第25話 つかの間の休息

 大森林を進むこと一週間、ルーナたちは森のそばにある宿場町――マターリに寄ることにした。


「それにしてもウチら速いですよね~!」

「馬車でも倍くらいはかかる道のりだよ!?」


 ここまでのアルスの快速っぷりに、ニッケとベルは驚きを隠せない。


「さすがアルスね! よしよ~し」

『えへっ、ぼくはすごいんだ!』


 ルーナに頭をわしゃわしゃ撫でられて、アルスも得意げに胸を張る。


「そろそろ到着しますよ」


 ナミの言葉どおり、一行の前に赤茶色の板壁で囲まれた町並みが姿を現した。

 煙突からは白い煙がたゆたい、干し草と木の香りが風に混じる。


「久しぶりの町ね! これでゆっくり休めそうだわ」

「ここまでずっと森の中でしたもんね!」

「もうヘトヘトだよ~」


 アルスが町の入り口で馬車の列に並ぶと、その浮かぶ巨体に人々がざわつく。


「……やっぱり目立つのね」

「当然でしょう。なにせ馬でも馬車でもなく、空飛ぶシャチですから」

『ぼく、人気者だね!』

「ふふっ、あなたはこういうの慣れてるものね」


 アルスの上機嫌ぶりに、ルーナは苦笑した。


 順番が回り、身分証とギルド証を提示してすんなり入場。

 町の中は落ち着いた空気に満ちていた。

 羊毛のマントを羽織った人々が干し魚やチーズを売り、旅人に温かな笑みを投げかける。

 小川の丸太橋では馬が水を飲み、蹄の音がコツコツと響いている。


「なんだかのどかな町並みね」

「マターリは王都への中継地ですから、旅人の疲れを癒す場としても大切にされているのです」


 やがて宿屋へ。

 巨体のアルスを外に残して扉をくぐると、最初に目に入ったのは大きな石造りの暖炉だった。

 ぱちぱちと薪が爆ぜ、柔らかな炎の光が壁の木彫りを照らし出している。

 香ばしい薪の匂いが旅人の心を解きほぐした。


「まあ! 立派な暖炉~!」

「この辺りは冬になると雪に閉ざされますからね、宿屋にも欠かせないのでしょう」


 受付には恰幅のいい女将が立っており、にこやかに出迎える。


「いらっしゃい。一泊かい?」

「はい、お願いします」


 ナミが答えると、女将は目尻を下げて笑った。


 二階の部屋に入ったルーナは、素朴な木の調度品と落ち着いた明かりに迎えられ、毛布の敷かれたベッドにぱたりと身を投げ出す。


「ふーっ……やっと休める……」


 体の力が抜けていくのを感じながら、ルーナは心からの安堵を覚えるのだった。


 旅の疲れを癒やすため、宿に荷を下ろしたルーナたちは女将に案内されて裏庭へ向かった。


「うち自慢のサウナ小屋だよ。真冬でも汗びっしょりになるし、疲れが一気に抜けるよ」

「サウナって、あの?」


 前世で馴染みのあった単語にルーナが瞬きをすると、ナミが説明を添える。


「この地方の蒸気浴でございます。熱した石に水をかけて蒸気を発生させ、身体を芯から温めるのです」

「やっぱりそうなのね……気持ちよさそう!」


 小屋の扉を開けば、白樺の香りを含んだ熱気がふわりとあふれる。

 薪ストーブには火が落とされ、上段には焼けた石が積まれていた。


「それでは服を脱ぎ、こちらのタオルを巻いて入りましょう」


 脱衣場でナミに服を脱がせてもらうも、彼女の豊満な胸がタオル越しでも形を主張してくる。


「やっぱりデカいわね……」


 ぼそっと漏らした声に、ナミは涼やかに微笑んだ。


「お気になさらずとも、お嬢様は成長期でございます。それに今のお嬢様も、大変にお美しいですよ」

「ナミ……ありがと」


 少し照れながら、二人はサウナ小屋へ足を踏み入れる。


 木製のベンチに腰掛ければ、熱が肌にまとわりつき、身体の奥底まで温まっていく。

 額から汗がつっと流れ、ルーナは思わずうっとりした。


「気持ちいい……こんなに暑いのに、苦しくない……!」

「そうでしょう? この蒸気と香りが疲労を流してくれるのです」


 そこへ湯気の向こうからニッケとベルが現れる。


「あっ、ルーナさんも来てたんですね!」

「一緒に汗流そ~!」


 二人もタオルを巻いただけの姿でベンチへ座る。

 細身ながらも引き締まったニッケ、豊満な胸でやわらかな体つきのベル。

 その差に、ルーナの胸にまたチクリとした感情がかすめた。


「……やっぱりデカい」


 つい声が漏れ、ルーナは慌ててタオルをぎゅっと掴んだ。


