる、というのはあながち間違いじゃないだろう。原因不明バグの塊。結局どうされたい?捨てられたくないとばかりに僕に縋っていたあの女は?ぶっ壊れてる、追い出すかい、と告げるあの男は?過剰に怯える、痣だらけの身体は?結局この人、僕にどうしてほしいんだろう?


「あのさぁ、慎作さん」


ぎくん、とやっぱり大げさに飛び跳ねる身体。


「しばらくここに居なよ。行くとこないんだろ?俺だいたい学校とバイトでいないし、好きにして。あんたといると心霊現象なんて起きないような気もするし」


なにより、あんたのこと僕もっと知りたいと思ったから。そうとは言えないけど。


「けいすけ、アタシ……」

「うん。でもあんたをさ、ユイ……元カノの代わりにした昨日の夜は、ほんと、ごめん。だからもう、大丈夫。そこはもう大丈夫だから。こんなこと言いたくないけど……忘れて」


幽霊男は、捨てられた犬のような顔で呆然と項垂れていた。

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