第16話 仕事終わりの帰還

 戦いが終わり、夜の帳が麦畑に降り始めた。

 鬼ネズミの死骸は片付けられ、村人たちが安堵の笑みを浮かべている。


 そんな中、ルーナは少し離れた場所で一人座り込んでいた。

 握ったままのナイフには、赤黒い血がまだこびりついている。


「……わたしは……弱い」


 声にした瞬間、胸の奥がきゅっと痛む。

 守りたいと思ったのに、刃を振るう勇気が出なかった。

 そのことが悔しく、情けなく、涙が滲んだ。


『ルーナ』


 そっと近寄ってきたアルスが、彼女の肩に大きな顔を乗せる。

 丸い瞳が、責めるでもなく、ただまっすぐに彼女を見ていた。


『ルーナは弱くなんかないよ。だって、ぼくを守ってくれたでしょ? 子供たちを笑顔にしてくれたでしょ?』

「でも……殺すことに躊躇ったわ。ナミみたいに冷静じゃいられなかった……」

『それでいいんだよ。ぼくは、ルーナが優しいままでいてほしいな』


 純粋すぎるその言葉に、ルーナの胸が熱くなる。

 ――弱さではない。これは優しさだ。

 けれど、守るためにはその優しさに刃を添える覚悟も必要なのだと、今なら少し分かる。


 と、そのとき。

 村の子供たちが小さな花束を手に駆け寄ってきた。


「おねえさん、ありがとう! おかげで畑が守られたよ!」

「アルスもすっごく強かった!」


 小さな手で差し出された花束に、ルーナの瞳から涙がこぼれ落ちる。


「……うん、ありがとう。わたし、もっと強くなるわ」


 子供たちとアルスの声に背を押され、ルーナはそっと立ち上がった。


 その横顔に、かすかな決意の光が宿っている。


 少し離れた場所で、その姿を見つめていたナミは、そっと胸の前で手を組んだ。


(……お嬢様。つい先ほどまで刃を震わせていた方とは思えぬ眼差し……。確かに一歩、前へと進まれましたね)


 無表情を装いつつも、心の奥に小さな安堵が灯る。


(この方は優しい。だからこそ迷いもする。……ですが、優しさを捨てぬまま強さを手に入れられるのなら――わたくしは、その背を全て支え続けましょう)


 風に揺れる銀髪の少女と、その肩にすり寄る巨獣の姿。


 それはナミにとって、仕えるべき「主」と「絆」の象徴だった。


 村で夜を過ごした翌朝、ルーナたちは村人たちに見送られることになった。


「鬼ネズミを討伐していただき、本当にありがとうございます!」

「あれだけ派手にやってくだされば、収穫までは安心できます」


「おねーさんたち、ありがとー!」


 大人たちの恭しい感謝と子供たちの純真な声に、ルーナは胸がじんと熱くなる。


(村人たちの生活を守れた……。これが、ハンターとしての務めなんだわ)


 胸の前でぎゅっと拳を握りしめるルーナに、ニッケがフランクに肩を組んできた。


「これで依頼達成ですね! ルーナさんも初仕事、お疲れ様でした!」

「大丈夫? 辛くなかったかなあ?」


 ベルの気遣いに、ルーナは軽く微笑んで答える。


「わたしは平気よ。……正直、最初は迷ったけれど、あの一瞬で覚悟が決まった気がするの」

「それなら安心したよ~!」


 彼女の静かな言葉に、ナミは小さく頷いた。


「そのお気持ちを忘れなければ、次はもっと強くなれますよ。ではそろそろ行きましょうか」


 ナミに促され、ルーナたちはアルスの背に乗り込む。

 村人たちの手を振る姿を後にしながら、空を渡るように村を後にした。


 宙を泳ぐアルスの背に揺られながら平原を進んでいると、ニッケがルーナに問いかけてきた。


「ルーナさんはこれからどうするか決めてますか? その……ウチは今後もルーナさんたちと一緒にお仕事したいと思ってるんですけど!」

「私も! だって私、ルーナちゃんたちのこと好きだもん!」


 勢いよく身を乗り出すベルに、ルーナはふっと笑みをこぼした。


「ありがとう、二人とも」


「――お嬢様。わたくしたちは王都を目指しているのですよね。出発はいつ頃にいたしましょうか?」


 ナミの言葉に、ルーナは少し寂しげに目を伏せる。


「……そうね。ずっとフローラにいるわけにもいかないものね。アルスのためにも」

「ルーナさん……」


 そんな空気を振り払うように、ニッケが勢い込んで提案する。


「あのっ! 王都までならウチらもご一緒できます! なので、これからもパーティーメンバーとして活動できませんか!?」

「私からもお願い! 私、もっともっとルーナちゃんたちのこと知りたいし、一緒にお仕事したいの!」


 熱意を込める二人に、ルーナは真っすぐな笑顔で応えた。


「ニッケ、ベル……ありがとう。むしろこちらからお願いするつもりだったの。これからも一緒に活動しましょう!」


「ルーナさん……!」

「ルーナちゃん……!」


 感極まったニッケとベルに両側から抱きつかれ、ルーナはあわあわと慌てる。


「ちょっと、二人とも!?」

『ルーナも人気者だね! ぼくもうれしいな!』

「……そうね、アルス。嬉しい限りだわ」


 そんなやり取りをしているうちに、ルーナたちはフローラの町へ戻ってきていた。


 その足でハンターギルドへと向かい、受付嬢アイリスに仕事の成果を報告する。


「お帰りなさいませ。成功の花が咲くのをお待ちしておりました」

「ウチら、今回も依頼を達成しました!」

「これが証拠品だよ!」


 ニッケとベルが提出したのは、事前に切り取っていた無数の鬼ネズミの尻尾だった。


「はい、確かに鬼ネズミの尻尾ですね。これで依頼は達成です。お疲れ様でした」


 アイリスが花束のように差し出した布袋を、ルーナが両手で受け取る。


「これが……初めての報酬……!」


 ずしりとした重みが掌に伝わる。

 その中には銀貨と共に、自分たちの努力と誇りが詰まっているように思えた。


「お嬢様、浮かれて使いすぎませんように。旅はまだ始まったばかりですから」


 ナミの冷静な助言に、ルーナは小さく笑った。


「ふふ、分かってるわ。ナミがいてくれるから安心ね」


『やったね、ルーナ!』

「ええ! あなたのおかげよ、アルス」

『えへへっ』


 アルスの額に口づけを落とすルーナ。


 こうしてルーナの初依頼は、成功の余韻と共に幕を閉じたのであった。


 そんなルーナたちを、周囲のハンターたちがちらりちらりと盗み見ては、低い声でささやき合っている。


「見ろよ……どうやら初仕事も無事に片付けたらしいぜ」

「噂じゃ、あの小娘の従魔が鬼ネズミの群れをまとめて血祭りに上げたって話だ」

「それだけじゃねえ。常に傍らには闇メイドが控えていて、睨まれた奴は二度と逆らえなくなるらしい」

「……はっきり言って、近づかない方が身のためだな」


 ――いつの間にか尾ひれがついた噂は、ますます大げさに膨らんでいく。

 けれどそんな囁きを、当のルーナ本人はまるで気付かず、純粋に依頼達成の喜びに胸を弾ませていた。

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