「ど、どうしたのルーナちゃん?」

「な、なんでもない! なんでもないんだから!」


 焦るルーナをよそに、ニッケは平然と肩をすくめる。


「ベルさんは発育がとてもいいんですよ。ウチもぺったんこなので羨ましいです」

「ちょっ……! ニッケまで……!」


 顔まで赤くし、ルーナは蒸気に埋まりそうな勢いでうつむいた。


 けれど――汗が流れ、火照った肌に熱と心地良さが沁みていくにつれ、胸のむずがゆい気持ちも少しずつ溶けていった。


「そろそろ外気浴に参りましょうか、お嬢様。整いますよ」


 小屋を出ると、マターリの冷たい空気が頬を撫でる。

 白樺の香り、柔らかな日の光、遠くの小川のせせらぎ。

 熱と冷のコントラストに、ルーナは深呼吸した。


「…………はぁぁぁ……」


 全身の力が抜け、言葉にならない心地よさが広がる。


 そして小屋に戻ってもう一度温まり、また外で冷ます――その循環を繰り返すうち、旅の疲れはすっかり吹き飛んでいた。


「お嬢様、冷たいミルクをどうぞ。ニッケ様とベル様の分もございます」


 絶妙なタイミングでナミが瓶を差し出す。


「さすがナミ! 気が利くわね!」


 ルーナは勢いよくごくごくと飲み干す。

 火照った身体に冷たいミルクが染みわたり、思わず声が漏れた。


「ぷはーっ! これよ……これなのよ!」


「ルーナさん豪快すぎるんですよ~」

「でもね、そういうルーナちゃんだから親しみやすいんだよ?」


 ベルの優しいフォローに、ルーナの胸がじんわり温まった。


 ――その時だった。外からざわめきが聞こえたのは。


「……騒がしいですね」

「まさか……!」


 嫌な予感に駆られ、ルーナはタオル姿のまま外へ飛び出した。


 そこには、通りの人々に囲まれて得意げに笑うアルスの姿があった。


「アルス!? 一体なにを――」

『おかえりルーナ! みんなにパフォーマンスを見せてたんだ!』


 そう言ってアルスは、噴気孔から水を高く吹き上げる。

 夜の光を受けた水しぶきは虹になり、人々の歓声が響き渡った。


「もう……驚かせないでよ」


 安心したルーナが胸に手を当てると、追い付いてきたナミに急いで毛布をかけられる。


「お嬢様、そのようなお姿でいられてははしたないですよ」


 ナミにそう指摘されて、ルーナは途端に羞恥を感じてしまう。


「そうだった、わたしまだタオル一枚だったわ……!」


「――ささ、こちらへ」


 ナミに連れ添われたルーナが裏で着替えると、アルスがにこにこしながら催促した。


『ルーナ、ぼくにもっと指示して! もーっとすごいの見せたい!』

「ふふっ……仕方ないわね。じゃあ――いくわよ、アルス!」


 こうして即席ショーは大盛況となり、サウナで整った身体のまま、ルーナは宿場町に笑顔を咲かせた。


 その夜、純白の寝間着に着替えたルーナが窓辺に立ち、闇に包まれた空を見上げた。


 すると――空の奥で、蛍光色の光の帯が、かすかに揺れているのが目に入った。


「あれは……オーロラだわ」


 故郷でも滅多に目にすることのなかった現象に、ルーナは思わず息を呑む。


 外で待機していたアルスが、空を見上げて声を上げた。


『ルーナ、空が……揺れてるよ』

「大丈夫よ、アルス。怖いものじゃないわ」


 ルーナはそう言って、窓越しにアルスの頭を撫でる。


 ほんのひととき。

 その間に、光の帯は溶けるように夜空へ消えていった。


「……きれいだったわね」

『そうなの? ぼくには、なんだか……あったかく見えた』


 アルスの言葉に、ルーナは小さく微笑む。


 そこへナミが近づき、そっと毛布をルーナの肩に掛けた。


「お嬢様、いつまでも窓際にいてはお身体を冷やしますよ」

「ねえナミ、さっきオーロラが出ていたの。とてもきれいだったわ」

「左様でございましたか。……町の方々によると、この辺りでは稀に見かけるものだそうですよ」


「そう……」


 特別なもののはずなのに、誰も大げさにはしない。

 それでも、胸の奥にだけ、静かな余韻が残る。


 ルーナはもう一度、何もない夜空を見上げた。


 ――なぜか、その光が「行っていい」と言ってくれた気がして。


 その意味を知るのは、まだ先のことだった。

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