第15話 奪う覚悟
空が茜色に染まる夕暮れ。麦畑と平原の境で、ルーナたちは身構えていた。
「いよいよですね、腕が鳴ります!」
「村の冬越しのためだもん、気合い入れなきゃ~!」
拳を握り込むニッケとベル。ルーナも胸の前で手を強く結ぶ。
「初めての狩猟……負けられない!」
アルスが大きな顔を寄せ、ぺろっと舌で彼女の頬を舐める。
『大丈夫だよ、ルーナ! ぼくがいるから!』
「……ふふっ。そうね、あなたがいれば大丈夫」
その言葉を交わした直後、ナミの低い声が響いた。
「――来ます」
平原の彼方から土煙を巻き上げ、影のような大群が迫ってくる。
「鬼ネズミだよ!」
赤くぎらつく双眸。
成人男性ほどの巨体に二本の角。
ギチギチとオレンジ色の前歯を鳴らしながら群れで押し寄せてきた。
「でっか……っ!」
ルーナは思わず息をのむ。
「ウチが先陣切ります!」
「援護は任せて!」
ニッケが地を蹴ると同時に、風切り音を残して視界から消える。
「はあああっ!」
雷光をまとった拳が鬼ネズミの顎を砕き、その巨体が宙を舞って地面に叩きつけられる。
「ギチャァァァ!!」
仲間を倒された群れが一斉に前歯を剥いた。
だが、その頭上に――
「ロック・アバランテ!」
ベルの杖が光り、大岩の奔流が降り注ぐ。
ドドドッと轟音を立て、数匹をまとめて押し潰した。
「ナイスです、ベルさん!」
「ニッケちゃんこそ!」
二人が笑みを交わす間、ルーナは拳を握りしめた。
「すごい……これがハンター……」
『ねえルーナ! ぼくも行っていい!?』
「行ってきて、アルス!」
巨体が弾丸のように突っ込み、衝撃波とともに鬼ネズミを数匹まとめて吹き飛ばす。
「おお、アルスも強いですね! ウチも負けてられません!」
アルスの無双ぶりに触発されたニッケが、さらに気合いを込めて、鮮やかな徒手空拳で鬼ネズミたちを蹴散らした。
『一番はゆずれないなぁ!』
アルスもまたニッケにライバル意識を燃やし、目の前の鬼ネズミを一匹ずつ屠っていく。
四トンの圧力で頭を押し潰し、あごで噛み砕き、巨体の推進力を担う強靭な尾で薙ぎ払う。
地響きのたびに群れが潰えていく様は、まるで大怪獣の蹂躙だった。
「……わたしも!」
ルーナは両手を組み、水の球を作り上げる。
「アルス、これを――!」
『まかせて!』
笛の合図と同時に、アルスが尾で水球を弾き飛ばす。
ズドォンッ!
水弾が地面に炸裂し、轟音とともに水飛沫が衝撃波となって鬼ネズミを巻き込んだ。
「ビチュゥゥ!?」
数匹がまとめて吹っ飛び、群れは総崩れに。
「……これ、スプラッシュ・ボンバーって名付けましょう!」
吹き飛ばされた鬼ネズミの一匹が、ずるずるとルーナの足元に転がってきた。
「ギィ……チュウ……!」
まだ生きている。
痙攣する体毛のざらつき、荒い呼吸の熱気――その生々しさにルーナの喉が鳴った。
「……トドメを、刺さなきゃ」
震える手でナイフを構え、首筋へ突き立てようとする。
だが、刃が皮膚に触れた瞬間、ぷつりと小さな感触が返り、血が温かく指先を濡らした。
「……っ!」
息が詰まる。吐き気がこみ上げ、手が止まった。
――わかってる。殺さなきゃ。
でも、できない。生き物を直接、刃で断つなんて……。
「――ビギャアアアッ!」
次の瞬間、鬼ネズミが目を見開き、オレンジ色の前歯を剥き出して襲いかかってきた。
「きゃっ!?」
巨体がのしかかり、視界いっぱいに牙と臭気が迫る。
奪うはずが、逆に奪われる――ルーナの思考が一瞬白く飛んだその時。
「お嬢様から――離れろッ!!」
乾いた衝撃音とともに、ナミの蹴りが鬼ネズミの顎を弾き飛ばす。
巨体は横へ吹っ飛び、地面を転げた。
「お嬢様を脅かすなど……ネズミ風情が」
冷ややかに吐き捨てると同時に、ナミはスカートの奥からナイフを抜き放ち、ためらいなく喉元を裂いた。
瞬間、鮮血が弧を描いて飛び散り、彼女の白い頬を紅に染める。
「あ……」
ルーナはその光景に息を呑み、震える手からナイフを落としそうになった。
ナミは一度も眉を動かさず、血を指先でぬぐうとルーナの前に歩み寄る。
「お嬢様、ご無事ですか?」
「……ええ、わたしは……でも、ナミ、あなた……」
言葉が途切れるルーナに、ナミはいつもの穏やかな声で――しかし瞳は鋭く――告げた。
「ご安心を。わたくしは殺しに慣れております。それよりも――」
すっと顔を寄せ、ルーナの視線を射抜く。
「相手は獣です。初めてで躊躇うのは当然ですが、その一瞬が命を奪います。どうか、肝に銘じてくださいませ」
ルーナは放心したままうなずくしかなかった。
その間に、遠くではニッケとベル、そしてアルスが次々と鬼ネズミを屠り、戦いは終わりを迎えつつあった。
――戦場は静まり返っていた。
地に転がる鬼ネズミの死骸、漂う血の匂い。
その中心に立つルーナは、自分の手に握られた小さなナイフを見下ろす。
「……わたしは……本当に、命を……奪えるの?」
喉がからからに乾き、心臓が耳の奥でうるさく響く。
震える手を胸元に引き寄せるが、先ほど感じた血の温かさがまだ残っている気がしてならなかった。
「お嬢様」
そっと寄り添うナミの声は、冷たくも確かな響きを持っていた。
彼女の白い頬には、すでに乾きかけた血が斑にこびりついている。
「わたくしがそばにおります。……ですが、いつまでもわたくしに頼ることはできません。いずれお嬢様ご自身が選び、刃を振るわねばならぬ時が参ります」
ナミの言葉は慰めではなく、冷厳な現実の提示だった。
ルーナは言葉を失い、ただ小さくうなずくしかない。
目を閉じれば、脳裏には子供たちの笑顔が浮かんだ。
――守りたい。けれど、守るためには奪わねばならない。
その矛盾が胸に重くのしかかり、ルーナの小さな肩は震えていた。
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